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片づけの暴君__小説家の「片づけ帖」#20

<<#19 集中しているときほど動きがダイナミック
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「片づけが趣味で、わりとミニマリストなんです」
と20年ちかく周りの人たちに公言していると、こんなふうに声をかけてもらうことがあります。

■「モノが捨てられないんだけど、どうしたらいいかな」


話を聞いてみると、その人がモノをためている理由は、たいてい「やさしさ」が軸になっています。あるいは、不足に対する「不安」。

たとえば「ちょっとしたプレゼントを渡すときに重宝しそうだな」と、様々な大きさのショッパー(持ち手つきも紙袋)が大量にたまっていたり、ミニサイズの保湿用品など、気軽なプレゼントによさそうな小物をたくさんためていたり。

私の親戚は、来日中の学生を支援する目的で開催されるフリーマーケットに通っていて、そこで食器セットや手作りの人形、服などをこつこつ買い集めて、1部屋をつぶしていました。

「いつかフリーマーケットで売れるかなと思って。メルカリ? 私には難しい」とのこと。

私は、基本的には人それぞれに道があり、人によって最適解が違うと思っています。なので、せっかく機嫌よく暮らしている人の横で「それ捨てちゃいなよ! 全部!」と叫ぶことは、お互いに意味がないと思っています。

誰かを助けてあげようと思って買い込んだなら、それはそれでいいじゃん、と思っているのです。

ちょっと話がそれますが、私が小学校の修学旅行でお土産に買ってきた、その土地とも関係なければ、ちょっと変なデザインで直径5センチくらいある子犬の置き物を、親戚はその他のいっけん「わけのわからない」小物と一緒に、ずっと食器棚の中に置き続けています。それって「惰性」だと言えるかもしれないけれど、「やさしい」とも思うのです。

とはいえ、もし、「ちょっとだけ環境を変えてみたい」「身の回りをシンプルにしてみたい」と思いたち、そのきっかけが「モノを減らすことだ」と感じた時には、「参考までに」と言いながら、出しゃばっちゃいます。
「そういう時、私はこうしているんです。簡素に整った部屋って最高に気持ちいいですよ」って。

まず前者の、「ちょっとしたプレゼント」のモノは、かたっぱしから贈ってしまう。そして、その後を絶対に詮索しない(感想も自分からは絶対に聞かない)。
もし贈った相手が捨てていたとしても、モノに乗った「気持ち」を受け取ってくれたのだからじゅうぶん。自分の代わりに処分してくれたと思うほうが楽です。

人に会う予定がないなら、普段がんばっている自分にプレゼントして、どんどん使い切ってしまいます。
ある友人が「ショッパーはちょっと素敵なゴミ袋として使って、そのまま捨ててしまうと決めた」と言っていました。

そういえば、「処分を手伝って」と言って、きっとわざわざ用意してくれたであろうプレゼントをもらったとき、そのやさしががうれしかったです。その品は今日も使っています。

■選別するより先に、捨てる日を決めてしまう

後者の場合は、次回以降はできるだけ「せっけん」とか「ハーブティ」とかの消えるものを買うと決める。
すでに購入して山になっている食器は、買い取り業者さんに電話をして、回収に来てもらう。その時に「元を取」ろうとしないほうが気持ちが楽だと思います。

実際に、天井まで積みあがったモノの前で、親戚から「減らしたいんだ。どうしたらいいかな」と持ち掛けられたときは、その場で近所の買い取り業者さんに回収のアポを取って、当日までに二人でこつこつ玄関まで運んだり、すぐ使うものだけ選んだりしました。

アポは翌日だったので大変でしたが、部屋の奥から工事現場で使うようなワイヤーロープの束が出てきたときには、二人で爆笑してしまいました。

人によっては、「自分がモノをためるマインドの根本を分析し、代替案を探る」のを好む場合もあるかと思いますが、たとえばそこで性急に答えを出しても、誰もがすぐ次の行動につながるとは限りません。

そもそもモノを捨てることって、かなり膨大なエネルギーを使います。その後は無理に急がず、まずは空いた部屋のドアを開け放しておいたり、お花でも飾ってのんびり心を休めて、何か思いついて、それをやってみたいと思ったら行動してみる、くらいでじゅうぶんだと私は思います。

■片づけの暴君

私の場合は、ただの「暴君」なのです。

前回ここに書かせていただいたように、私は集中しているときほど動きがダイナミックになるし、何ものにも邪魔されたくないので、作業スペースの余白や効率的な導線をとても重要視しています。

そして、道具を探す時間が何より無駄だと思っています。
「トヨタの片づけ」のように、私もモノは置き場所を決めておき、そもそも探さずに済むようにしています。

一方でハサミなど色々な場所で使うモノは、それぞれの場所に置いておき、モノの移動回数を最小限にしておきます。
たとえば、家族それぞれの仕事部屋とキッチンと洗面所、玄関先(配送されてきた荷物を受け取る場所)にそれぞれ置いておき、その場でザクザク切って開封し、包装材は一瞥いちべつもくれずに捨てます。

ときどき置き忘れたか何かでモノが見つからないことがありますが、そのときに暴君が首をもたげるのです。

もし代用品で事足りたなら、次にそれが見つかった時に迷わすそれを捨てます。しげしげと眺めることもありません。それが無いことでどうしても不便だったら、また買えばいいやと心底思っています。
冷徹な、片づけの暴君なのです。

もし気が向かれましたら、年末大掃除の間だけ、「片づけの暴君ごっこ」をされてみても楽しいかもしれません。明らかにモノが減ります。

あわせて、こちらも是非。

■だって、素敵なほうがいいじゃん

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