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本質は違和感の中に 〜 「もう少しだけ」 YOASOBI

中学生になったとき。

何かが変わったような気がしていました。制服になったということもあるし、自宅から小学校への距離と変わらないけれど自転車通学ができるようになったし、教科では算数が数学になった。

でもよくわからないままに、何かが変わったような気分だけがしていました。マイナスでもプラスでもなく、ニュートラルな感情で。

部活動というやつが大きかったのかもしれない。

というのもクラブ活動には、当然ながら自由時間の削減があるからに他ならない。

田舎町であっても、町民の運営するスポーツ同好会や、ピアノなどの習い事はいくつかありました。でも、そういうものには一切関心が無い小学生時代で、有り余る時間を思いのままに使っていた。

それが中学の部活動で変わってしまった。

かつ、あの意味のない上下関係。時間よりもこっちが問題。たかだか三年というくくりの上下関係。人によっては中学高校と続くそれは、まるで社会人の上下関係の予備校みたいではないか。

きっとそれがなんとも言えない違和感の正体だったのだろう。

そんな違和感を感じていた時、更なる違和感がきた。一学期の成績表である。

科目ごとに五段階評価がなされている。コメントは無い。数字だけのそれは無慈悲なまでにランキングを告げていた。

小学生のころは、勉強はしていたがそこそこ。それで八割くらいは取れていたし、成績は言葉で情緒的に語られていた。

しかし中学はそこそこの勉強では、そこそこの点にしか取れないことがわかりかけていた。試験の質自体が違う。教科書に無い、応用という名の問題もあった。  

一学期の成績表をみたとき、やり方を変えないといけないと感じたのでした。そんな数値がずらっと並んでいたから。

堅苦しい制服、面倒な上下関係、そして難解な教科。三重苦である。

しかし、人間には順応性があるのか、夏休みの終わりには、わりと適応していたように思う。

三年生は引退し、制服以外にジャージ通学という手段を見つけた。

勉強には参考書なるもので、教科書と授業を補完する必要性を学んだ。

ここにきて、ようやく違和感が消えていくのを感じたのでした。

そこからが中学の本当のスタートだった。でもきっと中学の本質は、あの違和感の中にあったような気がする。

今から振り返ってみるとそんなふうに思う。きっとそうなんだろうな。


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