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道の探究、としての教育研究

私の研究態度は、技術学的でもなく科学的でもない。
客観主義的もでもなく実証主義的でもない。
私の研究態度は、主観を大切にし、感覚と感情を大切にし、個別具体を大切にし、出会いを大切にし、人間関係を大切にし、一期一会を大切にするものである。
学習指導の成否を、方法だけで論じてはならない。
学習指導が成功した要因を、教育技術だけで考えてはならない。
教師が学習者をどう理解し、どういう思いで受け止め、どういう気持ちで応じるかが、学習者の学習態度に最大の影響を及ぼし、学習の成否を左右する。
学習者が喜んで学習し、学習者の態度がよくなり、学習者の能力が向上した場合、その要因を、教育技術だけに求め、そのやり方をマニュアル化して一般化するという教育実践研究は、片手落ちである。
成功の要因を学習指導の、外から見える形に求めて、その形を明らかにして、公表し、それを見た人が、その形をそのまま真似て行っても、学習指導がうまくいくとは限らない。
そこに、人間と人間がかかわる教育実践の特色がある。だから、全く同じ形で指導しても、うまくいく場合とうまくいかない場合が生まれるのである。
その違いの原因はどこにあるか?
私は、外から見える形としての方法技術が無用とは言わない。しかし、学習指導には、もっと大切で、もっと決定的な要因がある。
それは何か?
心である。
学習者と指導者の心のありようである。心のありようには、指導者が持つ学習者観・人間観・学習内容に関する見識が含まれる。
心のありようは、マニュアル化しにくい。取扱説明書を作って、その通りに行えばいつでもどこでもだれに対してもうまくいく、というようになわけにはいかない。
心のありようは、一人一人異なるからである。
機械やロボットを改良するような研究方法では、個性ある生きた人間が生きた人間にかかわる教育の本質を明らかにすることができない。だから、技術学一辺倒の教育研究では、学習指導の成否の要因を本当には明らかにすることができない。
これからの教育研究は、その教師が子どもをどう理解し、どう受け止め、どう対応し、どうかかわったかという心の側面と、学習者がどう感じ、どう考え、どう思ったかという心の側面を大切に考察する研究にならなければならない。
そういう研究は、技術学的でもなく科学的でもなく、求道的である。
それを一言で言うと、「道の探究」ということになる。

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