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拝啓、ヒト絨毛性ゴナドトロピンさま。

拝啓
 
「ヒト絨毛性ゴナドトロピン」—最強ラスボスのような名前のあなたは本当に無敵でした。あなたに打ちのめされてから1年と4ヶ月が経過しましたが、まだあなたの余韻は残っているような気がします。私の心身の奥に深く刻まれたあなたの名残りは、一生消えることはないかもしれません。そう思えるほどあなたは強烈でした。
 
あなた(ヒト絨毛性ゴナドトロピン・HCG)は、胎盤絨毛細胞から分泌される性腺刺激ホルモンで、卵巣にある黄体の分解を防いで、妊娠に重要な女性ホルモンのプロゲステロン(黄体ホルモン)を産生してくれるそうです。簡単に言えば妊娠時特有のホルモンであり、非妊娠時なら0.7ml以下のあなたは、妊娠9~12週頃には160000ml以上にまで増えるそうですから、それが心身に影響を及ぼすのは当然のことですね。あなたのようにホルモン全般は、非常に微量でその作用を発揮するようにできているらしく、血液量が50mプールとすれば、それに対してホルモンはスプーン1杯分程度で効果があるそうですから、驚かざるを得ません。
 
かつて私は「女性ホルモンも男性ホルモンも多い」と診断されたことがあり、ホルモン過多には慣れていると自負していましたが、数あるホルモンの中でもあなたが最強だと、あなたと出会って気づきました。
 
自分の体内で起きたホルモン変化ですが、自分自身で作ったというよりは、あなたは胎児側から与えられるホルモンでしたので、心身がまだあなたに慣れておらず、それがいわゆる「つわり」の症状も増幅させるのだろうと思います。
つわりそのものは軽い方で、吐き気もほとんどなく、食べ物はわりとこってりしたもの(カレーパン、ハンバーガー、ピザなど)も食べられました。あなたが増えた時期は、だしの効いた和食などはやや苦手になりましたが…。一番多く飲食したグレープフルーツジュースとカレーパンは思い出深い食べ物です。
 
しかし眠気は最初からひどかったです。元々過眠気味で、眠気の強い私がさらに眠気を催していたのですから、たいへんでした。1時間も運転すれば睡魔に襲われ、何度も休憩しながら運転したことが懐かしいです。きっと私は睡眠ホルモンのメラトニンも多い方で、あなたはメラトニンと仲良くなり、私を眠りの国へ誘ったのでしょう。私を眠らせ、身体を休ませている隙に、胎児をどんどん成長させていたのですね。
 
普段はクールを装っている私が、不安、葛藤、情緒不安定、時々怒り、常に涙もろくなり、時にこの上ない幸せ、感動、喜びという様々な感情を最大限、感じることができたのも、きっとあなたの仕業ですよね。メラトニンだけでなく、あなたはセロトニン、ドーパミン、オキシトシン、アドレナリン、ノルアドレナリンなどすべてのホルモンと親密になって、それぞれの作用を強めた気がしてなりません。ですからあなたとの共生は楽しくもあり、一方で疲労感が半端なく、なかなか疲れました。
 
母乳を作る役目もあるホルモンのプロラクチン(乳腺刺激ホルモン)も、その数値を上げる薬を服用していたわけでも、もちろん妊娠していたわけでもないのに、高い時期がありました。やっぱり私はどのホルモンも多めなのかもしれません。
あなたはもちろん、そのプロラクチンやエストロゲン(卵胞ホルモン)、プロゲステロン(黄体ホルモン)という女性ホルモンにも働きかけ、私に母性を与えてくれたように思います。
 
母性の欠片もなかった私に、授かった胎児を愛しいと思わせるようになったのはあなたが、私の身体中を密かに巡っていたそれぞれのホルモンの作用を強め、特に子を思うとセロトニンやオキシトシンが多く放出するように促してくれたからなんだろうと考えています。
今調べてみたら、涙が出るのはプロラクチンが原因と知りました。子を失い、未だに涙が止まらないのは、やっぱりプロラクチンが多いせいかもしれません。ただでさえ多かったプロラクチンをたぶんあなたがさらに増殖させてくれたのでしょう。あなたは罪なホルモンです。
 
あなたとはあなたの数がピーク時にお別れすることになったので、すべてのホルモンがジェットコースターのように急降下した気がします。特に最初の1ヶ月、半年、1年は、ホルモンバランスは乱れまくっていました。1年以上過ぎて、ようやく少しは落ち着きを取り戻したように思えますが、それでもあなたと出会う前の心身に完全には戻れません。
 
あれから、やけに体重が増えたのも、置き土産のようにあなたがプロゲステロンを増やしてくれたせいかもしれないです。あの子のことを考えると、今でも愛しいと思えるのはオキシトシンのおかげ、涙が止まらなくなるのはプロラクチンの仕業。すべてあなたが私の心身をこんなにも変えてしまいました。
 
あなたがいた時間はつらく苦しい思い出のはずなのに、反面、人生で一番幸せや感動を味わえた時期なので、放出しまくっていたドーパミンによる喜びや快楽も忘れられなくて、思い出さずにはいられません。あなたの功罪に今も私は脅かされています。
 
ヒト絨毛性ゴナドトロピンというあなたと出会い、改めて人生を振り返ってみると、ヒトという生き物の私は、生まれた時から現在に至るまで、あなたも含めて様々なホルモンに操られて、生きているのではなく、生かされていると感じました。私の心身はホルモンに支配されながら、生をつないでいるのだと。
 
メラトニンの多い私は、幼い頃からすやすやぐっすり眠り、「寝る子は育つ」のごとく、発育が早い方でした。成長ホルモンは就寝中に分泌されるらしいですから、子どもの頃の私は成長ホルモンの分泌も活発だったのだろうと思います。
 
さらに女性ホルモン、男性ホルモンも多い私は、二次成長も初潮も早く、他人より早く大人の身体になったのでしょう。性ホルモンが多いということは、性に対して無関心ではいられず、理性で抑えることはあっても、子孫を残したいという本能が繁殖活動に間に合いそうなギリギリの時期に噴出し、あなたというホルモンとの出会いにつながりました。あなたと出会うことは宿命だったと思います。あなたと私を出会わせるために、様々なホルモンたちが本来は無気力な私をどうにか生かしてくれていたのだろうと。体内からホルモンを抜いてしまったら、私はきっと抜け殻です。眠ることも泣くことも、喜びを感じることも何もできなくなるでしょう。
 
亡くした子を生かすために生きると考えさせてくれて、私に生きる道を与えてくれたのもあなたですよね。あなたの数値はとっくに平常時に戻っていると思いますが、あなたの余韻がそれぞれのホルモンの中に残っている気がして、何をしていても最強ラスボスホルモンのあなたのことを感じてしまいます。事ある毎にあなたが与えてくれたあの頃の感情を思い出し、あなたと共に生きた日々を懐かしんでいます。
あなたは味方のフリして仇の時もありました。仇のようでも最終的にはやっぱり味方でした。私の人生の味方でした。
 
あなたと出会う前までは、そもそもあなたの存在を知らなかったし、私には母性なんて皆無だと思い込んでいました。それぞれのホルモンたちのことも見くびっていました。けれどあなたは私の本性が母性の塊で、ホルモンに乗っ取られて生かされている生き物ということを教えてくれました。自我の正体はホルモンなのではないかと思ってしまったくらいです。母性の正体はあなたと、あなたが活性化させた他の女性ホルモンたちや、オキシトシンなど幸せホルモンというホルモンの複合体かもしれません。
 
ヒト絨毛性ゴナドトロピンさま、あなたは偉大で脅威です。妊娠した時、出会い覚えた言葉の中で一番長く、難解でした。世界史の重要人物の中で一番長い名前と教わり、なぜか覚えている第16代ローマ皇帝のマルクス・アウレリウス・アントニヌスのごとく、あなたは忘れられない存在になりました。
 
あなたのことをこうして書き残そうと思えたのも、やっぱりあなたの仕業なのかもしれません。数年前、突如として物書きを目指し始めたのも、何かホルモンのせいかもしれないと今ふと気づきました。幸せホルモン=やる気ホルモンらしいので、その頃、ドーパミン、オキシトシン、セロトニンが文章を書くことに向かわせたのでしょう。
しかしあなたと出会って以来、書ける内容はガラリと変わりました。子どもにまつわる話しか書けなくなりました。あなたが減少し元に戻っても、私は元の自分には戻れなくなりました。それは仕方のないことと割り切りました。あなたと出会ってしまった代償です。それほどあなたは凄まじい存在でした。
 
あなたを筆頭に、微量で作用を発揮できるホルモンたちには敵いません。抗うことなく、ホルモンたちと手と手をとり合いながら、生きていこうと思います。もうあんなに量を増やしたあなたと出会えることはないと思いますが、もしもいつか奇跡が起きて再会できたら、その時はお手柔らかにお願いします。
 
敬具
 
ごく微量ながら今も私の体内にいてくれるヒト絨毛性ゴナドトロピンさまへ。

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