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草の根ハイ雑句「夢で逢えたら」
TBS「ラヴィット」を観ていたら、見取り図の盛山が青春コンプレックス
を吐露していて、シンパシーを感じてしまった。
銀杏BOYS(峯田和伸)は童貞のカリスマと話していて、銀杏BOYSは通ってこなかったと思っていたが、前身のGOINGSTEADYの「童貞
ソーヤング」は2002年頃購入していたことに気づく
草の根ハイ雑句 「明治神宮再開発に思う事」
明治神宮再開発に思う事
明治神宮再開発は天皇陛下や建築と人という日本の抱える
根本的揺らぎを象徴するような問題だと思う。
2008年頃には民主党に政権交代して「コンクリートから人へ」
というスローガンで建設と経済に対する反動があった。
しかし自民党政権に復権して、東京五輪、国立競技場問題
など再開発の流れに揺れ戻った。
国立競技場に関しては、ザハの予算のかかる設計より、結果的には
木材を活か
草の根ハイ雑句 「日本人的個と知の観客の成熟」
「日本人的個と知の観客の成熟」
小林よしのりが日本人的な個の成熟と自立を長年主張してきているのを
意識して、東浩紀が「知の観客」という概念を打ち出し、東は「弱い
つながり」で「道具があれば使えばイイ」とも言っていた
近年アメリカから導入されたネット環境が普及する中で、それを日本人
として活かすにはどうするか考えている
アメリカ的なデザイン思考は「対話」というよりも「上から下へ」と
押しつけ
HIZUMI ALIVE(1994~1998)
1994年、鶴見の狭いアパートの中で、当時の中学の担任が自宅を訪れ、高校受験に勧める高校のパンフレットを持ってきた。
まともに中学に通ってないので内申はボロボロ。担任は単位制(兼通信制)と全寮制の高校のパンフレットを持ってきた。何処でもイイやという自暴自棄な気持ちで、単位制の大学付属の高校一つを受験することにして、自宅で試験勉強を始めた。後々知ったのだがもう一つの全寮制の高校は、ダウンタウン浜
HIZUMI ALIVE(1992~1994)
世の中がバブル景気に沸く中で、充実した小学生時代を過ごし、卒業式を迎え、地元の公立中学に入学。中学は頭のイイ人、自分よりスポーツが得意な人、不良ぶった連中、身体に障害をもった人、外国のハーフと多様な生徒が集まっていた。
小学生6年生のバレンタインにチョコをくれた女子と同じクラスになり、隣の席になるという偶然も働いた。彼女は小学生時代一番好きだったのは、中学で難関私立に合格した秀才で、彼とはワ
HIZUMI ALIVE(1979~1992)
ワタクシは古代都市ポンペイ滅亡から、丁度千年後に福岡で生まれた。
生まれてほどなく両親が地元の福岡から横浜に移住して、それから四十四年間ヨコハマ市民である。
生まれた時の体重は2450g。父はサラリーマンであり、母は専業主婦だった。5歳上の兄がいる四人家族。兄が生まれた頃は団地暮らしだったらしいが、ワタクシが生まれてからは祖父が購入費を負担してくれて、大倉山のマンションに越して、幼少期から中学