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犬だった君と人間だった私の物語【第14話】松田との暮らし


 松田の家で暮らして分かったことは、松田はどうやら今年の春に地方から上京し、都内の専門学校で写真を学んでいる学生のようだった。机の上にはカメラの小難しい本が並んでおり、脇には大きなカメラバッグが積んである。
 松田は真面目な青年で、毎朝6時に起床し手早に自分の身支度をすませると、ペットショップの店長に教えてもらった通りにノンの朝食やケージの掃除をしっかりと済ませてから学校に行っていた。
 松田が学校に行っている間、まだ子犬のノンはケージの中で思いのままに過ごしている。ここはペットショップのケージとは違って人の目や客の出入りがなく、静かで快適だった。部屋の壁には松田の撮ったであろう写真がいくつも飾ってあった。モノクロであるせいか、なぜかノンに懐かしさを感じさせた。都会の渦の中で埋もれてしまいそうな小さな笑顔や幸せを切り抜いたような写真は、松田の人柄を感じさせた。
〈孫の紀花も同じような年頃で、今は学生なのだろう。もし学生なら、何を専攻しているのだろうか。小さい頃は、歌や踊りも上手で、テレビのコマーシャルを見ては真似していた。そういえば、あの病院の警備員が誘導棒を振る仕草をよく真似して、入院している私を励ましてくれていたわね。紀花は元気なのかしら…〉
 ノンが考えることは、やはり最後には紀花のところに辿り着くのだった。

 学校からまっすぐ帰ってくると、カメラとノンを連れて散歩に出かけるのが松田の日課だった。歩きながら、松田はノンや街の何気ない表情をカメラに収めながら歩いた。その散歩コースはノンが決めた。……決めたと言っていいのだろうか、紀花を見かけた駅前を通るために、松田の選んだ道を断固拒否して、ノンが無理やり誘導したのだ。
 駅前では、あの時の敏子と同じように、窓ガラス越しに仔犬がペットショップのケージに並べて売られているのが見える。ノンは自分が犬であることを忘れて、松田と二人で歩いてショーウィンドウの犬を眺めているような錯覚を覚えた。そしてノンはその道を通る度に、紀花の姿を探し、いつも鼻をクンクンさせながら歩いていた。
 あの時に助言をくれた芝犬も、新しい家族に迎えられており、偶然にも散歩ですれ違った時には、飼い主にバレないようにそっとウインクを交わすこともあった。

第15話につづく

第1話 別れ
第2話 新しい姿
第3話 中庭
第4話 再会
第5話 ペットショップ
第6話 疑惑
第7話 奇跡
第8話 理由
第9話 可能性
第10話 動物病院
第11話 青年
第12話 記憶
第13話 名前
第14話 松田との暮らし
第15話 紀花
第16話 伝えたいこと
第17話 目撃
第18話 河川敷
第19話 数年後(最終話)

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

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