【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第三章「皇女たちの憂鬱」 後編 16
馬に夕の飼葉をやっている時に、弟成は黒万呂の傍に近寄って、
黒万呂、俺、病かもしれへん」
と、切り出した。
可哀想なのは黒万呂の方で、まさか行き成りそんな話を切り出されるとは思っていなかったので、大きな声を出してしまい、
「馬鹿たれ、馬が驚くやろうが! 大きな声出すな!」
と、厩長から怒られてしまった。
「何処か気分悪いんか?」
黒万呂は、心配して弟成の顔を覗き込む。
―― やはり、黒万呂に相談して良かった。
こんなに心配してくれる。
「実は……」
弟成は、ここ数日間続いた夜の出来事を話した。
そして、その話を聞いている黒万呂の顔が、明らかに安堵の表情になっていくので、もしかしたらそんな深刻なことではないのかもしれないと思った。
案の定、黒万呂から、
「そんなの心配あらへん」
の一言が返ってきた。
「なんで?」
「なんでって……、俺もそうやからな」
「そうなん?」
弟成の声は少し弾んでいた。
「おう、もう2年前ぐらいからやで」
「そうなんや……、で、なんで?」
「なんでって……、これは、もう子供が作れますよ、ちゅう徴なんや」
弟成は首を傾げた。
子供が、どうやったらできるのか分かっていない人間に、そんなことを言っても無駄である。
「お前、子供の作り方、知らへんな。ええわ、後で厩長に教えてもらえるように頼むから」
その夜、黒万呂から頼まれた厩長は、厩の奴婢長屋の男の子たちを集め、性教育をすることとなった。
そして、弟成は、生命の神秘を学ぶのである。
「……と、まあ、男のここは、子供を作るために大切なところなんや」
厩長は、男の子たちの前で偉ぶって見せた。
男の子たちも、こういった話は真剣に聞くものである。
「あと、これで女を喜ばせることもできんのや」
厩長は、ここで一笑いが起こるだろうと期待していたのだが、子供たちは如何いうことだろうと真剣に聞いている。
これに失笑したのは、傍で聞いていた大人たちであった。
「まあ、兎に角、ごっつう大切なところやから、粗末に扱わんように。ほら、もうええやう。今日はもう休め。」
厩長はそう言うと、男たちの車座の中に戻った。
そして車座からは、また一笑い起こった。
子供たちは、改めて自分のものを大切に擦りながら、夜具に潜った。
「そうか、子供ができんのや」
弟成は、雪女の子 ―― 廣女を思い出していた。
あの、ぷくっとした頬は気持ちが良かった。
稲女は子供が早く欲しいと言ったが、その気持ちも分かるなと思った。
「一人じゃできへんや。相手はおんねん?」
弟成の横に寝転がった黒万呂が訊いた。
「えっ? ……別に……、黒万呂は、どうなん? 相手がおんの?」
逆に、弟成が訊き返した。
「俺は、八重女一本やからな」
「八重女? そやかて、大伴の奴婢やで。もう会えとちゃうん」
「そんなこと関係あらへん。俺、もう少し大きくなったら、八重女を奪いに行くねん」
弟成は、黒万呂の言葉に驚いた。
「ほんま? でも、なんで?」
「なんでって……、好きやからや。好きで、好きで堪らんからや。俺の女は、八重女しかおらへん」
「そうなん……」
弟成は、黒万呂の言葉に感動していた ―― 人は、これほど人を好きになることができるのかと。
それは、弟成が経験したことのない世界だ。
―― 俺は如何なのだろ?
黒万呂みたいに、一生想っていられる人がいるのだろうか?
あばら屋根から漏れる星を見つめる。
「稲女は、どうなん?」
「へ?」
黒万呂の質問に、不用意な返事をしてしまった。
「稲女、お前のこと好きやし。お前も、悪くは思ってへのやろう」
「稲女か……」
確かに稲女は可愛いし、彼女の笑顔を見ていると心が晴れやかになることは何度かある。
―― でも、それは好きと言えるのだろうか?
「稲女はさあ………………、黒万呂? もう寝たん?」
隣からは、小さな寝息が聞こえてきた。
男たちの車座から、また一頻り笑いが起こった。
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