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小さなことでくよくよしたい

くよくよしている。 
本当に小さなことで、くよくよしている。

詳しい事情は割愛するけれど、小学三年生の息子が、悔し泣きしながら下校してきた。
話を聞くと、同級生から紙製の棒で頭をペシペシと叩かれることが頻繁にあり、やめて、と言ってもやめてもらえず、もういやだ、という気持ちが爆発したようだった。
かといって、相手の子のことが大嫌いかといえば、そういうわけでもないらしく、ペシペシ叩かれないときは、いっしょに話していて楽しくもあるんだという。
その話を聞いて考える。
わたしは、どうするのがベストなんだろう。
ひとつのものごとでも、どの角度から見るかによって、意味合いがずいぶんと変わる。
わたしというひとりの人間のなかにも、いくつもの異なる見かたが存在する。
年齢のぶんだけ経験を重ねた大人の見かた。
わたしという個人の価値観からの見かた。
息子を大事に思う家族としての見かた。
そして、そのどれを選んだとしても正解なんてないし、不正解もないのだ。
わたしが考えた末にどんな選択をしたのか、ここには書かないけれど、息子のへの字口から最後の言葉がこぼれ落ちるまで耳を傾け、スーパーで買ってきた焼き芋を温め直して、ふたりで食べたことだけは、きっと間違いではないような気がする。

どーんと構えていたいなあ、と思う。
それなのに、いつも身の回りの小さな出来事に、あたふたしたり、頭を抱えたり。
それでいて、小さなことを見つめるこの目を持ったままでいたいなあ、とも思う。
大きなことばかりに目を向けるのは、ときに危険でもある。
例えば「人類を救う」とか「子どもたちを守る」とか「目覚めていない一般大衆を導く」と息巻くひとたちが、無自覚のままに身近な相手を深く傷つけるさまは、あまりにもばかばかしくて、そして悲しい。

わたしは、ひょんなことからライトノベルのように異世界転生でもしないかぎり、全人類を救うことなんて出来ないだろう。
それでもいい。
わたしは身近な相手を思って、いつまでも、小さなことでくよくよしていたいのだ。
これはわたしの、大きな決意だ。


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