地元民の使命感 22.8.10
地元の祭りに行ってきた。三年ぶりの開催。
色々あるけど、今回「見に行かない」選択肢はなかった。
県人として見ておかなければ、といった使命感のような。
テレビ・ネット中継もあるけれど、やっぱり直接見たほうが迫力が段違い。
小さい頃から見ているので、好きとか嫌いとかの感情はない。地元の人間の「けじめ」として祭りを見て、夏の終わりを感じる。それが例年の過ごし方である。
三年ぶりに見て感動するのかと思っていたが、その寸前で心が押し留められる。すべてが解決されていたならば、そうなったかもしれないが。
「ころなに負けない」的なメッセージをそこまで強く打ち出すこともなく(アマビエ的なものがちょこんとある程度)、いつも通りの内容だった。
ただ、例年のあふれんばかりの観客数には届かなかった気がする。周辺の駐車場も空きが目立つ。
おとといと昨日も書いたが、純粋に祭りを楽しむには感染者が増えすぎて、減らなさすぎる。希望の芽を根こそぎむしられた跡一面に絶望の苗を植えられたような。
けれども、今年も祭りを止めにしました、あるいは見に行きませんでした――だとしたら、おそらく心はくじけたと思う。
感染対策とエンタメ、その両方が成り立つよう、見る側も気を付けなければこの状況はいつまでも終わらない。
ちなみに、今回僕はマスク着用はもちろんのこと、観客席から4、5メートル離れた後方から双眼鏡で観覧。
細部まで楽しめたのは意外な発見。
来年は2、3メートルまで近づけるようになっていてほしい。(※飛田流基準感染対策)
何度むしられたとしても希望の芽は植えておこう。
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