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石巻が育てた天才彫刻家たち

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石巻市複合文化施設「マルホンまきあーとテラス」には、地元出身の彫刻家高橋英吉(1911―1942年)の作品群が展示されています。震災前の文化センターに常設展示され、人々に感動を与…
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2020年11月の記事一覧

引き継がれる文化豊穣

引き継がれる文化豊穣

 私の手元に伊達政宗公騎馬像小品を3Dスキャン・プリントで複製した縮小レプリカがあります。これは第1話で紹介したギャラリー南製作所の「小室達展」で行ったクラウドファンディングのリターン(返礼品)です。その他に図録や絵葉書もありました。

 この企画は、劣化が進む石こう像を支援金で後世まで残すことが目的で、昭和15年作の「童(わらべ)」(息子の穣嗣さんがモデル)がブロンズ化され、柴田町に寄贈されまし

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令和2年 もう一つの正輔像

令和2年 もう一つの正輔像

 私の手元に「石母田正輔翁像」(正輔像)の写真があります。住吉公園の像ではありません。

 令和2年1月、正輔の五男達(たつ)さんが、神奈川県でご存命であることが分かり、連絡すると息子の大(だい)さんが対応してくれました。

 家に石こうの正輔像があるというので、てっきり住吉公園の正輔像の原型(石こう像)だと思い説明すると「石巻の正輔像は何度も見ていますが、それとは違うものです」と返ってきました。

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昭和28年 市制20周年記念の像

昭和28年 市制20周年記念の像

 私の目の前に昭和28年に撮影された石巻市制施行20周年記念の「石母田正輔翁像」(正輔像)除幕式後の写真があります。

 達の日記が27年11月6日の野田眞一翁像完成で終わり、写真のアルバム、新聞記事のスクラップ帳を見ても正輔像がどうなったのか分かりませんでした。

 ある時、別な資料を見ていると「石母田正輔翁」という文字板が見える見覚えのある胸像の写真が出てきました。記憶をたどると私の石巻生活が

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昭和27年 謎が残る最後の日記

昭和27年 謎が残る最後の日記

 私の手元に昨年3月からしばたの郷土館(柴田町)で開催された「小室達生誕120年展」のリーフレットがあります。展示作品には、開催の半年ほど前に発見された6点が含まれていました。

 そのうちの木彫3作品「白拍子」、「一條一平壽像」(白石市の鎌先温泉一條旅館17代目)、「野田眞一翁像」(南郷村の篤志家)は昭和27年の代表作です。それぞれが、どのように制作されたのか日記で調べていると、6月8日に「石巻

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昭和12年 今も残るゆかりの場所

昭和12年 今も残るゆかりの場所

 私の目の前に「鶏釜めし」があります。場所は「割烹滝川」です。

 昭和12年7月15日から石巻を訪問した達は、3日目にいろいろな場所に行きました。日記には「木村得太郎氏らと4人で小室十郎君を訪ね、宝印舗に寄った。石母田前市長を訪ね就床中故遠慮し後、毛利コレクションを見学す。三万点のコレクションあるに驚きさらにあらゆる方面の造詣深く全く斯道の学者である。この頃より雨となり此処を辞去して松泉堂支店に

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昭和12年9月 水利事業の功労者

昭和12年9月 水利事業の功労者

 私の目の前に達のアルバムに貼られた「氏家栄次翁 桃生郡佳景山」と書かれた写真があります。日記を調べると昭和12年に制作されたことが分かりました。

 始まりは3月15日「鹿又村の熊谷喜蔵氏から水利翁氏家氏の胸像建立するに就きその代価の問い合わせに接した」でした。その後、制作を依頼され、5月5日に渡辺忠右ヱ門と一緒に佳景山の広渕水利事務所を訪ねました。

 そこで、胸像建設委員に会い建設予定地を調

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年10月 光明皇后施薬之像の依頼

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年10月 光明皇后施薬之像の依頼

 私の目の前に「光明皇后施薬之像」があります。場所は、石巻赤十字病院です。この像のことは、私にとっての石巻の歴史の先生の一人である佐々木慶一郎さんが、令和元年8月8日の本紙で紹介しています。

 昭和6年10月12日、銅像の件で面会したいという日赤支部病院(日赤)の内藤勝院長から電文を受けた達は、急いで準備をし、翌日の昼頃、石巻駅に着きました。渡辺忠右ヱ門に会うために町役場へ向かいましたが、小学校

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年11月 文化人が集った郷土社

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年11月 文化人が集った郷土社

 私の手元に「石巻辨(弁)」(昭和7年)があります。発行元の「郷土社書房」は、佐藤露江の「海の門」を発行した書店です。達は昭和6年11月11日に石巻を訪問した際、ここに立ち寄りました。

 石巻駅で降りた達は、まず役場に行き、渡辺忠右ヱ門(渡忠)に会いました。その後、石巻赤十字病院に案内してもらい、石巻日日新聞社を訪問しました。

 この後は第4話で紹介した「郷土社を訪ね渡辺邸へ行く。…郷土社で石

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和7年6月 最初で最後の個展

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和7年6月 最初で最後の個展

 私の目の前に、「彫刻展の観覧数」という見出しで始まる昭和7年6月15日の石巻日日新聞の切り抜きがあります。これは、達が残した新聞のスクラップ帳に貼られています。戦前の日日新聞は、ほとんど現存していないので、部分とはいえ貴重な資料です。

 記事は「石巻図書館において去る八日より開催した小室達氏作品展覧会は意外の好評を博し十三日を以って終了したが観覧総人員二千八百九十七名に達し婦人がその約四割を占

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和8年1月 心の支えだった親戚

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和8年1月 心の支えだった親戚

 私の手元に第1部で紹介した本「青春の遺作 高橋英吉 人と作品」があります。この中で、いくつか存在する「鳩」の一つについて「英吉氏と交遊のあった宮城県出身の彫刻家小室達氏のご親戚小室十郎氏所蔵作品」と書かれています。同書が出版された30年以上前、誰がこの事実を知っていたのか不明ですが、この一文がきっかけで十郎との関係を調べ始めました。

 十郎のことは「石巻市医師会史」に詳しく載っていました。それ

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和8年4月 石巻の総合プロデューサー

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和8年4月 石巻の総合プロデューサー

 私の手元に「石巻市市制施行40周年記念 カンタータ大いなる故郷石巻」というLPレコードがあります。第1部「英吉と達」の第1話で紹介した50周年記念レコードの10年前に作られたものです。なぜ、私がこの中古レコードを手にしているのか、それは第4楽章「祝祭」の最後に「石巻風景」という歌が取り入れられているからです。

 レコードの解説には「昭和8年石巻市市制施行記念に作られた『石巻風景』を少年少女合唱

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和8年5月 日和山にあった迎陽閣

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和8年5月 日和山にあった迎陽閣

 私の目の前に「宮城懸人」(昭和8年5月発行)という本があります。まねきショップ(石巻市門脇)の本間英一さんが所蔵しているもので、東京の宮城県人社が月刊で発行していた、宮城県の歴史や出来事を紹介する本です。

 この中で、玄生という人物は新しく誕生した石巻市のことを書いています。主な内容は、石巻を訪れ、日和山の鹿島御児神社の境内にあった「迎陽閣」で石母田正輔初代石巻市長と会談し、市長になるまでの経

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和10年5月 石巻が生んだ代表作

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和10年5月 石巻が生んだ代表作

 私の目の前に「石巻市長 石母田正輔」と記された芳名録があります。これは達が伊達政宗公騎馬像(政宗像)の小品(小型の像)を頒布した人の名簿です。

 達が昭和8年から制作し始めた政宗像は、10年5月に仙台城址に設置されました。これを見た多くの人は戦いに行く姿と思うようですが、達は政宗が采配(扇)を腰に当てて仙台城に入場し、新しい街を造ろうとしている姿を表現したのです。

伊達政宗公騎馬像小品

 

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