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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和7年6月 最初で最後の個展

 私の目の前に、「彫刻展の観覧数」という見出しで始まる昭和7年6月15日の石巻日日新聞の切り抜きがあります。これは、達が残した新聞のスクラップ帳に貼られています。戦前の日日新聞は、ほとんど現存していないので、部分とはいえ貴重な資料です。

 記事は「石巻図書館において去る八日より開催した小室達氏作品展覧会は意外の好評を博し十三日を以って終了したが観覧総人員二千八百九十七名に達し婦人がその約四割を占め最初のこころみとしては大成功であった」と伝えています。

⑩記事切り抜き差し替え

個展の開催を伝える石巻日日新聞(しばたの郷土館所蔵)

 達の日記にもこの記事に関連することが書かれていました。6月9日には「石巻の渡辺(忠右ヱ門)氏の親戚なる中田与吉君なる人見えた。雑談す。石巻の展覧会はたいしたものではないらしい」と記されています。これを聞いてさぞやがっかりしたことでしょう。

 しかし、新聞記事の「意外の好評を博し」からは、主催者も開始前はあまり期待していなかった感じが伝わってきます。

 9日には「石巻忠右ヱ門氏から書面あり。図書館で僕の個展をしてくれた由」と記されています。この後に、第3話の「日日の佐藤露江君にブロンズの凝視を贈ることに決意し通告した。石巻水道完成と同時に日和山に噴水を造るらしく帝展十回のダンスを利用されたき旨希望する」と続けています。

 冒頭の新聞記事のことは16日に記されていました。「石巻の渡辺氏から個人展の入場者数一覧表とその模様を知らせてくれた。良く入った日は600人を超え少ない日でも200人以上で塊人社展(所属していたグループの展覧会)以上の成績であった」と喜びの気持ちを書き記しています。

 ではどのような作品が展示されたのか。

 開催前の5月30日に「小品五点石巻に客車便で送る」と書いてあるので、これらが展示されたと考えられますが、詳細がどこにも記されていないので分かりません。

 個展の主催者は誰だったのか。日日新聞で記事にしていることや露江に作品を贈ろうと決意したころから、主催したのは露江ではないかと思います。そして忠右ヱ門が協力者となり、当時の図書館長である石母田正輔がそれを支援したのではないでしょうか。

1(塊人社展) (2)

達も出品した塊人社展。石巻での個展はこれ以上に盛大だったと日記に書いた

 達は、亡くなる前年の日記に「来春には個展を開きたい」と記しています。しかし、実現できぬままこの世を去ります。生前、数々の展覧会には出品していましたが、個展は開催していなかったので、石巻図書館で開催されたものが唯一の個展だったと思います。

 現在の図書館は、当時のものとは違いますが、展示スペースがあるので、いつか小室達展をしてほしいと考えています。その時は、第1部で紹介した資料も含めて「達と英吉・石巻」に関する昭和の懐かしいものを展示してほしいと思います。


筆者プロフィール-01



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