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令和2年 もう一つの正輔像

 私の手元に「石母田正輔翁像」(正輔像)の写真があります。住吉公園の像ではありません。

 令和2年1月、正輔の五男達(たつ)さんが、神奈川県でご存命であることが分かり、連絡すると息子の大(だい)さんが対応してくれました。

 家に石こうの正輔像があるというので、てっきり住吉公園の正輔像の原型(石こう像)だと思い説明すると「石巻の正輔像は何度も見ていますが、それとは違うものです」と返ってきました。大さんは、正輔の三男節(せつ)さんの介護のため、何度も石巻を訪れていたそうです。

⑲1 新たな石母田像

石母田正輔翁像(昭和22年作 石母田大氏蔵)

 石こう像の詳細を聞くと、高さ40センチ位で、胴体の中は空洞。内側に「小室達」などの文字が彫られているということでした。メールで送られてきた写真を見ると、やはり公園の像とは異なるものでした。内側には縦書きで「昭和廿二年五月 小室達 号陽園作」と彫られていました。新たな作品が発見された感動的な瞬間でした。

 その後のやり取りで、大さん宅(横浜市)の自称「石母田ミュージアム」(書斎)には正輔ゆかりの品があると分かったので、達に関するものがあるのではないかと考え、訪問させていただくことにしました。

 大さん宅に着き、訪問の目的を改めて伝えた後「石母田ミュージアム」に入りました。棚や壁には、正輔ゆかりの品が数多く飾られていました。正輔が亡くなった昭和16年に子供5人で分けた物が、再び孫の大さんの所に集まってきたそうです。

 さっそく石こう像を見せていただくと、トレードマークの長ひげが特徴的なのは、公園の像と同じでしたが、初めて触る材質で柔らかい感じの表現でした。内側には完成後に削った「小室達」「陽園」の文字が並んでいました。

⑲3 達のポートレート

達撮影のポートレート(しばたの郷土館所蔵)

 その他に目を引いたのは、石巻市章の紋が入った和服を着た肖像画でした。そして、ふと上を見ると、額に入った見覚えのある写真が飾ってありました。訪問時に正輔のポートレートを持参しましたが、それと同じ写真でした。大さんによると子供の頃から家にあり身近に感じていたそうです。

 後日、石こう像の制作過程を知るため、改めて像に刻まれた22年5月の日記を調べました。17日「故石母田翁胸像土附開始」、18日「石母田翁作り」、20日、22日「石巻前市長石母田翁胸像制作」、24日「石母田翁胸像の土掻き出し組たて。石母田翁完成」と8日間で仕上げていました。

 26日には「渡辺忠右ヱ門氏に石母田未亡人の安否問合せ状差出」とあり、その後石こう像は家族のもとに送られたのです。

 正輔のために達は2体の胸像を制作しましたが、何を見て作ったのでしょう。実は、達が撮影したポートレートには正面から撮ったもう1枚が存在するのです。きっと達はどちらもアルバムに貼った「石巻市長 石母田殿」と書いた写真を見て、お世話になった正輔のことを回想しながら制作に打ち込んだのだと思います。

※豆情報 「陽園」という号を達が使い始めたのは、21年4月からです。「とほる作」という銘が多い中、どのような時に「陽園」を使ったのか、調べる楽しみが増えました。


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