![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/39112945/rectangle_large_type_2_c747899b5ebc1d846eb15e9a36086d2f.jpg?width=1200)
昭和12年 今も残るゆかりの場所
私の目の前に「鶏釜めし」があります。場所は「割烹滝川」です。
昭和12年7月15日から石巻を訪問した達は、3日目にいろいろな場所に行きました。日記には「木村得太郎氏らと4人で小室十郎君を訪ね、宝印舗に寄った。石母田前市長を訪ね就床中故遠慮し後、毛利コレクションを見学す。三万点のコレクションあるに驚きさらにあらゆる方面の造詣深く全く斯道の学者である。この頃より雨となり此処を辞去して松泉堂支店に老人を見舞う。一同の要求で釜めしを供し中村屋に就床す」と書かれています。
滝川の鶏釜めし
この中で、不明だったのは釜めしをどこで食べたのかということでした。昭和8年当時の石巻の地図で中村屋旅館を見つけた時、真っ先に目に入ったのが滝川でした。
それは、私が石巻に来て初めて入った飲食店で、その時食べた釜めしの味が印象的だったからです。その後、第3話で紹介した「海の幸山の幸」(佐藤露江等著)で大正3年創業の釜めしの元祖だと知り、達が訪れたのは滝川ではないかと考えました。
店主の阿部司さんに昭和初期にも出していた釜めしを食べたいとお願いすると、創業以来の定番でずっと受け継がれてきた秘伝のタレを使っているという「鶏釜めし」が運ばれてきました。一口食べると、柔らかな鶏肉とご飯の絶妙な味が口の中に広がりました。
達の家の裏にあった鰻の養殖場(しばたの郷土館所蔵)
滝川は鰻も有名です。達の家の裏には鰻の養殖場があり、来客があるとよくご馳走していたので、当時の親方とこの話で盛り上がったかもしれません。達と同じ釜めしを食べ、昭和初期の石巻に行ったような気分になりました。
達の石巻訪問4日目は「ハイヤーで石巻出発牡鹿半島の景色を賞でながら十一面観音に詣で鯨の解体を見学し鯨の肉を賞味し小島の渡でハイヤーを捨て金華山に渡る。黄金神社に詣で社務所に休憩した。今日の収穫は十一面観音と鯨の解体であった。六十余尺の大鯨も見る見る四十分で解剖せられてしまう事である。刀の切れ味、全く想像に余る」という行程で、今も給分浜の陽山寺に残る十一面観音の彫刻のすばらしさに感心したようです。
金華山に行くのは6年ぶりですが、伊達政宗公騎馬像が無事完成したことを報告したのではないでしょうか。
(左から)鯨の歯、印材、パイプ
この年は氏家栄次翁胸像制作の契約のため、5月にも石巻を訪れています。日記には「宝印舗を訪ね鯨の牙やパイプをもらい受ける」と記されています。この店には8年にも行っていて「鯨の印材をもらい彫刻も同時に頼む」「抹香鯨の印材とパイプを買う」と記しています。
達は、旧制白石中学校(白石高校)在学中から判子作りの名人と言われ、学校から父母教師会印などを頼まれるほどの腕前でした。抹香鯨の印材は、東京に帰った後に判子にしたのでしょう。
※豆情報 12年の訪問2日目の7月16日の日記には「日和山の迎陽閣に到る。相当風強く浪高く海上は荒れている」と記しています。11話で紹介した迎陽閣の達作品について、なくなっていたとは書いていないので、この頃はまだ残っていたと思われます。
最後まで記事をお読みいただき、ありがとうございました。皆様から頂くサポートは、さらなる有益なコンテンツの作成に役立たせていきます。引き続き、石巻日日新聞社のコンテンツをお楽しみください。