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昭和12年9月 水利事業の功労者

 私の目の前に達のアルバムに貼られた「氏家栄次翁 桃生郡佳景山」と書かれた写真があります。日記を調べると昭和12年に制作されたことが分かりました。

 始まりは3月15日「鹿又村の熊谷喜蔵氏から水利翁氏家氏の胸像建立するに就きその代価の問い合わせに接した」でした。その後、制作を依頼され、5月5日に渡辺忠右ヱ門と一緒に佳景山の広渕水利事務所を訪ねました。

 そこで、胸像建設委員に会い建設予定地を調査し、制作用に氏家翁の肖像を撮影しました。契約は翌日行われ、制作費1300円(胸像800円、台石500円)で調印しました。

⑮1 氏家栄次翁のブロンズ胸像

氏家翁の胸像写真(しばたの郷土館所蔵)

 6月22日から制作が始まり、その後の「頭部や耳など相当整理す」「洋服、カラー、ネクタイを整える」「種々苦心の結果制作は非常な進展を見た」「写真上の制作可能の最大限度に達した」を経て30日に粘土の像が完成しました。写真から像を作る作業は、苦労が多かったようです。

 7月7日、氏家翁、孫夫婦、曽孫、委員3名がアトリエを訪問し胸像を見ました。本人と孫夫妻は満足していましたが、委員からは「少し若く、太って居り、首が太い」と指摘されました。1時間かけて修正し、完成した作品の前で記念撮影を撮りました。その後、石膏型を作り、鋳造所で銅像が完成したのは9月10日でした。

 同月14日、達は佳景山に行き銅像設置の作業を見学しました。翌日の午前中に台石の据付けが終了し、午後に胸像を設置しました。達は日記に「胸像、文字板、台石共に非常な好評である」と記しています。

 氏家栄次とはどのような人物でしょうか。私がそれを調べるため石巻市遊楽館の図書コーナーに行くと、河南町誌(昭和42年発行)に「氏家栄次翁寿像碑」の説明が載っていました。そこには「翁は桃生郡鹿又村の生まれで、遠田、桃生、牡鹿、石巻市の水利関係の議員や委員を務めた。(中略)水利組合は翁の功績を称え、小室達に寿像を依頼した」と記されていました。

⑮2 台石裏の小室達の文字

台石裏の「小室達」の文字

 胸像の写真があったので、館内のスタッフに場所を聞くと「河南東中学校近くの食堂の裏山にあるが、震災で落下した」と教えてくれました。

 言われたとおりに食堂裏の細い道を上ると「佳景山配水場」があり、フェンス沿いにさらに歩いていくと台石の下に胸像が見えました。期待を込めて近づきましたが、達作品とは全く別物の石像でした。

 背面には「1958年秋 石ニテ復原」と彫られていたので、達作品は戦時中の金属供出にあったのでしょう。残念な結果に終わりましたが、達が来た場所に立ち、台石裏の説明(河南町誌と同じ)にある「小室達」の文字を見て満足しました。

 後日、27年の日記を見ていると4月19日に佳景山の水利組合の事務所で、かつて氏家翁とアトリエを訪問した人物と会い、銅像の復元には15万円位かかると伝えたと記されていました。委員会にかけて手続きを取るという返事だったようですが、5月21日に「氏家翁像予算の都合で見合わせる」と連絡があり、願いは実現されませんでした。

 達が氏家翁像の復元に使おうと思っていた原型が、しばたの郷土館に現存しています。これを利用すれば、ブロンズ像の復元が可能です。実現は難しいかもしれませんが、いつか複合文化施設で石巻と達の企画展が開催されたら氏家翁像の原型を展示してほしいです。

筆者プロフィール-01



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