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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年10月 光明皇后施薬之像の依頼

 私の目の前に「光明皇后施薬之像」があります。場所は、石巻赤十字病院です。この像のことは、私にとっての石巻の歴史の先生の一人である佐々木慶一郎さんが、令和元年8月8日の本紙で紹介しています。

 昭和6年10月12日、銅像の件で面会したいという日赤支部病院(日赤)の内藤勝院長から電文を受けた達は、急いで準備をし、翌日の昼頃、石巻駅に着きました。渡辺忠右ヱ門に会うために町役場へ向かいましたが、小学校の運動会に行っていて、不在でした。そこで日赤へ電話し、病院で院長に面会しました。

1原型(塊人社展)

塊人社展出品の原型(しばたの郷土館所蔵)

 日記には「銅像は光明皇后とするらしく、日赤本社及県の支社の許可を得れば依頼するそうで、その方は大体問題は解決したらしい」と記されています。その後、湊に建設中の新館を案内され、銅像を置く玄関前の予定地を確認しました。

 自宅に帰った達は、10月19日からさっそく光明皇后の偉業を調べ始めます。達は、対象となるものの形だけでなく内面も大事する人でした。31日から始めた心棒(像の骨格)作りを2日間で終え、土付け(心棒に粘土を付ける)を行いました。別の作品作りもあり、制作は翌年まで続きました。そして7年3月16日「光明皇后像の制作に専心没頭し午後4時頃完成となった」という原型(石こう像)ができ上がったことが記されています。

2小品

しばたの郷土館に残る小品

 この像は、20日から開催された達が所属していたグループの第2回塊人社展に出品されました。23日に像の写真を院長や忠右ヱ門に送ると、最終日の31日には内藤院長が訪れ、像の前で記念写真を撮りました。

 半年後の9月26日からは光明皇后像の小品(小型の作品)作りに入りました。10月2日には原型ができ上がり、石こう型を取りました。鋳造所に依頼した商品は19日に完成し、東京に来ていた内藤院長に手渡されました。

3今の日赤前の像

現在の病院に立つ像

 8年、鋳造を終え完成した光明皇后施薬之像は石巻に送られました。そして、4月から光明皇后が来院者のことを見守り始めたのです。平成18年に病院が移転してからも、現在地で病と闘う人たちを見守っています。

 戦時中の金属供出の際、光明皇后像は無事でした。それは、皇后に敬意を表すという気持ちがあったからかもしれません。この像は、これからも石巻のことを見守り続けてくれるでしょう。

※豆情報:達は石こう型から光明皇后像の小品をいくつか作りました。内藤院長が手にしたと同型のものが、しばたの郷土館(柴田町)で展示されています。石巻赤十字病院のものとは、違う部分があるので訪ねて見比べてください。佐々木慶一郎さんの記事はインターネットで「石巻日日新聞 光明皇后」と検索すれば見ることができます。


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