見出し画像

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和8年1月 心の支えだった親戚

 私の手元に第1部で紹介した本「青春の遺作 高橋英吉 人と作品」があります。この中で、いくつか存在する「鳩」の一つについて「英吉氏と交遊のあった宮城県出身の彫刻家小室達氏のご親戚小室十郎氏所蔵作品」と書かれています。同書が出版された30年以上前、誰がこの事実を知っていたのか不明ですが、この一文がきっかけで十郎との関係を調べ始めました。

 十郎のことは「石巻市医師会史」に詳しく載っていました。それは、三十数年間にわたり市医師会の会長等の役職を務め、石巻の医療に貢献したからです。

1 英吉作品の「鳩」

英吉作品の「鳩」(「青春の遺作」より)

 十郎は、達の故郷の柴田町の隣、角田市で明治31年に生まれました。東北帝大医学部で学び、大正13年から青森で勤務しました。昭和7年に日赤支部病院(日赤)の眼科医長となり、湊に新築移転した後も勤務しました。石巻の方ならご存じの小室眼科(立町)は、11年の開業です。

 達の日記に初めて出てくるのは昭和8年1月16日の「日赤病院に内藤院長を訪問し十郎君に十数年振りで面会した」です。その後は伊達政宗公騎馬像の制作に入っていくため、石巻を訪問することがなくなりますが、この再会から2人の絆は深くなっていくのです。

 11年12月7日「石巻の小室十郎氏から渡波町長の銅像建設の議あり八尺五寸でいくらか問合せあり」、12年5月5日「小室十郎氏を訪ねた。大いに歓待さる。ここに一泊す。眼科は石巻に少なく非常にはやっている由」、7月19日「十郎氏を訪ね如意輪像に対し三百円くれ、大いに悦んだ」など石巻での新たな理解者について記しています。12年の日記には小室眼科開業の新聞広告が入っていました。

 十郎のことを聞くため小室眼科に電話しましたが、つながらなかったので実際に行ってみると、病院はなく駐車場になっていました。よそ者の私は、すでに閉院したことを知らなかったのです。その後、お孫さんが関東で眼科を開業していることを知り、連絡を取ることができました。

2 達作品の「裸婦座像」

十郎所有と同型の「裸婦坐像」(しばたの郷土館所蔵)

 十郎は達のいとこの小室きんと結婚し親戚になったそうです。きんの父は、達の叔父源ノ助で、実家(柴田町槻木)の近くで眼科を開業していました。達の父源吾は、息子を医者にするために小学生の達を弟の源ノ助に預けました。しかし、血を見るのが嫌いだった達は自宅に戻り、好きだった美術の道へ進んだのです。

 源ノ助はその後、仙台の空堀町で眼科を開業しました。十郎がきんと出会ったのはこの頃で、8年の日記に「十数年振りで面会した」と記した達とも、源ノ助の家で会ったのでしょう。

 お孫さんに英吉作品の鳩のことを聞きましたが、知りませんでした。しかし「とほる」という銘がある小さな裸婦坐像があると教えてくれました。「とほる」は、達が作品に記した銘です。十郎は達と英吉の作品を所有していたのです。

 第8話で湊に新築移転した日赤に光明皇后施薬之像が置かれたことを紹介しました。中心となっていたのは内藤院長ですが、親戚の十郎も何らかの形で関わっていたと思われます。

※豆情報 小室眼科開業の新聞広告は「石巻の歴史第十巻別冊」に載っています。これを見て掲載日が昭和11年11月10日だと分かりました。


筆者プロフィール-01



最後まで記事をお読みいただき、ありがとうございました。皆様から頂くサポートは、さらなる有益なコンテンツの作成に役立たせていきます。引き続き、石巻日日新聞社のコンテンツをお楽しみください。