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鈴木秀之のノート。

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(令和3年3月14日〜)
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2023年6月の記事一覧

「学習」という場面の人間関係のこと。

「学習」という場面の人間関係のこと。

人間関係においては、たとえば、
どちらかの側のほうが、
100パーセント完全に悪い、という場合もあれば、
どっちもどっち、つまり、どちら側も
50パーセントずつ悪い、という場合とか、そして、
どちらか側はかなり悪くって、そして
どちらか側はほとんど悪くない、つまり、
80パーセント悪い側と、
20パーセント悪い側とに分かれる、とか、
この「80」とか「20」とかの数字は。その場合によって
変わって

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「祝福」を受けたからこそ。

「祝福」を受けたからこそ。

さくじつとおとといのブログでは、
ぼくが「ブログ」を書くことについて、
じぶんなりに考えていることをしるしたのですが。

もっと、そもそもを言おうとするならば、
そう言えば、ぼくは当初、ブログを
じぶんから始めたわけではなかった。

さくじつのブログでもすこし書いたけれど、
ぼくは二十代前半ごろだった2005年ごろ
ブログを書き始めたんですが、それはね、
当時、グラフィックデザイン科の専門学校へと

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プリゾナー・オブ・ログ。

プリゾナー・オブ・ログ。

前回noteでは、ぼくはなぜ、
ブログを書いているんか? ってゆうのはさ、
じぶんでもようわからん、たとえば、
だれかへどうしても伝えたい、ということも
とくに無いんだし。けれども、その根拠をね、
強いて挙げるとするならば、それは
「義務感」だとも思っている、
みたいなことをしるしたのですが。

ここからさらにもうすこしだけ、
ぼくがなぜブログを書いているか?
のことをじぶんなりに考えてみました。

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義務感とわくわく。

義務感とわくわく。

ぼくは日々、こうして
ブログを書いているけれども。
でも、ぼくとしてはね、
「文章を書く」ということは、
苦手、というか、むつかしい、というか、
ときにはさ、ちょっと、めんどくさい、
とかさえも思ってしまうんだ。

「文章を書くのが好き!」
とのようにおっしゃる方が、
すごいなあ、と思うし、そしてまた、
うらやましいな、とも感じるのよね。

ぼくは、やっぱり、
「文章を書く」ことが、
「好き」だと

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電車を乗り換えるようなときのブログ。

電車を乗り換えるようなときのブログ。

日々、ブログを書いていると、
ときにはさ、ちょっと、なんというか、
ブログ書きたくない、ではないけれども、
ブログ書くのめんどくさい、というか、
億劫、というか、疲れたなあ、というか、
そういうような日もあって、
じつは、まあ、今日がその日っぽいんですが。
そういうような日には、なんだか、こうして
言い訳っぽいことを記しながら、
お茶を濁したい。

日々、ブログを書いていれば、
そういう日もある!

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お味噌汁と愛情と性格とことばについて。

お味噌汁と愛情と性格とことばについて。

おとといのブログでは、たとえば、
「人間の性格って、何で決まるんだろう?」
ということを考えながら、でも、さらに
昨日のブログの中で考えてみたのはね、
この問いとは、そもそも、
問いの立て方が間違っていた、つまり、
人間の性格というものは、
何かの性質として決まったり、かつ、
何かの個性として定まるものでもない。
ならば、言い換えるとしたら、
「人間の性格とは、何に由来しているんだろう?」
という

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「氷山の一角」に過ぎないんだぜ!

「氷山の一角」に過ぎないんだぜ!

さくじつのブログでは、人間の性格とは
何で決まるんだろう? って考えながら、
たとえば、人間の性格というのは
「ことば」か?! と、つまり、その人が
どのような「ことば」を言うのか、によって
その人の性格が見えてくる、という仮説を立ててみて、
そこから考えてみたことをしるしたのですが。
このブログのなかでね、ぼくは
「その人の使う『ことば』とは、
 その人の性格や性質を表す
『氷山の一角』だと思う

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人間の性格と氷山とお味噌汁のこと。

人間の性格と氷山とお味噌汁のこと。

人間の「性格」とは、なんだろう?
と申しますか、つまりはさ、
人間の「性格」って、何で決まるんだろう?
みたいなことを考えるとすれば、
人間の「性格」というのは、
「ことば」か?! とも思ったりもする。
つまりはさ、その人が
どのような「ことば」を言うのか、によって、
その人の性格が見えてくる。

いや、でも、たとえば、それは
「ことば」だけでなくって、その人の
行動とか、仕草とか、表情とか、声と

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歌いたい歌を歌いたい。

歌いたい歌を歌いたい。

このまえのブログのなかでね、ふと、
アニメ「Dr.スランプ アラレちゃん」のオープニング曲
『ワイワイワールド』のことを思い出して、そのことを
ブログでも記してから、なんだか、みょうに
この歌のメロディーが頭から離れなくって、
ふとしたときには、歌ってしまっているの。

でも、この「頭から離れない」ってえのもね、
べつにいやな感じではない、というか、
むしろ、なんか、たのしい、というか。
あらため

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歌を「歌う」ようにして。(『エソラ』ver.)

歌を「歌う」ようにして。(『エソラ』ver.)

音楽を聴いているとね、とくには、
大好きな歌を聴いていると、
その音楽には、なんとゆうか、
大事なものすべてが入ってるかのようで、
不思議に感じられたりもする。

音楽とは、LとRの
ヘッドホンやスピーカー等から流れてくる
「音」の連なりのはずなのに、つまり
「音」には形も質量も無いはずなのに、
そこでは、立体的な空間が
立ち上がっているようにも思えてくる。

たとえば、歌の場合では、
楽器の演奏

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算木と呬と器物の二重の蓋の形。

算木と呬と器物の二重の蓋の形。

前回noteでは、いろいろな数字の数え方について
考えてみたことを記してみたけれども。
このことをブログ記してからさらに思ったのはね、
数を数えることにおいて、漢数字では
「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十」
と記されますが、たとえば、
「一」「二」「三」はわかるとしても、そこから
「四」という形になるのは、なんで?! って、
いつの日か思ったこともございまして。
ならば、せっかくの機会だと

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数字の数え方について考える。

数字の数え方について考える。

先日のブログの中ではね、
【「いっぽん」「にほん」「さんぼん」みたいに、
 その直前に来る語によって、次の語音が
 濁音、半濁音、変化しない、という場合があって。
 これってば、でも、ぼく自身は
 母語として当然のように変化させているけれども、
 それらがどういう規則で成り立っているか、
 考えてみれば、ぼくはよく知らないんだな。】
ってゆうのを書いたですが、そのあとでね、
「いっぽん」「にほん」

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一本につながるかのような。

一本につながるかのような。

クリエイターと呼ばれるような著名な方々が、子どものころ
「漫画家になりたかった」という夢を持っていた、
というお話しをインタビュー等でよく聞くのですが、
そういう意味で思えば、ぼく自身は
「漫画家になりたい」というのは、
これまで一度も思ったことがない。

そもそも、ぼくは子どものころでも
あんまり漫画を読んでいなくって、なので、
とくべつ、漫画が好き、というふうでもなかったし。
それでもね、漫画

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過去形の夢の話し、だけでなく。

過去形の夢の話し、だけでなく。

昨日のブログでは、たとえば
「読書」や「予定」についてブログで書くときには、
ぼくは極力、それを終えたときに、つまり、
その本を読み終えたとき、もしくは
その予定が無事に終わったとき、というような、
書き方としては「過去形」で書こうと思っている、
ということを書いたのですが。

このことと似たようなこととして、たとえば、
「夢」を語るときにもね、
読書や予定のときみたいに、
ちょっとばかり慎重にな

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