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「祝福」を受けたからこそ。

さくじつおとといのブログでは、
ぼくが「ブログ」を書くことについて、
じぶんなりに考えていることをしるしたのですが。

もっと、そもそもを言おうとするならば、
そう言えば、ぼくは当初、ブログを
じぶんから始めたわけではなかった。

さくじつのブログでもすこし書いたけれど、
ぼくは二十代前半ごろだった2005年ごろ
ブログを書き始めたんですが、それはね、
当時、グラフィックデザイン科の専門学校へと
通い始めてからのある日、担任の先生より
「ひでしくん、ブログを書いてみたらいいんじゃない?」
とのようにおっしゃっていただいたことをきっかけとして、
ブログ、開設したんだった。

先生がどう思われてそのことをおっしゃったかは、
ぼくにはわからないですが、先生の言われるには、
これからデザインを学ぶにおいて、
そのなかで考えたことをブログで書こう!
とのことでして。そして、じつはさ、ぼくは
大学を卒業して就職してその半年程で退職をしてから
専門学校へと入学したけれども、ぼくと同じく
大学を卒業してから入学したクラスメイトがおられて、
その彼と、二人でブログ書いたら?
みたいなことを先生はおっしゃっていて。
でも、結局、そうではなくって、
ぼく一人で個人のブログを始めたのですが。

今、考えてみるとね、当時、
ブログが大ブームだったとはぞんじますが、ブログを
ぼくも興味が無いわけではなかったとも思うけれども、
じぶんの意志としては、ブログなるものを
始めたいとは思っていなかった。
つまりはさ、あのとき、もしも
先生からそう言われなければ、ぼくは
ブログを始めていなくって、そして、その後だっても
ブログやっていなかったやもしらない。

でも、先生がそうおっしゃったからこそ
ぼくも始めてみようと思い、そして、
紆余曲折はありながらも、今もなお
このnoteでブログを書いている。

ぼくがさ、このようにして
「ブログを書いている人生」と、はたまた、
「ブログを書いていなかった人生」とでは、
なにかがどう変わっていたのか?! ってえのは、
その二つの人生を、比較もできないから、
その変化もわからないけれど、でも、
ブログを書いているからこそ考えたこと、つまり、
ブログを書いていなかったら考えなかったこと、って
たくさんあるんだろうなあ、とは、ぞんじます。
(その逆もしかり、だとも思うけど。)

そう考えてみるとね、
そう言ってくださった先生には、感謝だなあ!
と思うし。そして、でも、逆を言えば、
おとといのブログでは「義務感」、及び、
さくじつのブログでは「囚人」と表現したですが、
こんかいのブログで思うのは、つまり、
ブログを書くということは、
先生からの「指導」であり、
先生からの「指令」であり、なおかつ、
どうしても聞かねばならない、という
先生からの「呪い」としても、
機能しているようにも思っている!!!

でもね、たとえば、とくに
書きたいことも無いようなぼくの性格的には、
じぶんからの意志によってブログ始めるのは、
けっこうつらいこともあるんだろうから、
案外、だれかから、つまり、先生から
言われて始める、というのが、
性に合っていたとも思われるのよね。

この上では、
「呪い」と書いたのですが、逆を言えば
「呪い」とは、ある意味では、
「祝福」だとも言えると思うのね。

そんな「祝福」を受けたからこそ、
ぼくは今、
こうして、ブログを書いている、つまり、
こうして、生きている、と、思えたいの。

令和5年6月29日