義務感とわくわく。
ぼくは日々、こうして
ブログを書いているけれども。
でも、ぼくとしてはね、
「文章を書く」ということは、
苦手、というか、むつかしい、というか、
ときにはさ、ちょっと、めんどくさい、
とかさえも思ってしまうんだ。
「文章を書くのが好き!」
とのようにおっしゃる方が、
すごいなあ、と思うし、そしてまた、
うらやましいな、とも感じるのよね。
ぼくは、やっぱり、
「文章を書く」ことが、
「好き」だとは言えないな。
たとえば、
「文章を書く」ということが、
「好き」ではないんだともすれば、むしろ、
「嫌い」なのやもしれない、
って思うふしもある。
ならば、そんなぼくが、なぜ、
このブログを書いているのか?
ってゆうのはさ、もう、
じぶんでもよくわからない。
たとえば、
ぼくから、みなさんへ、
このことをどうしても伝えたい!
ということも考えられないし。
そもそもを言うとすれば、
ブログを書くこと、及び、
文章を書くことには、
理由とか、動機とか、大義名分とか、って、
必要なのかなあ? とも思うようにもなってきた。
でも、なんだか、
強いて挙げるとしたら、それは
「義務感」なのやもしらない。
なにかを行うことにおける
「義務感」ということばって、いわば、
忌み嫌われるものだとも思うけれども、
でも、ぼくの場合は、
それ以上の語句が見当たらなくって。
「義務感」のね、末尾の
「感」の字がよくないのかなあ?
ともすれば、その「感」を取ってしまって、
「義務」のほうがよいのか?! でも、そんな、
「義務」としてしまえば、
ちょっとつよすぎてしまう、というか、
絶対的、というか、守らねばならない、というか、
なまけられない、というか。
以前、このブログではね、
「消極的にブログを書くこと。」というのを記したですが。
つまりはさ、たとえば、
文章を書くことが「好き」とは言えないぼくには、
積極的にブログを書こうとすることもできなくて、
ならば、やっぱり、そんなような
「消極的」な気持ちで、はたまた、
「義務」よりかは弱そうな「義務感」の気持ちで、
ブログを、そして、文章を書けたいの。
そうでも思っていなければ、
ぼくは、文章というものを
とてもとても書けないから。
とは言えども、そんなぼくでも
文章を書くときには、
嫌々書きたくはない。
せっかく文章を書くならば、
文章を書いているあいだの時間には、
わくわくできたい。それは、でも、
文章を書くときだけでなくって、
どんなときでも、
わくわくできたいわ。
令和5年6月27日