「氷山の一角」に過ぎないんだぜ!
さくじつのブログでは、人間の性格とは
何で決まるんだろう? って考えながら、
たとえば、人間の性格というのは
「ことば」か?! と、つまり、その人が
どのような「ことば」を言うのか、によって
その人の性格が見えてくる、という仮説を立ててみて、
そこから考えてみたことをしるしたのですが。
このブログのなかでね、ぼくは
「その人の使う『ことば』とは、
その人の性格や性質を表す
『氷山の一角』だと思う。」
ということを申しました。
ぼくはさ、この
「氷山の一角」という語句がね、
けっこう好きなのでして。
かと言いながら、ぼくは
ほんものの「氷山」ってえのは、
この目で見たこともないんですが、でも、
海に浮かんでいる氷山とは、
目で見えている部分だけではなくて、
海中では、もっともっともっと大きな部分が
存在している。つまり、目で見える部分とは
「氷山の一角」なのだ。
というのってば、でも、
「氷山」だけでなく、あらゆることにおいて、
目で見えている部分とは
「氷山の一角」でさ。言い換えれば、
ほんのわずかなものしか、
目には見えていなくって、かつ、
ほんのわずかなものしか、
表面では現れていない。
それは、たとえば、
「木を見て、森を見ず。」
というか。はたまた、たとえば
『星の王子さま』の一節における
「かんじんなことは 目に見えないんだよ」
のような?????
人間の「性格」だってもね、
この目で見えている範囲の物事とは
そんな「氷山の一角」に過ぎなくって、
その人は、その人なりの
性格や性質や個性を飛び超えるかのような、
ほんとうは、もっと、もっと、もっと
まったくちがう一面だってもあるやもしらないな。
たとえば、
いつもとても元気な人でも、
ひとりで居るときには、
あるときには涙を流しながら
孤独について考えておられるやもしらないし、
そしてまた、
おとなしそうに見える人でも、
ひとりで居るときには、
ロックの音楽を大音量で聴きながら
激しく踊り歌っているやもしれない。
って考えるともすれば、
さくじつのブログでぼくが考えようとしました
「人間の性格とは、何で決まるんだろう?」
という問いはさ、そもそも、
問い自体が間違っていた。つまりはさ、
人間の性格とは、何かの要素によって
「決まる」わけではなくって、つまり、
「定まる」ものでもなくって、いわば、
あるときにはこういう性格で、
またあるときにはこういう性格で、
さらにまたあるときにはこういう性格で、
って、流動的に動いてゆくものなんだ。
じぶん自身の個性、という、つまり、
「キャラ」の中に押し込められるようにして、
じぶん自身の性格を決定させてしまうとすれば、
いまだ見知らぬじぶんの性質とも出合えない。
そんなときにはさ、やっぱり、
「音楽」を聴けばよい、と思うの。
ぜんぜん聴いたことのないような
ジャンルの音楽を聴くことによって、
新しいじぶんを発見するやもしらないし、
そしてなおかつ、
これまで感じたことのないような
新しい感情を見出せるやもしらない。
ぼくだってもね、この
じぶん自身とは、まだまだ
「氷山の一角」に過ぎないんだぜ!
って信じながら、音楽も聴きながら、
考えていたい。そのときにはさ、
ウイスキーのロックを呑みながら。。。
令和5年6月24日