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人間の性格と氷山とお味噌汁のこと。

人間の「性格」とは、なんだろう?
と申しますか、つまりはさ、
人間の「性格」って、何で決まるんだろう?
みたいなことを考えるとすれば、
人間の「性格」というのは、
「ことば」か?! とも思ったりもする。
つまりはさ、その人が
どのような「ことば」を言うのか、によって、
その人の性格が見えてくる。

いや、でも、たとえば、それは
「ことば」だけでなくって、その人の
行動とか、仕草とか、表情とか、声とか、
あとはなんか知らないけど、もっとなんか
いろいろなことも関係しているとは思うですが。
でも、なんだか、結局のところ、
人間の性格には、「ことば」が
大きく由来しているようにも感じられる。

そのような「ことば」には、たとえば、
どういう語句を言うのか、
ってゆうのもそうだとも思うし、はたまた、
口癖とか、語尾とか、挨拶とか、人称とか、
そういうようなことばだっても、
その人の「性格」だと思う。

とは言ってみても、ならば、
「よいことば」だけを言っていれば、
その人は「よい人」で、そして、
その人は「よい性格」なのか、ということは
そうじゃあない、とも思うけど、
では、どういうふうに
「そうじゃあない」のか? ってえのもね、
うまく言えないけれども。

たとえば、その人が、
そのことばを言うことが
似合わない、というような場合もあって。
つまりはさ、どれだけ
「よいことば」を言ったとしても、
そのことばを、その人が言うには
どうにも「うそ」っぽい、と、感じてしまう、
というか。言い換えれば、
そのことばを、その人が、
どういう目的で、もしくは
どういう理由や動機で言おうとしているか、
ってゆうことが、ときには
透けて見えてきてしまうこともあるともすれば、
人間の性格とは、その人自身が使う
「ことば」自体ではなくって、その
「目的」や「理由」や「動機」のほうなのか?
とも考えられるような気もするけど。

その人の使う「ことば」とは、
その人の性格や性質を表す
「氷山の一角」だと思う。

つまり、もっともっと最深部のところでは
その人を表すかのような
「魂」みたいなものがあって。
そっちのほうが、より、
その人を表していて。そして、なおかつ、
その人が使う「ことば」というものは、
たかが「氷山の一角」にすぎない。

かと言いつつ、でも、
たかが「氷山の一角」にすぎないとしても、
されど「氷山の一角」でもあって。

たとえば、お味噌汁を作るときにはさ、
さじで味見をするけれど、その
ほんのすこしの味見だけで、
お味噌汁の味がだいたいわかる、みたいな、
「ことば」とは、そんな
さじによる味見のようなものやもしらない。

ならば、さしずめ、
人間の「性格」とは、
お味噌汁でたとえるとすれば、
「お味噌」と「お出汁」で決まるかもしれないなあ〜。
そのふたつがさ、つまり、いわゆる
人間で言うところの「魂」なんだろうぜ。

令和5年6月23日