記事一覧
和声法と和声聴音の基礎感覚 第2回
§1 声部の書法② 前回(https://note.com/haydnique_1210/n/n0edb8dd3b3f9)からえらく時間が経ってしまいました。正直自分でも忘れていたのですが、思い出したので執筆…
「学習者の気持ちがわかる」とは何か
様々な分野において、教師あるいは指導者を指して「あの先生は自分がもともと優秀だったから、『できない人』の気持ちがわからないんだ」などと評するのを、ときおり見かけるように思います。あるいは裏を返して「先生自身が昔は『できない人』の側だったから、『できない』生徒の気持ちがよくわかる」と言う場合もあるようです――こちらはしばしば教師や指導者自身が自身について言ったりもします。ここでの「できない」とは、
もっとみる板橋区立美術館「シュルレアリスムと日本」展より覚書
2024年4月13日(土)に、板橋区美術館で開催されていた「シュルレアリスムと日本」展を観てきました。以前にSNSで本展覧会のことを知り興味を持ったのですが、なかなか行けずにおり、しかし会期が4/14(日)までで終わってしまうということでなんとかギリギリに行った次第です。
さてこの記事のタイトルで「より覚書」としたのは、ここでは展覧会の総括的な感想を器用に書くのではなく、その一部、というよりあ
和声法と和声聴音の基礎感覚 第2回
§1 声部の書法② 前回(https://note.com/haydnique_1210/n/n0edb8dd3b3f9)からえらく時間が経ってしまいました。正直自分でも忘れていたのですが、思い出したので執筆します(需要があるかどうかはさておき)。
前回は各声部の旋律線を大まかにどう設計すれば良いか、ということを考察しました。今回はいよいよ声部間の関係の原則について述べていきます。そもそも和声
“伴奏者”としてのプライド
伴奏をするピアニストの中には「伴奏」という言葉に対して否定的な感覚を持っている人もいるようです。その背景にはどうも「伴奏」という言葉のニュアンスが「添え物、主役にくっ付いているおまけ」のようなあまり好ましくないものという観念があるでしょう。それは国語的に言って必ずしも妥当ではない一方で、実際に「伴奏(者)」が軽んじられる文脈と共にこの言葉が発せられる場面に何度も遭遇すれば、そうした忌避感が生まれ
もっとみる