ほりべえさんから、「「比較宗教学」について教えて下さい」なるコメントあり、・・・、分かりやすく言えば、自身の特定の研究分野の宗教のみならず、すべての宗教に対して、検討事項の類似点や相違点なども考察対象とし、相互比較により、特筆すべき点や特徴などを抽出する研究手法です。
宗教学研究において、特定研究分野の他、基本的な学問は、「比較宗教学」と「宗教社会学」であり、前者では、私のように、ユダヤ教の研究であれば、『聖書』(『聖書』と言えば『旧約聖書』)を吟味し、ヘブライ語で記された『聖書』を引用しつつ、議論できるようにしなければなりません。
潮出版社は、創価学会系、月刊誌『潮』は、比較的、発行部数の多い部類に入り、一般月刊誌に分類されるため、執筆していましたが、14年前、曹洞宗雲水になってから(「比較宗教学」を基に宗教研究者)、仏教宗派をやや意識するようになり、哲学+宗教=思想として、すべての学問の基礎と位置づけ。
『桜井淳宗教論』(論文・記事193本)は、昨日2時間、本日2時間で、編集を完了し、内容は、曹洞宗雲水としての問題意識のみならず、「比較宗教学」「宗教社会学」の視点から、ユダヤ教、ヒンドゥ教、仏教、キリスト教、イスラームについて、文献調査・現地調査の結果を自由に綴ったものです。
(続き)私の宗教学の研究分野は、「中世ユダヤ思想の研究」を中心とし、宗教基礎理論として、「比較宗教学」(ユダヤ教とヒンドゥ教と仏教とキリスト教とイスラームの相互比較)と「宗教社会学」(宗教と社会の相互作用)を極めており、少子高齢化による寺の経営状況や寺の数の減少問題なども検討中。
「感謝」や「祈り」の感情は、ヒトの脆弱さから生じた。故に人間は己を疑う。「信仰」とは己に勇気を与える為に他者を信じる所作だ。 片や「宗教」は集団統率と資源管理の為に共同幻想を利用したシステムにすぎない。 https://note.com/osdt/n/ne0af04df5eec
私は、東大大学院人文社会系研究科で、「中世ユダヤ思想」の研究を中心に、「比較宗教学」「宗教社会学」さらに、「インド哲学」も学び、「インド哲学」は、木に竹を接ぐように感るかもしれませんが、「インド哲学」の内容は、古代インド宗教(仏教やヒンドゥ教など)であり、本質は、宗教学です。