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五刧思惟のウォーミングアップ中

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    マガジン

    • 現代仏教論

      季刊『サンガジャパン』に連載した「パーリ三蔵読破への道」(のちに加筆修正のうえ『日本「再仏教化」宣言!』として単行本化)バックナンバーをはじめ、商業誌に寄稿した仏教に関する記事を公開します。

    • 大アジア思想活劇ーー仏教が結んだ、もうひとつの近代史

      教談師・野口復堂、神智学協会・オルコット大佐、スリランカ人仏教徒ダルマパーラ、そして田中智学などなど、十九世紀から二十世紀の正史、秘史を彩る人物たちがアジアを股にかけ疾駆する近代仏教絵巻。「少しく鳥瞰するならば十九世紀後半、近代日本の覚醒と時を同じくして、インドを中心とした南アジアでは、貶められてきた既存の精神文化を取り戻すべく、仏教やヒンドゥー教などの宗教復興運動が沸き起こりつつあった。その潮流はアジアを侵食する欧米の植民地主義への抵抗のゆりかごとなり、のちに先鋭的なナショナリズム運動へと展開してゆく。(中略)「日本仏教の近代史」を、その潮流のなかに位置づけたとき、いったい何が見えてくるだろうか。」(本文より) 佐藤哲朗『大アジア思想活劇ーー仏教が結んだ、もうひとつの近代史 』サンガ刊(2008年)の電子書籍版(2014年)を元に再構成しました。

    • 仏教書を読む

      仏教に関係する本を書評した記事を掲載します。

    • 近代仏教人物誌

      近代を生きた仏教者たちの諸相。『仏教人物の事典―高僧・名僧と風狂の聖たち』(学研,2005年3月)や『中外日報』連載「近代の肖像」への寄稿等を再録しました。

    • 仏教を知るキーワード

      『総図解 よくわかる 仏教』(2011,新人物往来社)に寄稿した原稿を再編集して掲載しています。番外編もあり!

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    増支部(アングッタラニカーヤ)の経典を読んでみる

    男と女の心を占領するもの(一集) このように私は聞きました。 世尊(お釈迦様)が舎衛城の祇園精舎に滞在されておられた時のことです。 そこで世尊は比丘(出家者)たちを「比丘たちよ」と呼びました。 彼ら比丘たちは「大徳よ」と世尊に応えました。 世尊はこのように説かれました。 比丘たちよ、私はこれほどに男の心を占領する体(色)は他に一つも見ない。比丘たちよ、即ち女の体である。比丘たちよ、女の体は男の心を占領する。 1-1 比丘たちよ、私はこれほどに男の心を占領する声は

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      • 14 明治日印交流史|第Ⅰ部 噺家 野口復堂のインド旅行|大アジア思想活劇

        島地黙雷の欧州歴訪とインド上陸 さて、ここで先ほど野口復堂の言に出た、渡印した日本の坊さんお歴々の履歴を述べておきたい。ついでに維新から明治二十一年までのインドと日本の人的な交流についても、筆者が調べた範囲で御紹介したいと思う。なかなか面白い人間模様がうかがえて興味が尽きなかった。 復堂が名前を挙げた北畠道龍、南條文雄、赤松連城はいずれも浄土真宗の僧侶である。このうち赤松連城について手元の資料では、彼がインドに上陸したという確証は得られない。あるいは復堂の記憶違いかもしれ

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        • 13 野口復堂 ついにインド上陸|第Ⅰ部 噺家 野口復堂のインド旅行|大アジア思想活劇

          南の島の天長節 そんな調子で密度が濃いんだかなんだかわからない日々を過ごしていた野口復堂。ほかにもセイロン人の結婚式に立ち合った際の印象記やコロンボの街頭で救世軍の一団を目撃し、その物真似をネタとしてマスターした逸話など、おかしな話題は枚挙にいとまないが割愛しておく。 ちょうど来島一カ月に足らんとした頃に、復堂は南アジアの小島で十一月三日の天長節(天皇誕生日)を迎えた。 「公使館か領事館があれば早朝御真影拝賀に出かけるのだが、それが無いのみか、陛下の御写真は新聞に出たの

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          • 書評:宮元啓一『新訳 ミリンダ王の問い ギリシア人国王とインド人仏教僧との対論』佐藤哲朗= 日本テーラワーダ仏教協会編集局長

            『ミリンダ王の問い(ミリンダパンハ)』は、アレクサンドロス東征に端を発するギリシア系植民国家の支配下にあった紀元前二世紀頃の北西インドにおいて、仏教僧侶とギリシア系国王の間に交わされた対論を記録したパーリ仏典である。同書は中村元・早島鏡正両氏による一九六三年の東洋文庫版全三巻の訳が定本となってきたが、現在は高価なオンデマンド版か固定レイアウトの電子書籍を購うしかない。宮元啓一氏(國學院大学名誉教授)による半世紀以上ぶりの現代日本語訳によって世界哲学史上の重要文献へのアクセスが

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          • 日本仏教は真の仏教か――ブッダの教えと大乗仏教の矛盾
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            12 野口復堂 セイロン珍談集|第Ⅰ部 噺家 野口復堂のインド旅行|大アジア思想活劇

            スマンガラ大長老との会見 もうしばらく、野口復堂のセイロン滞在記にお付き合いのほど御辛抱願いたい。さて、アラブの英傑アフマド・オラービーとの印象深き邂逅の、後か先かは定かではないが、復堂の口上に依ればその次にあたる訪問先は、セイロン仏教界の重鎮にして仏教復興運動の大イデオローグ、シャム派(貴族派 由来は後述)のスマンガラ大長老である。日本仏教の使者としてセイロンを訪れた復堂。当然ながら島の仏教関係者への表敬訪問に忙しかった。 二人の会見がなされたのは、スマンガラ大長老が学

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            11野口復堂 コロンボでの出会い|第Ⅰ部 噺家 野口復堂のインド旅行|大アジア思想活劇

            コロンボ上陸まで インド・スリランカの近代史を概観しているうちに、野口復堂先生の漫談からずいぶんと遠ざかってしまった。ここからは心機一転、楽しく教談ぶりにゆきたいと思う。 さて、オルコット大佐を日本に招聘すべく決死の覚悟でインド行きを決意した復堂センセイ。明治二十一(一八八八)年九月九日神戸港での涙の別れから、船は香港・サイゴンと来て暑気はますます加わって、さすがの復堂センセイも船室には居れず、甲板で夜を過ごした。同船の外人は日本から仕入れし赤い金魚にみな死なれて青い顔せ

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            10ダヴィッドがダルマパーラを名乗るまで|第Ⅰ部 噺家 野口復堂のインド旅行|大アジア思想活劇

            ブラヴァツキー夫人のインド追放 ダヴィッド青年がアディヤールでの短い滞在を終えてセイロンに帰還し、貝葉をめくってパーリ語の習得にいそしみ始めた頃、彼の崇拝するブラヴァツキー夫人は人生最大の危機を迎えていた。彼女の反キリスト的な過激な言動はインドで活動する宣教師たちの目の仇だったが、このとき宣教師たちは彼女の起こした奇跡にまつわるトリックの証言者を担ぎ出し、大々的なスキャンダルに仕立て上げることに成功したのである。暴露担当はブラヴァツキーの家政婦クーロン夫人。彼女がカイロにい

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            9「ランカーの獅子」の誕生|第Ⅰ部 噺家 野口復堂のインド旅行|大アジア思想活劇

            その生い立ち 「ダルマパラなる語は梵語にして漢字に訳すれば「護法」となり。而して法名である。戸籍上の俗名はクリスチヤン・ネームでエッチ・ドン・デビッドで錫蘭セイロン人でありながら亡国の民の悲しさブリッチッシュ・サブゼクト即ち英国臣民であって生れしところは錫蘭島のコロンボで、家は家具製造を職とする。  島中屈指の富豪の嫡男なるが、生来脚に病あり。二弟をして英国倫敦の大学を卒業せしめ、一は家職を次ぎ、他は官吏たらしめ、自分は不具者故仏門に帰依し、単身無妻にして跛ママ足を曳きつゝ

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            8白い仏教徒の闘い|第Ⅰ部 噺家 野口復堂のインド旅行|大アジア思想活劇

            神智学協会インド上陸 「旅の始まりはひどかった。船酔いに熱気と、それからアリア・サマジのボンベイ支部長から届いた多額の請求書──それがHPBを爆発させ、暴涜の言辞を吐かせた。にもかかわらず、協会の選んだ道は正しいものだった。」*19 一八七八年十二月十七日、ニューヨークを発った二人の神智学徒は、ロンドンを経て翌一八七九年二月十六日、インド西海岸の大都市ボンベイに到着し、積極的な講演活動を開始する。同年十月には、英文機関誌『神智学徒(The Theosophist)』を創刊

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            7パーナドゥラの論戦|第Ⅰ部 噺家 野口復堂のインド旅行|大アジア思想活劇

            パーナドゥラで何が起きたのか? 西暦一八七三年八月二十六、二十八日の両日。コロンボから南に十五マイルほど下った海辺のパーナドゥラ村で、スリランカの歴史に残る公開宗教論争*15が繰り広げられた。対論者はメソジスト派のデイヴィツ・デ・シルヴァ牧師ら二人のキリスト教宣教師、そして仏教僧ミゲットゥワッテ・グナーナンダ長老(Ven. Migettuwatte Gunananda Thera一八二三〜一八九〇)。 グナーナンダ長老はスリランカ南部沿岸の出身で、仏教僧とキリスト教宣教師

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            6インド洋の「仏教国」スリランカ|第Ⅰ部 噺家 野口復堂のインド旅行|大アジア思想活劇

            光り輝く島 いまや九億もの民がひしめく喧騒のインド亜大陸から東南約三〇キロメートルの海に、前章ではマンゴーと謂いましたがむしろ洋梨か、いや乙女の涙粒のごとき姿をさらした大きな島がある。この島全体がスリランカ民主社会主義共和国であり、六四、四五四平方キロメートルつまり北海道よりひとまわり小さな面積に約千八百万人の人口を抱えている。ご年配にはセイロンという呼び名のほうが通りがよいだろう。スリ・ランカとは「光り輝く島」くらいの意味で。名前に違わずルビー・サファイアなど宝石の産出地

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            5神智学協会インドへ向かう|第Ⅰ部 噺家 野口復堂のインド旅行|大アジア思想活劇

            スリランカ仏教の恩人──その意外な素顔 印度天竺は東南の海に、マンゴーのごとく浮かんでいる島国、スリランカ民主社会主義共和国。その実質的な首都コロンボの鉄道ターミナル駅にあたるのがフォート・ステーション。ランカー各地から長距離バスやら鉄道で流れ込む、褐色の雑踏行き交う駅舎の正面には、豊かな顎髭をたたえた格幅のよい初老のアメリカ人紳士の銅像がすっくと立っている。駅前を走るメイン・ストリートもまた、オルコット・マワタ(オルコット通り)と彼の名を冠している。 建前では民族主義的

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            4平井金三と野口復堂|第Ⅰ部 噺家 野口復堂のインド旅行|大アジア思想活劇

            ここまで駆け足で、オルコット招聘運動の経緯を述べたが、重要な人物が二人登場した。平井金三と野口復堂である。この後も何度か繰り返して触れることになると思うが、いま分かっている範囲で「列伝」風に解説してみたい。 平井金三の生い立ち 平井金三は明治大正時代の英学者。安政六年十月二十五日、京都に生まれる。父は儒者で書家でもある平井義直(春江)、母は山科の西宗寺の出身。幼名は鱗三郎で、のちに金三郎と改めた。外国人と交際するようになってから、呼びやすい金三きんざで通すことが多かった。

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            3オルコット招聘運動顛末|第Ⅰ部 噺家 野口復堂のインド旅行|大アジア思想活劇

            オルコット招聘運動と平井金三 ヘンリー・スティール・オルコット著『仏教徒教理問答集ザ・ブッディスト・カテキズム』日本語版の出版によって、インド神智学協会と日本仏教徒の通信はがぜん活発化した。明治十六(一八八三)年に建てられた鹿鳴館に象徴される欧化主義は、この頃ようやく反動期を迎えつつあった。折しも明治二十一年には三宅雪嶺、志賀重昂らによって雑誌『日本人』が創刊され、国粋主義の旗が論壇にも翻る。キリスト教徒の攻勢に汲々としていた日本仏教徒はそのとき、釈迦の故国インドに、力強い

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            2日本仏教と明治維新|第Ⅰ部 噺家 野口復堂のインド旅行|大アジア思想活劇

            近世仏教の姿 ……と思ったがその前に、ここで、日本仏教が当時置かれていた状況について少し振り返ってみたい。日本仏教の歴史は、欽明天皇十三(西暦五五二、一説に五三八)年、百済の聖明王の使者により仏像と経典が初めて持ち込まれた史実をもってスタートした。以来、千数百年の長きにわたって、仏陀の教説は日本独自の発達と粉飾を遂げ、世界史上に誇り得るさまざまな文化・思想を生み出してきた。しかし「日本仏教史」として語られる範囲に、明治以降の近代史が含まれることは稀だ。ひとつには近代に先立つ

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            1オルコット大佐来日まで|第Ⅰ部 噺家 野口復堂のインド旅行|大アジア思想活劇

            キリスト教の大攻勢 「……入米の神学博士新島先生帰朝後、西京は相國寺門前二本松の薩摩島津邸の趾へ同志社を立て、基督教を以て青年を教育すると同時に、劇場等を借り受けしきりに偶像教を排撃するとて仏教の教義は勿論、仏僧の堕落を痛烈に駁撃した。京都は仏教各宗の本山所在地、全国末寺の手前撲たれしまゝに凹んでは居られず、それこそ坊主頭に捻り鉢巻きで反駁演説を試みたが、先方には素人受けのする唯一の言前がある。それはこうである。 「今日の日本は欧米先進国に学びつつある時代で、兵制に、政治

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