佐藤哲朗(nāgita)

五刧思惟のウォーミングアップ中。スマナサーラ長老の書籍&動画編集・法話会企画・YouT…

佐藤哲朗(nāgita)

五刧思惟のウォーミングアップ中。スマナサーラ長老の書籍&動画編集・法話会企画・YouTubeチャンネルの運営管理など。こちらのnoteでは主に商業誌に寄稿した記事をアーカイブしております。適宜アップデートも行います。

マガジン

  • 大アジア思想活劇ーー仏教が結んだ、もうひとつの近代史

    教談師・野口復堂、神智学協会・オルコット大佐、スリランカ人仏教徒ダルマパーラ、そして田中智学などなど、十九世紀から二十世紀の正史、秘史を彩る人物たちがアジアを股にかけ疾駆する近代仏教絵巻。「少しく鳥瞰するならば十九世紀後半、近代日本の覚醒と時を同じくして、インドを中心とした南アジアでは、忘却されつつあった独自の精神文化を取り戻すべく、仏教やヒンドゥー教などの宗教復興運動が沸き起こりつつあった。その潮流はアジアを侵食する欧米の植民地主義への抵抗のゆりかごとなり、のちに先鋭的なナショナリズム運動へと展開してゆく。(中略)「日本仏教の近代史」を、その潮流のなかに位置づけたとき、いったい何が見えてくるだろうか。」(本文より) 佐藤哲朗『大アジア思想活劇ーー仏教が結んだ、もうひとつの近代史 』サンガ刊(2008年)の電子書籍版(2014年)を元に再構成しました。

  • 現代仏教論

    季刊『サンガジャパン』に連載した「パーリ三蔵読破への道」(のちに加筆修正のうえ『日本「再仏教化」宣言!』として単行本化)バックナンバーをはじめ、商業誌に寄稿した仏教に関する記事を公開します。

  • 仏教書を読む

    仏教に関係する本を書評した記事を掲載します。

  • 仮名法語

    折に触れて書写した日本仏教の仮名法語をシェアします。

  • スマナサーラ長老の本を読む

    アルボムッレ・スマナサーラ長老の著作を紹介するマガジンです。

最近の記事

おわりに 広島の二葉山平和塔をめぐって 被爆地と仏舎利|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

二葉山平和塔の落成式 昭和四十一(一九六六)年八月五日の夕刻、国鉄広島駅の真北に位置する二葉山(広島市東区 標高百三十九メートル)山頂は厳粛な雰囲気に包まれていた。二十一回目の原爆記念日を翌日に控えたこの日、広島市外から瀬戸内海までを見下ろすこの場所で、巨大な仏舎利塔「二葉山平和塔(ピース・パゴダ)」が、ついに落成式を迎えようとしていた。仏舎利塔は高さ二十五メートル、基底部の直径二十メートル。コンクリート製の白い基壇の上に建つ覆鉢型のドーム部と尖塔は全面ステンレス張りで、

    • 41 仏教とアジア近代史再考|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

      日本とスリランカ・それぞれの近代仏教 一九九九年の一月、筆者は北インドのサールナートを訪れていた。根本香室精舎ムーラガンダクティー・ヴィハーラの周囲に拡がる、よく手入れされた庭園の一角には、アナガーリカ・ダルマパーラの、否デーヴァミッタ・ダンマパーラ比丘の赤茶けたストゥーパが、巡礼を呼び止めるほどの威儀もなく、ぽつねんと建っていた。 アナガーリカ・ダルマパーラの日本での発言を振り返ると、スリランカやインドにおける彼自身の立場の変化にかかわらず、日本に対する信仰のような期

      • 40 ひとつになった仏教世界(下) 「仏教国日本」の再建とアジア仏教徒の受難|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

        世界仏教徒連盟会議とサンフランシスコ会議 一九四七年八月十五日、英領インドはインドとパキスタンの分割という形で独立した。翌年二月、スリランカも英連邦内の自治領セイロンとして、整然と独立を果たした。 それから間もない一九五〇年五月、スリランカの首都コロンボにおいて、偉大なパーリ語学者にして在家仏教指導者G・P・マララセーケーラ博士(Gunapala Piyasena Malalasekera一八九九〜一九七三、彼は青年期にダルマパーラの仏教復興運動に共鳴して自らシンハラ名

        • 39 ひとつになった仏教世界(上) 仏教ルネッサンスの時代|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

          仏教ルネッサンスの時代 アナガーリカ・ダルマパーラの死の翌年、昭和九(一九三四)年、日本では高楠順次郎らの提唱で「仏誕二千五百年」を祝う盛大な行事が行われた。ただしこの年がブッダ釈迦牟尼の誕生より二千五百年といえるか否かは宗派によって異論が甚だしく、学問的にもいまだ確定していない。この高楠のキャンペーンは昭和五(一九三〇)年五月にハワイで開催された「第一回汎太平洋仏教青年会大会」での決議を踏まえたものではあったが、日本仏教界の大事業である『大正新脩大蔵経』が同年に完成した

        おわりに 広島の二葉山平和塔をめぐって 被爆地と仏舎利|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

        • 41 仏教とアジア近代史再考|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

        • 40 ひとつになった仏教世界(下) 「仏教国日本」の再建とアジア仏教徒の受難|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

        • 39 ひとつになった仏教世界(上) 仏教ルネッサンスの時代|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

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        • 大アジア思想活劇ーー仏教が結んだ、もうひとつの近代史
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          17本

        記事

          【主張】お寺でハロウィンを

          最近、商店街の秋の集客のために無理やり祝われてる感がありありのハロウィン。西洋かぶれだ、商業主義だと腐す気持ちもわかりますが、ここはひとつ、仏法興隆のために活用してみてはいかがでしょうか?   最近では、若者の迷惑行為と結びつけて語られることもあるハロゥイン。しかし、そもそも万霊節の祝祭自体、キリスト教文化で抑圧・迫害された土着宗教の神々の鬱憤ばらし・ガス抜きという側面があるわけです。   抑圧されてきたお化けや精霊たちを済度しようと試みることは、伝統的な仏教者の役割だと思う

          【主張】お寺でハロウィンを

          38 サールナート寺院壁画と野生司香雪 日印仏教交流の精華|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

          インドからの呼びかけ これまで十九世紀末から二十世紀初頭にかけてのアナガーリカ・ダルマパーラと日本との関係を振り返ってきた。「ランカーの獅子」と「日出づる国」との絆は、その後半生で影が薄くなった印象は否めない。しかし、ダルマパーラ生前最後の事業となったサールナート根本香室精舎の壁画制作をめぐって、両者の間にはひとつの深い縁えにしが結ばれたのである*80。 前章でも触れたとおり、一九三一(昭和六)年十一月、釈迦牟尼世尊最初の説法(初転法輪)が行われたとされるインド北部の鹿

          38 サールナート寺院壁画と野生司香雪 日印仏教交流の精華|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

          37 その後のダルマパーラ 1915年セイロン暴動、サールナートでの出家と死|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

          セイロン暴動 ダルマパーラの最後の来日から二年後の一九一五(大正四)年は、一八一五年にセイロン最後のキャンディ王朝がイギリスによって滅ぼされてから百周年にあたり、仏教雑誌である『大菩提雑誌』誌上にも獅子をあしらったランカーの国旗、民族意識の覚醒を呼びかける論説や詩が掲載された*68。この年のウェーサーカ祭の最中に起きたイスラム教徒とシンハラ仏教徒の衝突事件(後述)を発端として勃発した大暴動は、それを反英運動の一環とみなした英国官憲の介入を招くに到った。植民地当局は六月二日

          37 その後のダルマパーラ 1915年セイロン暴動、サールナートでの出家と死|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

          日本は「同性愛」に寛容だったのか? ジャニーズ問題の根源としての伝統仏教と少年性愛

          日本は伝統的に同性愛に寛容だったとよく言われるが、乃至政彦『戦国武将と男色』洋泉社,2013によれば、前近代の男色は実質「少年との性交」で、江戸時代には性具とされた少年たちの人権(という言葉はなかったが)に配慮すべきだとして各方面から批判にさらされ、度々禁令も出され、明治維新までにはかなり廃れていたそうだ。 世に遅れた仏教寺院ではずっと陋習として残り、町人の間にもそれなりに盛んだったようだが、建前上は武家が手を出すべきではないとされてたとのこと。いわゆるLGBT絡みで、日本

          日本は「同性愛」に寛容だったのか? ジャニーズ問題の根源としての伝統仏教と少年性愛

          36 冷遇された最後の来日 汎アーリア主義の叫び|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

          ダルマパーラへの冷遇 大正二(一九一三)年四月、ダルマパーラは四回目の来日を果たした。彼にとって最後の日本滞在となったが、前三回とは大きくその様相を異にしていた。彼は日本の仏教界からほとんど無視された。 日本の仏教新聞における報道も一概に冷淡で、甚だしきは「この度の(ダルマパーラの)来朝に関しては、仏教徒中誰一人として歓迎する者な」い理由として、仏跡復興のための資金集めに関するダルマパーラのスキャンダルを大々的に紹介し、彼を「世界的詐欺師、佛教破壊者」と誹謗中傷する記事

          36 冷遇された最後の来日 汎アーリア主義の叫び|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

          【書評】杉本良男著『仏教モダニズムの遺産 アナガーリカ・ダルマパーラとナショナリズム』佐藤哲朗(『近代仏教』第29号、2022年5月発行 日本近代仏教史研究会)

          仏教モダニズムとは何か?  スリランカを主なフィールドの一つとしてきた社会人類学者・南アジア研究者が上梓した本書は「仏教モダニズムが、スリランカにおいて、アナガーリカ・ダルマパーラの影響力のもとで、とくにナショナリズムとの関係において、現代に至るまでどのような展開をみせてきたのかについて総合的に考えようとする、人類学的、系譜学的研究」(はじめに)である。著者は一九八〇年代から同地で吹き荒れた宗教民族紛争を身近に経験するなかで、大英帝国の植民地支配下で仏教復興運動を主導した

          【書評】杉本良男著『仏教モダニズムの遺産 アナガーリカ・ダルマパーラとナショナリズム』佐藤哲朗(『近代仏教』第29号、2022年5月発行 日本近代仏教史研究会)

          35 血の轍 シンハラ仏教ナショナリズムの誕生|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

          シンハラ仏教ナショナリズムの誕生 アナガーリカ・ダルマパーラは仏教復興運動をアジア近代化の精神的指針として提示した。また、彼のミッションはアジアから西欧にまたがる国際的な広がりを持ち、多くの白人インテリ層を新たに仏教に帰依させた。 しかし仏教を掲げたアジア主義者、あるいはコスモポリタンという献辞は、ダルマパーラの多様な顔の一面しか言い当てていない。彼はスリランカ内外において、のちの民族紛争の火種となる排他的な民族主義的思潮、「シンハラ仏教ナショナリズム」の最初にして最大

          35 血の轍 シンハラ仏教ナショナリズムの誕生|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

          34 ダルマパーラと田中智学の会見(下)日露戦争と「人種闘争の世紀」の幕開け|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

          瀧口での談話──仏教信仰と実践をめぐる智学との「論争」 達磨「十波羅蜜の実行、即ち妙法の修行にして、これを以て直ちに妙法の真理を證得することを得べしと考う、如何。」 智学「決して然らず。それは妙法の根本義を把住したる上にて、三学六度十波羅蜜も任運に本法化せられて真理と融即すべしと雖も、若し妙法の根本義に住立せざるに、十波羅蜜を行ずるも、是れ猶砂上に殿宇を築くが如し。故に先ず根本たる妙法を信奉して、然る後に枝葉を活動すべしというが、日蓮上人の主張なり。」 達磨「自行の時

          34 ダルマパーラと田中智学の会見(下)日露戦争と「人種闘争の世紀」の幕開け|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

          33 ダルマパーラと田中智学の会見(中)日蓮宗の海外布教を促す|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

          対鶴館における談話──ダルマパーラの「悪評」 明治三十五(一九〇二)年六月二十三日、鎌倉対鶴館における二人の「獅子」の座談は昼食を挟んで続いていた。和やかな席で、ふと智学はダルマパーラの随員工藤恵達のほうを向き、ダルマパーラに関する「悪い風評」について問いただした。 智学「予は世間に、ダルマパーラ氏に対し悪感を懷きて之を謗るものあるを耳にす。予はこれに就いてその事情を尽し、もし事何かの行き違いならば、氏のためにその冤を雪がんと欲す。もしまた事実ならば、ダ氏を戒論せんとす

          33 ダルマパーラと田中智学の会見(中)日蓮宗の海外布教を促す|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

          32 ダルマパーラと田中智学の会見(上)二人の 「獅子」の出会い|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

          二人の「獅子」の出会い 明治三十五(一九〇二)年六月二十三日、来日中のアナガーリカ・ダルマパーラは鎌倉に田中智学(一八六一〜一九三九)を訪ねた。田中智学は在家の仏教活動家として日蓮主義に基づく近代日本の国体思想を確立し、昭和初期に台頭した右翼革命運動にも大きな影響を与えた一代のカリスマである。ダルマパーラと智学の出会いは一度だけのものだったが、智学は晩年までこの邂逅を記憶し続けた。ダルマパーラもまた、智学を「日本の宗教上の偉人」として称えた。幸いにもほぼ完全な形で残された当

          32 ダルマパーラと田中智学の会見(上)二人の 「獅子」の出会い|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

          31 ダルマパーラ 一九〇二年の来日 近代アジアの運命を見据えて|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

          アメリカでの布教活動 正式な得度の儀式を受けず、黒い巻き毛をたたえたまま、僧侶の衣装である黄衣をまとった「異形」の仏教者アナガーリカ・ダルマパーラ。彼は十九世紀の末から二十世紀にかけて、世界を股にかけた活躍を始める。一八九五(明治二十八)年から翌年にかけてのブッダガヤ紛争を通じて、ベンガルの進歩的知識人層の間に仏教徒への同情が高まっていた。その結果として一八九六年五月二十六日、カルカッタでインド仏教の滅亡以来数百年ぶりに釈迦牟尼ブッダの誕生日が祝われた。ブッダガヤ大菩提寺を

          31 ダルマパーラ 一九〇二年の来日 近代アジアの運命を見据えて|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

          30 大拙・慧海・ダルマパーラ それぞれの出会い|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇

          近代日本仏教を代表する巨人 鈴木大拙(貞太郎 一八七〇〜一九六六)と河口慧海(一八六六〜一九四五)は近代日本仏教界のなかで、ひときわ大きな光を放つ巨人である。大拙は欧米に「Zen」を伝え、『日本的霊性』などおびただしい著書を通じて仏教界のみならず日本の近代思想史上に消しがたい刻印を残した。一方の慧海は秘境といわれたチベットへの探検(『チベット旅行記』として刊行)によって世界的にも名を知られ、ヒマラヤ探検やチベット仏教のニュースが報じられるたび、チベットと縁のある日本人の筆頭

          30 大拙・慧海・ダルマパーラ それぞれの出会い|第Ⅲ部 ランカーの獅子 ダルマパーラと日本|大アジア思想活劇