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日本は「同性愛」に寛容だったのか? ジャニーズ問題の根源としての伝統仏教と少年性愛

日本は伝統的に同性愛に寛容だったとよく言われるが、乃至政彦『戦国武将と男色』洋泉社,2013によれば、前近代の男色は実質「少年との性交」で、江戸時代には性具とされた少年たちの人権(という言葉はなかったが)に配慮すべきだとして各方面から批判にさらされ、度々禁令も出され、明治維新までにはかなり廃れていたそうだ。

世に遅れた仏教寺院ではずっと陋習として残り、町人の間にもそれなりに盛んだったようだが、建前上は武家が手を出すべきではないとされてたとのこと。いわゆるLGBT絡みで、日本の伝統としての同性愛も持ち出すのはあまり筋の良い話ではなさそうだ。

同書では「男色は武士のたしなみだった」などの通説はことごとく間違いとしている。「戦場に女がいなかったから代わりに」というのも間違いで、実際戦国時代の古戦場を発掘したところ、出土した人骨の3割位は女性だったケースが紹介されている。女性が戦闘に加わることもあったし、「御陣女郎」という戦場慰安婦のはしりみたいな女性たちもいた。

これは余談的な記述だが、江戸時代に男色が廃れ始めると、「柳腰の女性(華奢な身体つきの娘)」が尊ばれるようになったと三田村鳶魚の考証を引いている。少年っぽい性的魅力を文字通りの少年ではなく、女性に求めるようになったのだ。

してみると男色の系譜は、同性愛ばかりでなく、いまの少女愛にも継承されたところがあるのではなかろうか。我々は男色が、少年児童(それも十代前半を珍重する)への性愛であることをよく考えるべきであろう。

乃至政彦『戦国武将と男色』洋泉社,2013

現代日本文化を考察する上で読まれるべき一冊と思う。とはいえ版元の洋泉社は消滅してしまっているので、どこぞで電子書籍の版権だけでも引き受けて再発してくれないものだろうか……

先ほど、「世に遅れた仏教寺院ではずっと陋習として残り……」 と書いたけど、周知のとおり男色(少年性愛)の風俗は仏教寺院から武家に持ち込まれたというのが定説。それが徐々に廃されたというのは、武家の価値観が仏教から離れていった経緯ともリンクしている感じはする。

あと、公家にも男色はあったが、こちらはことさらに少年を弄ぶというよりは成人男性同士の付き合いだったので、現代的な同性愛やBLノリに近かったかもしれない。

『戦国武将と男色』を知ったのは、大塚ひかり『ヤバいBL日本史』祥伝社新書,2023 がきっかけだ。同書は古事記から近世文芸まで網羅しており、性愛という切り口で日本史を捉え直した勝れた入門書だと思う。

伝統仏教寺院における「稚児」の扱いもそうだが、前近代の男色は君臣・師弟・主従関係といった身分の上下を前提としているため、そんなにイイ話ばかりではない。

それでも、古代から近世までの連綿とした同性愛(または同性愛表現)をたどると、そこに対等な関係性に基づく「愛」の形を求めた人々の願いが読み取れるのだ。個人的には、14歳の頃、『源氏物語』に耽溺した菅原孝標女(『更級日記』作者)が、その幸福感に比べれば「后の位もなんてことない」と思った、というくだりにグッと来た。

近世までの日本の仏教寺院における男色文化(というか少年性愛、児童性虐待の伝統)については、松尾剛次『破戒と男色の仏教史』平凡社新書,2008 が必読だろう。長らく版元品切れで電書化もされていなかったが、この10月にはようやく増補版が刊行されるとのこと。

類書と併せて解説したYouTube動画あるので、興味のある方はぜひ観てほしい。いわゆる鎌倉新仏教は、犯された稚児たち、児童虐待サバイバーの叛乱でもあった、という話をしている。

これは重要なのにあまり知られていない史実なの強調しておきたいのだが、日本仏教の歴史では、師僧が弟子を犯す(セックスの相手にする)ことが当然のこととされてきた。おそらく日本仏教の祖師方もみな通った道だったのだろう。

文献にある例をひけば、浄土真宗の祖師・親鸞の曽孫であり本願寺の事実上の開祖たる覚如は超絶美少年で、寝床におけるテクニックも勝れていたため、その奪い合いで僧兵を動員した戦闘も起きたと、『真宗聖典』所収の聖典たる『最須敬重繪詞』『慕帰絵詞』に伝えられている。

たゞ學問の器量の倫に拔たるのみにあらず、容儀事がらも優美なる體なり。さるまゝには房中の賞翫もならぶ人なく、つたへきくあたりにも事々しき程にぞいひあつかひける。

最須敬重繪詞

これを現代の価値観で読むならば、れっきとした児童性虐待サバイバーの記録だ。叡山や南都の高僧たちは年端も行かぬ子供をグルーミングで手なづけて自分の性欲を満たしていたわけで、悍ましい限りなのだが……。

以下の記事は、正木晃先生によるわかりやすい読み物。男色(少年愛)と同性愛をあまり区別していないので、そこは注意が必要である。

天台密教において子供たちへの性虐待を正当化、聖化、キラキラ化する儀式だったとも謂われる児灌頂、稚児灌頂に関する最新の研究書について、以下の動画で問題点も含めて紹介しています。よろしければご覧頂きたい。

故・ジャニー喜多川の父・諦道は高野山真言宗の僧侶であり、1924~1933年まで米国に赴任し、ロスアンゼルス高野山米國別院の住職をつとめた。ジャニー喜多川こと喜多川擴(ひろむ)が米国籍を持っていたのは、彼が父の在米中に生まれたためだ。そのような個人的な来歴は措いても、日本仏教の裏面史と「ジャニーズ問題」の縁について思いを馳せないわけにはいかない。

※Twitter(X)@naagita のメモを元に構成した。


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