宗教は比較できるのか

宗教の比較は難しいという話です。
例えば、キリスト教と仏教を比較してみましょう。
開祖はイエス・キリストとゴータマ・ブッダ。
崇拝対象は神と仏。
聖典は聖書と法華経などの経典。
などなど。

これで何が分かるでしょうか。
いくつか分かることはあるかもしれません。
この宗教は現世肯定的で、あの宗教は現世否定的。
この宗教は一神教で、あの宗教は多神教。
こういった発見も大事だと思います。
人は未知のものを理解するときに、
まずは自分の基準からしか考えられませんから。

とはいえ、そもそも「キリスト教」や「仏教」なんてものがあるのか
という話です。
キリスト教と言われても、カトリックや聖公会、プロテスタント諸派と、
沢山の種類があります。
仏教と言われても、日本だけでも浄土真宗、日蓮宗、臨済宗など、
様々な宗派があります。
さらに同じ浄土真宗でも、本願寺派と大谷派と別れるなど、
細かな分類がたくさんあります。
そして、信者一人ひとりにまでなると、
キリスト教の信者だけど、新宗教に所属しています、
というような方もいらっしゃいます。
そして、同じカトリックでも、地域によって
強調点の差異があったりします。

つまり、よく考えると「キリスト教」と「仏教」を比較しようとしても、
何を比較しているのかよく分からない、というわけです。
少なくともイエス・キリストを神の子と認めるのが
「キリスト教」ではないのか、と言われると、それも怪しい。
そうではないキリスト教の在り方、
例えば、イエス・キリストを模範的人間(教師)としてみなし、
尊敬をするキリスト教の考え方もあります。

こんなふうに、カテゴリーというのは曖昧で、「宗教」概念も曖昧です。
これは「宗教」、あれは「宗教」ではない、と簡単にはいきません。
オウム真理教は「宗教」か、という議論はよくなされますが、
「宗教」をどう定義するかの問題にすぎません。

単純に言うと、日本の「宗教」観は、
キリスト教をベースにしています。
つまり、「宗教」とは
開祖がいて、教典・教義があって、共同体を形成するもの、
というわけです。
この定義に当てはまらない宗教がたくさんあることは
すぐに分かります。
例えば、神道には開祖も教義もありません。
(これも「開祖」や「教義」をどう定義するかによりますが)

こんなわけで「宗教」は非常につかみづらい概念です。
ましてや比較するなんて、どうしていいのか分かりません。
冒頭に「開祖」「崇拝対象」「聖典」などと
分類項目、つまりは比較するための基準を示しましたが、
これらもしっかりとした基準にはなりません。
神と仏は確かに崇拝対象としては同じかもしれませんが、
「崇拝」の中身や在り方は全然違うからです。
それに「仏」だって、たくさんいますしね。
したがって、この比較で得られる理解は多くありません。

そういったこともあって、「宗教」の比較ということは、
宗教学では最近なされなくなりつつあります。
さっきも言ったように「宗教」の定義自体がキリスト教的なので、
キリスト教との比較で諸宗教を捉えることが問題だ、
と感じられるようになってきたとも言えます。

最近出版された『裏世界ピクニック』の7巻には、
人類学の話ですが、こんな話が出てきます。

「妖術や精霊に対する人類学の向き合い方は、まず、西洋人の近代合理主義的な視点から、〝未開〟の部族社会の風習を観察するというところから始まった。〔中略〕非合理的なことを信じている、〝未開人〟の奇妙な風習として受け止められたわけだ。それが後に、植民地主義への反省から、いや、彼らの信仰は外部からは非合理的な迷信に見えるが、彼らの社会の中では合理的な機能があるのだ、という見方が出てくる。〔中略〕こうした見方に、さらに異論が唱えられるようになったのはつい最近、二十一世紀になってからだ。非西洋社会に独自の理論があるというのは、結局のところ、〝合理性〟を押しつけているのにすぎないのではないかと。〔中略〕じゃあ一体どう言えばいいのかというと、〝彼らは世界に妖術や精霊が存在すると信じて生きている〟のではなく、〝彼らはまさに妖術や精霊が存在する世界に生きている〟と考えようというんだね。外部から勝手に合理性で翻訳してはならない、そもそも翻訳できないものがそこにはあるんじゃないか、という論だ。」(宮澤伊織『裏世界ピクニック7 月の葬送』2021年、早川書房、44~45頁、強調点省略)

少々長くなりましたが、「宗教」も同じです。
西洋的なキリスト教的なモデルで、他の宗教を翻訳することは避けるべき、
と最近考えられるようになったわけです。
むしろ、そういったふうに「比較」できると考えること自体が、
何らかの基準に無理やり押し込めるので、
暴力的だと考えられるようになった、というわけです。
何かとの比較ではなく、その宗教なりの現象を、その現象として理解する、
そういうことです。
実際にやろうとすると、非常に難しいんですが。

というわけで、簡単に「宗教」なんて比較できないよ、
という話でした。

ちなみに『裏世界ピクニック』は
都市伝説をテーマとしたホラー&百合小説です。
よく分からないと思いますが、読めば分かると思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?