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#日本史がすき

日本史がすきだと感じたエピソード、学習の記録、勉強法など、日本史にまつわる投稿を募集します!

急上昇の記事一覧

展覧会[信長の手紙]室町幕府滅亡直前の様子を物語る、新たな書状現る(東京都文京区・永青文庫)

新たな文書は、2022年に永青文庫と熊本大学永青文庫研究センターが共同で行った調査によって見つかったもの。室町幕府滅亡直前の、信長の新たな一面を明らかにするものでした。 永禄11年(1568)、足利義昭を室町幕府第15代将軍に擁立した信長ですが、これまでは、信長が義昭を排除して実権を握ろうとしていたと言われてきました。ところが最近の研究では、信長は義昭と共に幕府体制を続けようとしていたという説が有力とされています。では、なぜ信長と義昭は決裂したのでしょうか。 信長と義昭が

【歴史小説】花、散りなばと 5/6【加筆修正・リマスター版】

この小説について  この度、kindleで初の作品集『室町・戦国三都小説集』を発売させていただきました!  それに当たり、一番古い作品だった「花、散りなばと」を一部加筆修正いたしました。 (Kindle、ペーパーバックともに、リマスターの反映は現在発売中の第2版からになっています)  こちらの「花、散りなばと」は、現在連載中の歴史小説「天昇る火柱」の前日譚に当たっています。  実に三十年も昔の話になります。  トウの立った古市胤栄、澄胤の兄弟が、まだかわいらしい童の

和と仏教を愛する女子高校生:自己紹介* noteを始めた理由

ただの高校生です。 ……と言いたいところですが、ちょっとだけ違います。私は和と仏教をこよなく愛するので、周りの人から変わっていると言われています。親に「また仏教の話?」と言われるのも日常茶飯事。 まずは自己紹介ですね。横溝です。 noteは始めたばかりなのでよく分かっていません。♡いただけると嬉しいです。 まあ人生振り返るほど経験積んでいませんので、好きなものを主体として語ろうかなと思います。 京極夏彦先生 京極夏彦先生が中学3年の頃から大好きです。先生の作品はまさに

歳時記を旅する55〔きりぎりす〕中*欄外の父の書き込み木の葉髪

佐野  聰 (平成三年四年作、『春日』) 実盛ははじめ、鎌倉の源氏の棟梁・源義朝と対立して討たれた義朝弟義賢に従っていたが、後に義朝に仕えるようになった。しかし、義賢の恩も忘れず、義賢の遺児・駒王丸をかくまい、密かに信濃の中原兼遠(妻が駒王丸の乳母)のもとに送り届けた。この駒王丸が後の木曾義仲である。  義仲は、篠原の戦いの後、平家の武将の首を池で洗わせると、墨で塗った黒い髪がみるみる白くなり、幼い頃に命を救ってくれた実盛の首だとわかった。義仲は人目もはばからず涙したという。

祖母から貰った約180年前のお金「天保通宝」。激動の歴史の中で生命のリレーのバトンとなった貨幣の魅力

今日は歴史研究家の雲です。 「天保通宝」を所有している経緯 前に記事したことがありますが、私は古銭を子供時代から集めています 小学生の時に古銭を集めていると話をすると、祖母がタンスの中に入っていたと天保通宝をくれました。 今となっては形見の品でもあります。 この貨幣は一度見たら忘れないほどインパクトあるデザインですよね。 旧500円玉はどんなデザインか忘れましたが、コイツは一度見たら忘れません。「ザ!江戸時代のお金」です。 その当時はただの古銭と思っていましたが、成長し

【第一部・最終回】天昇る火柱(12)「勝利」【歴史小説】

この小説について  この小説の主人公は、赤沢新兵衛長経という男です。  彼は、信州の小城に庶子として生まれ、田舎武士として平凡な一生を送るはずでした。  しかし彼には、二十歳近くも年の離れた兄がいました。  兄は早くに出家して家督を放り出すと、諸国を放浪し、唐船に乗って明国にまで渡ってゆきました。  そして細川京兆家の内衆となり、やがて畿内のほとんどを征服することになります。  神も仏も恐れぬ破壊者、赤沢沢蔵軒宗益。  その前に立ちふさがるのは、魔王・細川政元への復讐に全

本能寺の変1852 その一因 2(1)光秀の素性6 そ第27話② 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 2(1)光秀の素性6 そ第27話② はじめに ←目次 ←その一因 目次大 概説 目次中  2光秀の年齢と嫡男光慶 (1)光秀の素性 ←  →重要 ◎目次  →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次  →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次  →【シリーズ】  信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5  →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607  →【 重要史料 】 【 重史一覧 】 【 人物 】  *◎=重要ヶ所 

仏教の基本概念 〜空・唯識・中観〜

九條です。 仏教の最も基本的な考え方(換言すれば仏教が仏教たる所以、仏教を最も代表する思想)は、「空」と「唯識」と「中観」です。 以下では、私が中学生の頃から40年以上、我が家の宗派(法相宗)の教えとして学んできた基本的な仏教思想(空と唯識と中観)についての私の理解を簡潔に纏めてみたいと思います。以下はあくまでも私の理解です(以下、約2,100文字)。 【1. 空・唯識・中観の関係性】 空と唯識と中観の関係性を例えるなら、唯識と中観が車の両輪であり、空がその両輪を繋いで

源頼朝&源義経 の一生【人物相関図】で分かりやすく総覧

歴史の楽しさを「人物相関図」でエンタメ的にご紹介しているnoteです! 全15回の記事でつづってきた源頼朝&源義経ブラザーズの物語(まとめマガジンはコチラから↓) 今回の記事では頼朝と義経の一生を「人物相関図」を使って一気にまとめてみたいと思います! ちょっと長いですけど、2人の兄弟の人生を流れでつかめるかと思います。 平清盛が源氏をフルボッコ!京都で起こった「平治の乱」という権力争いの戦いで、平氏のボス・平清盛によって、源氏が討伐されます。 源頼朝&義経の父・源義朝

【日本史】吉原遊女の高い教養~吉原クオリティ~

花魁とか聞くと、みなさんはどういうイメージが連想されますか? きれい?派手?着物の帯は前にきてる?とかかな。 高級な遊女は見た目だけではなかったんです。 機転も利くし、芸事にも長けていたんですよ! 今回はそんな吉原遊女の高い教養について紹介します! ◎吉原の高級遊女の教養とは大身の武士や豪商、文化人の上客を虜にするには、美貌だけでなく、それなりの教養も求められた。 遊女の中にも、はしたなく騒いだり、無遠慮に押しかけたりする者のいたが、太夫などの高級遊女ともなれば、

本能寺の変1852 その一因 2(1)光秀の素性6 そ第27話① 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 2(1)光秀の素性6 そ第27話① はじめに ←目次 ←その一因 目次大 概説 目次中  2光秀の年齢と嫡男光慶 (1)光秀の素性 ←  →重要 ◎目次  →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次  →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次  →【シリーズ】  信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5  →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607  →【 重要史料 】 【 重史一覧 】 【 人物 】  *◎=重要ヶ所 

【源氏15】義経キミは強かった... 頼朝は日本のキングに

歴史のオモシロさを少しでも伝えられたら、という想いで歴史ドラマを「人物相関図」でご紹介しているnoteです! 今回のシリーズは源頼朝&源義経。 ドラマチック過ぎる兄弟の物語です。まとめマガジンはコチラから↓ 前回の記事では弟・義経が潜伏している奥州に兄・頼朝が圧力をガンガンかけているところまでを描きました。記事はコチラ↓ 今回の記事は。 あぁ、ついに。 頼朝・義経ブラザーズとの別れがやってきます。。。 義経 超ピンチ! 守り神・藤原秀衡が他界 義経にとっては幼きころ

30年日本史01023【南北朝前期】高師夏の最期

 師直一家は次々と斬られていきましたが、続いて師直の子である師夏について見ていきましょう。  師夏は、先般の打出浜の戦いで直義方の西左衛門四郎(にしさえもんしろう)に生け捕りにされ、肘の上下を縛られた状態で護送されていました。  以前「師直が二条関白(二条良基)の妹を盗んで男子を産ませた」という逸話を紹介しましたね(00946回参照)。史実かどうかは分かりませんが、その男子というのが師夏です。容姿に優れ、心が優しい青年武将だったといいます。当時数え15歳でした。  西左衛門四

【宿世とは】 大河ドラマ 「光る君へ」 第39回

まひろが書いていた言葉は、「宿命」ではなく「宿世」。「呪術廻戦」にも出てくるからうっすらと意味は分かっていたのだけれど、改めて調べてみた。 お上がお上である所以にも繋げることができるし、なぜこんなに若くして弟が先立たねばならなくなってしまったのか、なぜ和泉式部の思いびとは皆、早逝なさるのかに思いを飛ばすこともできるし、これから描かれていく「女三の宮」「柏木」辺りにも縦糸を通すことができる。 彰子ちゃんが使うのは、「宿命」。「宿世」の中での「宿命」。 人間界では、今でも「

教えて 親鸞得度の契師が「道快」なのか「慈円」なのか。いや同一人物なんですけど、親鸞を得度させた(とされとる)年、この人は法印に叙せられ、道快から改名してるんですが、伝によってどっちの名前でも見受けられるんです。親鸞得度の日とか道快叙法印の日とかをご存知の方、お教えください😌

中学レベル日本史・復習編 ⑵古代①

さて、今回から2回ほどで古代をみていきます。 古代は、公家(天皇・上皇、天皇の臣下である貴族)が治めた時代です。具体的には、 ❶大和時代(4~6C) ❷飛鳥時代(7C) ❸奈良時代(8C) ❹平安時代(9~12C) と続きます。 1.【古代総論】古代史のパターン古代史を整理する中で、日本史全体で何度か繰り返されるパターン(原型)を見出すことができます。通史をマスターする際には、この「パターン」に着目する事が重要です。 そのパターンとは、 というものです。 上記のパタ

[毎ショ]📬️ 人生は洗濯の連続なり

「人生はセンタクの連続なり」。  誰が言ったか知らないが、言われてみれば確かに聞こえるスカイ・イヤーの時間がやって参りました。お相手はこの方です😎。  毎週金曜日25時20分。テレビ夕陽🌆。  なんとなくつけたテレビから聞こえてくる定番の言葉。別にチャンネルを合わせようと思って見るわけじゃない。  しかし、この時間帯には他に面白い番組があるわけじゃないから、自然とテレビ夕陽🌆を見ることになる。  見れば思わず笑ってしまうこともあるが、たいして面白くもないときもある。  

ブリッジヘッド日本史【補論】⑶大和時代 or 古墳時代?

さて、『中学レベル日本史・復習編 ⑵古代①』では、「大和時代」・「古墳文化」という時代区分を採用しました。 この点、現在の中学・高校教科書の時代区分と異なることに疑問を持たれた方もおられると思います。その点について、ひとこと解説を。 昔の教科書で「大和時代」(4〜6C)と書かれていたものが、確かに、現在の教科書では「古墳時代」(3C末〜7C)と記述されるようになっています。これは学問的な正確さの反映と学者間の勢力争いが背景にあるようです。 しかし、筆者は、 ①<「大和時

【日本史】尼になった吉原遊女!?「佐香穂」という遊女について

遊女関連の本を色々読み返していたら、 「佐香穂」という遊女が ちょうど読んでいたページに登場して 「佐香穂」のことを思い出したので 今回は「佐香穂」という吉原遊女について紹介します! ◎尼になった吉原遊女「佐香穂」とは「佐香穂」のプロフィール まずは佐香穂さんのプロフィールでも書きましょうかね。 名前:佐香穂(さかほ) お店:元吉原の角町、並木源左衛門抱えの遊女 出身地:鎌倉 ランク:格子 恋人:有 佐香穂の恋人は、西国の武士で、吉原に来る時は「梅」と名乗っていた。

本能寺の変1852 その一因 2(1)光秀の素性6 そ第26話① 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 2(1)光秀の素性6 そ第26話① はじめに ←目次 ←その一因 目次大 概説 目次中  2光秀の年齢と嫡男光慶 (1)光秀の素性 ←  →重要 ◎目次  →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次  →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次  →【シリーズ】  信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5  →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607  →【 重要史料 】 【 重史一覧 】 【 人物 】  *◎=重要ヶ所 

本能寺の変1852 その一因 2(1)光秀の素性6 そ第26話② 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 2(1)光秀の素性6 そ第26話② はじめに ←目次 ←その一因 目次大 概説 目次中  2光秀の年齢と嫡男光慶 (1)光秀の素性 ←  →重要 ◎目次  →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次  →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次  →【シリーズ】  信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5  →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607  →【 重要史料 】 【 重史一覧 】 【 人物 】  *◎=重要ヶ所 

30年日本史01022【南北朝前期】高師直の最期

 さて、打出浜の戦いが終わった後、正平6/観応2/貞和7(1351)年2月20日に尊氏と直義は和睦するのですが、太平記はこの和睦条件について詳しく書いていません。  歴史家は、和睦の条件は師直・師泰の出家だったとみています。つまり師直・師泰は政界から引退する代わりに命を保証されたということになります。よく分かっていませんが、尊氏から直義に、2人の助命嘆願が行われたのかもしれません。  2月26日。尊氏一行は京に向けて出発しました。敗北者の護送のような状況だったと思われます。既

JW679 天子の水

【景行征西編】エピソード50 天子の水 第十二代天皇、景行天皇の御世。 西暦88年、皇紀748年(景行天皇18)4月。 景行天皇こと、大足彦忍代別尊(以下、シロ)の一行は、還幸(天皇が帰宅すること)と銘打って、筑紫(今の九州)の巡幸(天皇が各地を巡ること)をおこなっていた。 ここは、熊本県あさぎり町の深田西。 シロ「これが、湧水か・・・。」  たっちゃん「どれどれ・・・。ん? 美味い!」  リトル(7)「俺も飲むぅぅ!」  シロ「うむ。たしかに、美味い。」 

ジャパンウォーズ マガジン紹介③

長く連載をつづけている、ジャパンウォーズですが、このあたりで、整理をかねて、マガジンを紹介させていただこうと思います。 第一部と第二部は、こちらから・・・。 今回は、第三部を紹介させていただきます。 ①垂仁天皇編。 JW472~541 第十一代天皇、垂仁天皇と家族や側近たちの物語です。 ②伊勢遷宮編。 JW542~578 第十一代天皇、垂仁天皇の皇女である、倭姫と仲間たちの物語です。 この章で、ようやく、伊勢神宮にたどり着きました。 ③垂仁経綸編。 JW579~6

【歴史小説】花、散りなばと 4/6【加筆修正・リマスター版】

この小説について  この度、kindleで初の作品集『室町・戦国三都小説集』を発売させていただきました!  それに当たり、一番古い作品だった「花、散りなばと」を一部加筆修正いたしました。 (Kindle、ペーパーバックともに、リマスターの反映は現在発売中の第2版からになっています)  こちらの「花、散りなばと」は、現在連載中の歴史小説「天昇る火柱」の前日譚に当たっています。  実に三十年も昔の話になります。  トウの立った古市胤栄、澄胤の兄弟が、まだかわいらしい童の

ブリッジヘッド日本史【補論】 ⑵紀年法について

歴史の勉強を進める際に最初に確認しておきたいのが 紀年法(きねんほう)、つまり年代の数え方です。 日本史関連の紀年法として、 ①西暦、②世紀、③六十干支、④元号(和暦) の4種類が使われますので、以下に整理してみます。 (1)西暦=キリスト紀元 =キリストの生誕年を紀元1年、その前年を紀元前1年とする紀年法。(例:2024年)これはとくに説明不要でしょう。 (2)世紀=Century(センチュリー)=略号 C =西暦を100年単位で区切る紀年法。 ・紀元1年から100年

牛窓伝説

神功皇后の伝承地を巡る旅 ④ 吉備編  岡山県の神功皇后の(往路)伝承地は、岡山市・倉敷市・玉島市などにありますが、未見のものもあるので、今回は一番有名な瀬戸内市牛窓の伝承を紹介したいと思います。 牛窓神社 五香宮 元は住吉宮でしたが、江戸時代寛文7年(1667)、藩主池田光政公の命により、京都の御香宮から神功皇后と応神天皇の神霊を勧請し、五香宮と改称したそうです。

あんきろうの暗記だい好き 徳川将軍とブレーンたち(1)

英雄の影に参謀あり。徳川将軍とそのブレーンたちを整理! 第一弾は7代家継まで。(受験目線の整理だから、お江がいない、柳生宗矩がいない!とかはナシでね) 1. 家康/林羅山 2. 秀忠/これと言って。。。 3. 家光/松平信綱(老中) 4. 家綱/保科正之、酒井忠清(大老) 5. 綱吉/堀田正俊(大老)、柳沢吉保(側用人) 6. 家宣/新井白石(侍講)、間部詮房(側用人) 7. 家継/新井白石(侍講)、間部詮房(側用人) 4代家綱の時に文治政治が始まり、5代綱吉と側用人の登

本能寺の変1852 その一因 2(1)光秀の素性6 そ第23話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 2(1)光秀の素性6 そ第23話 はじめに ←目次 ←その一因 目次大 概説 目次中  2光秀の年齢と嫡男光慶 (1)光秀の素性 ←  →重要 ◎目次  →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次  →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次  →【シリーズ】  信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5  →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607  →【 重要史料 】 【 重史一覧 】 【 人物 】  *◎=重要ヶ所 P

本能寺の変1852 その一因 2(1)光秀の素性6 そ第20話② 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 2(1)光秀の素性6 そ第20話② はじめに ←目次 ←その一因 目次大 概説 目次中  2光秀の年齢と嫡男光慶 (1)光秀の素性 ←  →重要 ◎目次  →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次  →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次  →【シリーズ】  信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5  →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607  →【 重要史料 】 【 重史一覧 】 【 人物 】  *◎=重要ヶ所 

未読なのに『逃げ上手の若君』のオチを妄想するという記事

2024.10.13 21:00に、斎藤道三と楠木正儀について加筆。 『逃げ上手の若君』未読の日本中世史好きが、未読にもかかわらずオチを予想するという、きわめてキケンなことにチャレンジするというお話です。 いちおうマジメに予想しますが、作中にあるというファンタジー要素や変人(変態?)要素は無視します。 未読のため、どんなファンタジー展開なのか存じませんので。 0.この記事の参考は相変わらずのWikipedia 基本的には、主にWikipediaの『逃げ上手の若君』 及

本能寺の変1852 その一因 2(1)光秀の素性6 そ第22話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 2(1)光秀の素性6 そ第22話 はじめに ←目次 ←その一因 目次大 概説 目次中  2光秀の年齢と嫡男光慶 (1)光秀の素性 ←  →重要 ◎目次  →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次  →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次  →【シリーズ】  信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5  →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607  →【 重要史料 】 【 重史一覧 】 【 人物 】  *◎=重要ヶ所 P

■総アクセス20万ビューを達成しました!

えりたです。 昨日、久しぶりにダッシュボードを覗いてみたら、総アクセスが20万ビューを超えていました。 10万ビューを超えたのが昨年の九月ですから、1年と少しの時間をかけて10万ビューを積み重ねたことになります。 記事更新のたびに読みに来てくださるみなさま、たまたま見かけてご来訪くださったみなさま、お気持ちを飛ばしてくださるみなさま、本当にありがとうございます。 この数字は自分だけでは絶対に達成できないものです。ご訪問くださる、読んでくださる方がいてこその数字。この高

本能寺の変1852 その一因 2(1)光秀の素性6 そ第25話① 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 2(1)光秀の素性6 そ第25話① はじめに ←目次 ←その一因 目次大 概説 目次中  2光秀の年齢と嫡男光慶 (1)光秀の素性 ←  →重要 ◎目次  →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次  →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次  →【シリーズ】  信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5  →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607  →【 重要史料 】 【 重史一覧 】 【 人物 】  *◎=重要ヶ所 

あんきろうの暗記だい好き 徳川将軍とブレーンたち(2)

英雄の影に参謀あり。徳川将軍とそのブレーンたちを整理! 第二弾は8代吉宗からです~(受験目線だよ) 8. 吉宗/大岡忠相(町奉行)荻生徂徠(侍講)室鳩巣(侍講) 9. 家重/大岡忠光(側用人) 10.家治/田沼意次(側用人兼老中)田沼意知(若年寄) 11.家斉/松平定信(老中首座) 12.家慶/水野忠邦(老中首座) 13.家定/阿部正弘(老中首座)堀田正睦(大老)井伊直弼(大老) 14.家茂/井伊直弼(大老)、安藤信正(老中)、一橋慶喜(将軍後見職)    /松平慶永(政事

■大河ドラマ『光る君へ』第38話「まぶしき闇」感想―闇が広がる。誰かが叫ぶ革命の歌に躍る。

さて、大河ドラマ『光る君へ』第38話です。 今これを書いているのが、第39話放送当日の午後3時。第38話の録画を見たのが、今朝のことだったりしますので、そろそろ周回遅れをぶちかましそうな気配が濃厚に漂ってきています。 仕事の関係で、どうしてもまとまった時間が取れずにいますが、あと一か月くらいはギリギリで生きていたい、リアルフェイスなワタクシです。 そんな綱渡りをしながら、るるっと綴る感想記事ですが、よろしくお付き合いいただければと願っています。 そんなこんなで、今週も

国生み神話が卑弥呼の時代を特定する

国生みは邪馬台国から大和へ、領土拡大の神話化と言われる。では卑弥呼の時代に、支配していた地域はどこまででしょう。それは魏志倭人伝の道程を紐解けば理解できるのです。その前に前話「最上祇園祭は最強怨霊スサノオの祀り」にて、漢委奴国王印の委は伊国の伊、奴国は長国と語りました。なぜ阿波南部の那賀に名を残す、長国王金印が九州にあるか。巨石の下に隠されてたなら、全国どこだろうと謎になります。 巨石がお墓なら博多湾志賀島近くにあった理由になるが、その痕跡は全く無く偽造説まで飛び出る始末で

【国府シリーズ】府中市の名の由来になった武蔵国府跡

2023年5月20日から24日まで「出雲神話」を巡る旅 にでました。 初日は乗り換えで羽田に降りたあと、「東京の出雲」を探しました。 選んだ場所は出雲大社と同じ大国主命を祀る、国司のために作られた総社でもある大國魂神社。 総社って何?と言う方のために。 ざっくり言うと、国司(知事的な人)が朝廷に任命されて、はじめてその地に来た時の最初の仕事が、その地の主な神社を全て巡ること。 イメージとして京都の貴族が「君、来月から●●県の県知事やってね」と命じられて、翌月にはるばる●●県

本能寺の変1852 その一因 2(1)光秀の素性6 そ第21話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 2(1)光秀の素性6 そ第21話 はじめに ←目次 ←その一因 目次大 概説 目次中  2光秀の年齢と嫡男光慶 (1)光秀の素性 ←  →重要 ◎目次  →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次  →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次  →【シリーズ】  信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5  →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607  →【 重要史料 】 【 重史一覧 】 【 人物 】  *◎=重要ヶ所 P

【写真館743】ここにも曼殊沙華が

今日の一枚はコチラです。 先日、岡山に遠征してまいりました。我が最愛の推しさまである、名古屋おもてなし武将隊の織田信長さまのご出陣に付き従ってのことです。 そのとき行われた催しのなかに「武者行列」がありました。イベントに参加した武将隊のみなさまや、市民のみなさんの公募による人々で構成された、甲冑姿での行軍です。それを見ながら、一緒になって歩いていたのですが、あの「かちゃ。かちゃ。」っとした音や彩りの豊かさは、ほんとうに壮観でした。 その終盤戦、岡山城近くにある石山公園を

30年日本史01021【南北朝前期】高師冬戦死

 正平6/観応2/貞和7(1351)年2月25日。敗北して投降することとなった尊氏・師直・師泰のもとに甲斐国の僧侶がやって来て、さらなる悲報をもたらしました。甲斐国に逃亡した高師冬が1月17日に自害に追い込まれ、関東はほぼ直義党が制圧したというのです。ここで関東の情勢に目を転じてみましょう。  師冬は師直から見てだいぶ年下の従弟に当たり、師直の養子として可愛がられていました。当初は足利基氏の執事として鎌倉に在所していたのですが、上杉能憲や石塔義房に追われ、甲斐国に逃れたのでし

先輩が比叡山登りながら語った「通行料が高いから織田信長が比叡山焼き討ちした」ホンマか?😭

歴史好きの雲です。 今年の4月に比叡山に登りました。 登山中に会話をよくします。 話をしながらだと、気が紛れてしんどさを感じなくなります。 登山グループのリーダ格の大先輩が、雑学王のように話を聞かせてくれます。 以前、飛鳥時代の六甲山は、富士山より高かった。地震で倒れで数十キロに及ぶ六甲山系となったと言ってました。 (六甲山は富士山より高かったと言いたかったのでしょう。関西人は基本的に関東人にやたらと対抗心を燃やします) その大先輩が、織田信長による比叡山を焼き討ちに

本能寺の変1852 その一因 2(1)光秀の素性6 そ第20話① 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 2(1)光秀の素性6 そ第20話① はじめに ←目次 ←その一因 目次大 概説 目次中  2光秀の年齢と嫡男光慶 (1)光秀の素性 ←  →重要 ◎目次  →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次  →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次  →【シリーズ】  信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5  →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607  →【 重要史料 】 【 重史一覧 】 【 人物 】  *◎=重要ヶ所 

【雑記】どうなる?「光る君へ」

こんにちは、ニコライです。今回は【雑記】になります。 昨日第39話が放送されたNHK大河ドラマ「光る君へ」。1月から毎週日曜日の楽しみにと視聴を続けてきました。しかし、ここ数年の大河ドラマの傾向から全48話なのではないかという予想が出ており、その通りだとすると残り9話ということになってしまいます。早いものですね… 気になるのは、その「終わり方」です。これまで主流だった源平合戦や戦国時代、幕末といったテーマでしたら、明確な「終わり」が想定できたわけですが、平安時代で、しかも

【恨みとは】 大河ドラマ 「光る君へ」 第38回

物語の意義はこういうところにもある、と改めて思った回でした。 相手のことを「分かったつもり」になると、それが違った場合に「裏切られた」と感じることもあるでしょう。でも、そもそも「分からない」から始めていれば、「違った」くらいで終わるはず。「分かろうとする」心の向きを忘れないようにしなければ、人は簡単にダークサイドに落ちてしまう。自分のことだって100%は分からないのに、相手のことなんて、もっと分からない。 「恨み」という言葉も頻出した回でした。まずは、清少納言。久しぶりの

【船荷証券(B/L) Part②】船荷証券に関する国際運送の規範となる国際的法規について🌏:貿易実務検定B級対策 No.11

貿易実務のエキスパートを目指したい🔥私が挑戦する貿易実務検定®は 貿易に関連する自分の実務能力・知識が どの程度のレベルにあるのかを客観的に 測り証明することができる検定です。 実際に、商社・メーカー等においては 勤務年数ごとに貿易実務検定の各級合格が 必須となっている企業もあるそうですね👀 貿易に携わる企業への勤務・転職・就職等を お考えの方、インターネットによる個人輸入を 行う方や国際舞台で活躍を目指す方にとっても 「貿易実務検定®」は幅広く活用できますので 活躍の

【戦前の日本の教科書✨】 学校で習っていた日本誕生の物語

ご存じですか? 戦前の日本の学校教育では 日本の歴史は 天照大神様の国産み、そして 神武天皇の建国から始まっていました。 学校の先生は 日本神話(古事記)をよく知っていて 子ども達に、 日本の神話から始まって 2600年以上続いている国であることを 学校授業で教えていました 教科書の内容は、わかりやすく Youtubeでアップしていますので もしよろしければご覧くださいね この物語は、修身という 学校の教科書の一番最初のページです。 (イラストは作成しています) 神

30年日本史01019【南北朝前期】尊氏、自害を覚悟す

 敗北した尊氏軍2万騎は、さほど広くない松岡城(神戸市須磨区)に逃げ込んでいったので、ぎゅうぎゅう詰めになってしまいました。 「元々から城に詰めていた者以外は出ろ」 と言われ、郎党たちは外へ出されてしまい、城門も閉じられてしまったので、元々士気の低かった者は 「執事(高師直のこと)のやりようはひどい。こんな方のために討ち死になどできようか」 と言って逃げていきました。これらの逃亡者たちは漁師に変装して破れた蓑を身に纏ったり、あるいは草刈りに身をやつして竹の籠を肩に掛けたりしな

【東京の史跡】東京の出雲~府中熊野神社古墳と古墳展示館(古墳のレプリカあり)

2023年5月20日から24日まで「出雲神話」を巡る旅 にでました。 まず出雲大社と同じ大国主命を祀る大國魂神社近くの駅から2駅でこちらの最寄り駅に来れます。 アクセス的には 大國魂神社→(徒歩5分)JR武蔵野線・南武線「府中本町駅」 →2駅(4分)→「西府」駅着→(徒歩8分)→府中熊野神社古墳 まず熊野神社(主祭神は出雲の神様:素盞嗚命)にお参りしまして。 さっそく古墳を見ちゃいます~(実は古墳好き) 「上円下方墳」とあるので、上が丸くて下が四角い形の古墳。 皆様がよ

本能寺の変 1852 その一因 2(1)光秀の素性6 そ第19話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 2(1)光秀の素性6 そ第19話 はじめに ←目次 ←その一因 目次大 概説 目次中  2光秀の年齢と嫡男光慶 (1)光秀の素性 ←  →重要 ◎目次  →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次  →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次  →【シリーズ】  信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5  →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607  →【 重要史料 】 【 重史一覧 】 【 人物 】  *◎=重要ヶ所 P