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中学レベル日本史・復習編 ⑵古代①

さて、今回から2回ほどで古代をみていきます。

古代は、公家天皇上皇、天皇の臣下である貴族)が治めた時代です。具体的には、
大和時代(4~6C)
飛鳥時代(7C)
奈良時代(8C)
平安時代(9~12C)
と続きます。

1.【古代総論】古代史のパターン

古代史を整理する中で、日本史全体で何度か繰り返されるパターン(原型)を見出すことができます。通史をマスターする際には、この「パターン」に着目する事が重要です。

そのパターンとは、

日本オリジナルの制度・文化
   ⬇️(次第に使いにくくなる・飽きてくる)
外来の制度・文化の導入
   ⬇️(日本人の生活・風土に合わなくなる)
日本独自の制度・文化にアレンジ

というものです。

もちろん、他国の歴史・文化にも似たようなパターンは見られるのですが、日本史にユニークな事情として以下の点を上げる事ができると思います。

外国の本格的な侵略・占領を(太平洋戦争敗戦を除き) 受けたことがないので、日本人の生活・風土に合わない制度・文化を強制された経験が無い。結果、合わないものは比較的早くアレンジされる。

外国の制度・文化を小器用に日本風にアレンジ・模倣(=マネ)するのがうまい。

上記のパターンを具体的な時代区分にあてはめると
次のようになります。
注)下記の各キーワードは別途解説します。

<⑴ 日本オリジナルの制度・文化
大和時代(4~6C)→氏姓制度古墳文化
       ⬇️
次第に氏姓制度使いにくくなる古墳造営が流行らなくなる
       ⬇️
<⑵ 外来の制度・文化の導入
飛鳥時代(7C)= 転換期
律令制度輸入・研究
飛鳥文化日本最初の仏教文化=外国文化
       ⬇️
奈良時代(8C)=律令国家①
律令制度本格的導入修正
天平文化唐文化の本格的導入・模倣
→失敗と混乱

平安時代(9C)=律令国家②
律令制度の日本風アレンジの開始
(=桓武天皇らの律令制改革
       ⬇️
それでも律令制度が日本人に合わない
遣唐使の廃止外国文化の流入停止
       ⬇️
<⑶ 日本独自の制度・文化にアレンジ
平安時代(10C)=「王朝国家」の完成
→律令制度の日本風アレンジとしての摂関政治
国風文化日本オリジナルの文化への回帰
       ⬇️
平安時代(11〜12C)=「王朝国家」の衰退・崩壊
院政(11C)と平氏政権(12C)

このような流れとなります。
本稿では、まず❶大和時代の各論を見ていきます。

2.大和時代(4〜6C)と古墳文化

①【4C】 ヤマト政権の成立

大王と奈良盆地周辺の豪族連合政権(=ヤマト政権)が成立。
・固有の(=日本独特の)政治制度である氏姓制度が成立・発展

・財政的には、大王も豪族も私有地・私有民を保有・使役する「私地私民」体制であった。
・ただし、朝鮮半島からの鉄資源の導入など、当時のハイテク技術大王が独占排他的に支配・管理することで大王の支配力が確保されていた。

②【5C】 ヤマト政権の発展・全盛期=倭の五王時代

・5世紀になるとヤマト政権の大王権力が国内的にも、対外的にも伸長し、「倭の五王」(=日本の五人の大王)時代と呼ばれる全盛期が現出。
・特に、倭王「武」「雄略天皇」「ワカタケル大王」の時代には、前方後円墳(日本固有の形態の大型古墳)が多く造営されるとともに、中国の歴史書「『宋書』倭国伝」にも複数か所に記載を残すほどの権勢を誇った。

③【6C】 氏姓制度の完成と混乱

・6Cになると、上記の図で示したような典型的な氏姓制度が完成した。
・同時に、大伴氏など有力豪族の中に強大な政治権力を持つものが現れ始めた。
・特に、朝鮮半島から仏教伝来(538年)と共に大陸の新思想・新技術が伝わると、外交を担当して仏教を受容した有力豪族・蘇我氏と、日本古来の神道を司る有力豪族・物部氏とが壮絶な抗争を繰り広げ、大混乱をもたらした。
・物部氏との権力闘争を制した蘇我氏は、大陸からの渡来人がもたらす新技術や利権を活用し、6C末には大王をもしのぐ力を持つようになる。

大王が豪族を支配するため制度が氏姓制度である。豪族が大王の権力をしのぐようになれば、氏姓制度は既に統治システムとして機能していないことになる。
※日本史で「大陸」という場合、中国大陸~朝鮮半島を指すことが多い。

★飛鳥時代に続きます。

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