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先輩が比叡山登りながら語った「通行料が高いから織田信長が比叡山焼き討ちした」ホンマか?😭

歴史好きの雲です。

今年の4月に比叡山に登りました。

登山中に会話をよくします。
話をしながらだと、気が紛れてしんどさを感じなくなります。

登山グループのリーダ格の大先輩が、雑学王のように話を聞かせてくれます。
以前、飛鳥時代の六甲山は、富士山より高かった。地震で倒れで数十キロに及ぶ六甲山系となったと言ってました。
(六甲山は富士山より高かったと言いたかったのでしょう。関西人は基本的に関東人にやたらと対抗心を燃やします)

滋賀県側からの比叡山の登山口です(写真は山ガールMIZUHOさんです)

その大先輩が、織田信長による比叡山を焼き討ちにした理由について、私に熱く語ってくれました。

・比叡山は滋賀から京都に行くための近道である。
・比叡山は交通要所で関所があり、高額の通行料をとっていたと。
・楽市楽座を進める信長は各地の関所を廃止にして、無料で往来できるようにさせていた。

比叡山が通行料が高いので焼き討ちした

なるほどさすが大先輩。
あちこちに関所を作って、「ここを通りたければ金払え!」と言ってるヤツが大勢いたと聞いたことあります。
信長は道路を整備したり、関所を廃止にしたり国造りも優れた方ですね。

きっと本当に違いないと思いますが。
念のため、ホンマか?
と調べてみました。

ウィキペディアによる比叡山焼き討ちの理由

信長のとっての敵(朝倉義景、浅井長政)の味方をしたのが大きな理由として記載されました。

ChatGPTに焼き討ちの理由を聞いてみました。

下記の文章が長いので要約すると、攻めた理由の8番目の一部の理由として通行料が高いから攻めたそうです。
さすが大先輩、理由としては存在してました!
ハッタリではありませんでした、ホッとしました。

織田信長が比叡山を焼き討ちした理由を重要度の高い順に並べると、以下のようになります。
1. 反信長勢力の拠点: 比叡山延暦寺が朝倉氏や浅井氏など、信長に反抗する勢力と結びつき、信長に対する直接的な脅威となっていたことが最も大きな理由です。
2. 比叡山の武装勢力(僧兵): 比叡山は武装した僧兵を抱え、独自の軍事力を持っていたため、信長にとってその存在自体が危険でした。
3. 宗教勢力の政治的介入: 比叡山を含む宗教勢力が政治に強い影響力を持ち、信長の天下統一を妨げていたため、これを抑制する必要がありました。
4. 天下統一のための戦略: 天下統一を目指す信長にとって、反抗的な宗教勢力を徹底的に排除することは戦略的に重要でした。
5. 信長の宗教観: 信長は宗教勢力が政治権力を持つことを嫌い、宗教的権威に対して挑戦する姿勢を持っていたため、焼き討ちはその表れと考えられます。
6. 示威行為: 比叡山焼き討ちは、他の勢力に対して信長の強硬姿勢を示し、反抗者に対する徹底的な制裁を誇示する意図もありました。
7. 地政学的な要因: 比叡山は京都に近く、その支配は信長にとって重要な戦略的意味を持っていたため、制圧が必要でした。
8. 経済的な側面: 比叡山延暦寺が広大な領地を持ち、通行料を徴収するなど経済的に強力な影響力を持っていたため、信長はその経済力を削ごうとしました。
9. 過去の対立: 比叡山との長年の対立や不和も、信長が焼き討ちを決断する要因の一つでした。
10. 恐怖政治の一環: 信長は恐怖をもって支配し、反抗する者には容赦しないというメッセージを送るために焼き討ちを行ったと考えられます。この順番は、信長の政治的・軍事的目標に対する重要性や脅威の度合いを基にしています。

ChatGPT

1番の理由ではなく8番目です。
マニアックな理由ですね。

面白いテーマなので、ちょっと私なりに考察してみました。
まず、ポイントとして2つあります
1.比叡山越えの道は楽市楽座のための重要な道?
2.通行料廃止のために戦うメリットは?
考察します。

1.比叡山越えの道は楽市楽座のための重要な道?

京都の中心地や御所は京都市でも北に位置します。

坂本城からは比叡山越えは最短ルートです。中山道を経由すると遠いです

赤い線は、当時の中山道(岐阜から京都までの道です)です。
中山道は後の東海道となり、現在は国道となってます。
荷物の運搬は中山道を通るのが定番と思います。
緑の線は、私が通った比叡山登山で坂本から京都への登山ルートです。

坂本城(当時明智光秀在住)から御所に行く場合は、比叡山を通るほうが直線距離で近いです。

しかし、遠方の安土城や岐阜城から京都を目指すと話は変わってきます。

琵琶湖て南北縦断で200キロある巨大湖です。よって岐阜から京都へは中山道を通ります。

壮大な話になってきました。
ちなみに当時、羽柴秀吉は長浜在住者です。琵琶湖の北の方にいます。
明智、羽柴が信長の両翼だったのはこの城の配置でもわかりますね!
400年後、私が長浜でビワコオオナマズと戦い続けているのは歴史の偶然を感じます!

話を元に戻します。
琵琶湖の北岸を大回りして比叡山を越えなくても、中山道を通れば大津経由で容易に京都に入れます。

もう一点考慮すべきことがあります。
比叡山から京への登山道はめちゃめちゃ険しいです。
物流面からも、比叡山ルートで交易品を運ぶのはありえない思いました。

比叡山から京都へ向かうルートです。かなり急こう配の道です。

結論、中山道があるのでわざわざ比叡山を通らない


2.通行料廃止のために戦うメリットは?

そもそも、比叡山の通行料を廃止しても現金は信長に入りません。
通行料という支出が減ることがメリットと思いますが、比叡山を手中におさめても中山道を使います。
比叡山攻めでの軍事行動に掛かる費用は莫大な費用になります。
兵士もタダでは働きません、武器、食料なで数万人分必要です。

当時の比叡山がお金持ちなのは、天台宗の総本山であるので寄付などが理由です。
比叡山を破壊してはお金は入ってきません。
ストレートに言いますと比叡山を焼き討ちしても金銭面でのメリットはないです。

他のメリットとしては坂本城の明智光秀が京都御所に駆けつけるというのは便利です。比叡山越えのルートが手に入りました。
(本能寺の変の時に坂本城から亀山城への移動ルートに比叡山を通ったのかは不明ですが、個人的は通ったと思います。比叡山攻めで地理に詳しくなった明智が、京都までの最短ルートを通って謀反を起こしたとは皮肉ですね)

通行料廃止のためではなく、京都の近くに敵対勢力がいるのがリスクと考えるほうが自然ですね。

比叡山から見た京都です
焼き討ち後、羽柴秀吉の時代になり僧兵を置かないという条件で比叡山延暦寺は再建したそうです

私の考察結果
通行料をとっているのは重要ではない、比叡山延暦寺は浅井朝倉に味方したので信長にとって恨敵であった。京都に近い場所に強大な敵がいるという地政学リスクにより焼き尽くすという手段に出た。

大先輩の貴重な話を考察するという些細な話を読んで頂きありがとうございました。
もし、やはり通行料が高いから攻めたんじゃという意見などあればコメントお願いします!


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