仕事帰り、自宅に籠もりがちな父に、小さなアイスクリームを一つだけ買った。涙ながらに、美味しい美味しいと食べてくれた。 自分といえば、今日のお昼、そんなアイスクリームよりずっと高い豚骨ラーメンを食べたんだった…あぁ これから自分は、父に何が出来るだろうか… いざ、試されよう。
政治家が駄目だから日本も終わり。なんて短絡的に考えるよりも 自分は何を理解し、どう行動していくか? 罵倒したい人達は、結局国の有り様に関して当事者意識がないと思う。 政治家よりも、彼らに私はリスクを感じる。 国民としての責任はどう果たせば良いだろうか?
アベプラという番組で「合理的配慮」について討論があり 配慮は「義務」ではなく「努力義務」が適当ではと思いまして 求められたら全て応えるのは無理です。ケースバイケースに、柔軟に出来る範囲で、ナチュラルなサポートに委ねる。 配慮を求める権利と同様、断る権利も尊重されるべきでは?
障害者雇用の動画を見ました。 コメント欄には、働かせて配慮までしてもらっているのだから目を瞑れとかありましたが 企業と当事者が話し合いで どこまで企業は配慮ができ、どういう配慮を当事者が望んでいるか、明確化する。 誰かを悪者にして終わりにするのは解決にはならないと思いました。
強くなるしかない。 なんて、昔は思っていたけれど どこまで強くなれば良いか分からなくなって 強くなることを意識しなくなった。 そもそも、弱みもあって人間だ。 常に気合いで対処なんて無理だし 弱った時にどう向き合うかが大事。 生きるのに、果てなく強さを求めなくて良いと今なら言える。
合理的配慮を形成するにしても、当事者本人が、自分はどのようなフォローが必要か分からない場合もある。働いてみないと見えてこないこともある。 だから、働きながら、企業側や支援側が当人と協力して、慎重にアセスメントをして、必要なフォローを導き出す必要もあると思う。
好きなものが便利だとは限らないし、便利なものを必ず好きになるとも限らない。でも好きなら、少々の不便は平気。それもまた愛おしくて、むしろ " 味 " 。かわいいものはやっぱりかわいい❤️
近々職場の近くに引っ越します。 親からの反対、干渉を避けるために黙って準備を進めていましたがバレました。 でも、反対されることなく 「たまには帰って来い」と背中を押してもらえました。 親に対して偏見や不信感を抱いていたのが恥ずかしいです。 とにかく、やると決めたからにはやります。
障害者の支援員を目指していた頃は、自立を目指すのがベストだと思っていた。 だから、目先の安定で完結し、先の選択肢を狭めている今の支援の在り方に疑問を感じていた。 でも今は、自立の仕方は当事者が選べるように、その選択肢を見つけてサポートしていく。それで良いのだと思っている。
物に関しても 思考に関しても 抱え込み癖がある私。 いけないと今までは思っていたけれど それを止めたい。 否定して直そうとするよりも いったん受け止めて 抱え込んでも対処出来る方法を探したい。 そうする方が 道が拓ける気がする。
合理的配慮は、やり方を間違えると差別になる。どう配慮すべきで、会社はどうフォローが出来るか、話し合いを重ね、合意形成を図る。配慮という枠を上手く機能させることが出来れば問題はないかもしれない。 ただ、型にはまらないように、枠を柔軟に変化させることも、個人としての尊重も必要だ。
独り暮らしのやる気に火をつけるために、リユースのお店へ行きしました。 そうしたら 安くて良いものが沢山揃っていてビックリ! 帰宅して、欲しいものを見積もったら 通常価格より10万円以上も安くて済みます。 なので、家財は基本的にリユースで済ましたいと思います。 とことんやるぞ❗
嫌いじゃなければ好きなのか? よく分かりません。 嫌いじゃないから「愛している!」と突っ走るのは危険ですよね。 気になっている人は、明らかに私とは合いません。 単に恋愛したいだけなのでしょうが もっと視野を広げ、自分の愛したい欲求を満たせる人を探すべきなのでしょう。
休日だったので、仕事で受け持った現場まで車で行く練習をした。 高速道路の運転で迷うとか、命の危険しか感じない。 終始、本当に怖かった。 でも、失敗を先払いしたおかげで、本番は今日よりも上手くいくだろう。 失敗をするなら先払いにすべし! 経験は本番で活きると思えば損ではない。
私は精神疾患があります。 当事者だからこそ分かるし、寄り添える。そう思って支援者を目指しました。 でも、分かりすぎて、寄り添い過ぎるのも実は危険。 距離を取って淡々と関わるくらいが丁度良いのかもしれません。 私はおそらく、それは難しい。 だからこそ、断念して良かったと思いました。