1分小説

たまゆら #1_桜

もし私が死んだら、きみが悲しんでしまうのなら、生きるのも悪くないかなと思った。

久しぶりの改札を抜けると、少し湿った土の匂いの風が吹き抜けた。地面を透かしているが辛うじて破れていない花びらを、できるだけ踏まないように階段をのぼる。さらに強く吹き込んだ風に乗った花びらがひらひらと目の前を漂って手のひらに止まった。階段をのぼりきって見えたのは、新品の桜の絨毯。7時10分、早く来た甲斐があった。
制服

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死神の恋

少女を迎えにきた死神。
死神は少女に恋をしてしまった。
少女の寿命はとっくに尽きている。
短くなった蝋燭の炎が弱々しく揺れる。
また黄泉の風が吹く。
死神は蝋燭の炎をその風から必死で護る。
何度も何度も……。
そのたびに死神の体は透明に近づいていく。
「もうやめて!このままだと死神さんの命が」
「俺の命?俺には命なんてない」
「嘘!貴方にだって命はあるわ!それは私と変わらない命よ」
少女の命を護ろ

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ありがとうございます!めっちゃ嬉しいです!💕🌹
6

赤い傘と遺伝子の音色

赤い傘の下で揺れるロングの黒髪
湿った雨音のなか歩むローファー
だんだん近づいてくる音色

高架下
トランペットの音色
壁に凭れて奏でる無精髭の男
雑音と雨音に溶け込んでいく
男の視界に入る
濡れたローファー
赤い傘
男は驚いたが気にせず演奏を続けた

「悲しい音色だね。何だか泣いてるみたい」
彼女の言葉に男の心臓が静かに反応した
「とても寂しい孤独な音色」
「……孤独か」
売れないトランペット奏

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2

【60秒で読書】この世界いっぱいに

「ターゲットは十五分後にこの道を通る」

 耳もとに低く流れてくる伝達。

「全員、配置につけ」

 じっとりと汗ばむ皮膚が、緊張する全身を締めあげる。

「5、」

 カウントが始まり、ふいに鳥肌が立った。

「4、」「3、」「2、」

 何度やっても慣れるということのないこの状況。

 集中せよ。集中せよ。

 合図を待って息をつめる。

「1、」

「……GO!」

 凄まじい羽音が炸裂した

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【掌編小説】大貧民

セルバンテスは著書『ドン・キホーテ』の中で、こう言った。

There are only two families in the world, the Haves and the Have-Nots.
家柄ってのは、世界にたった2つしかない。持てる者と持たざる者、どっちかだ。


常識が変わる速さは、忍び寄るようにゆっくりの時もあるし、時として一瞬のこともある。『大貧民』というゲームで、さながら

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【掌編小説】ピース

昔、母とした約束がある。
夜。歩(あゆむ)はコーヒーを淹れて、ベランダから向かいのマンションの空き部屋をぼんやりと見つめていた。
3月も終わりに差し掛かるというのに、ひやりと風が頬をかすめた。


「死」について母と話したのは、あとにも先にもこの時限りだ。

それは遠い思春期の記憶。もう二十年近く前のことになる。
歩は十二歳で、当時、埼玉県の県営団地に住んでいた。
母は三十五歳、昼間は倉庫で働き

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【掌編小説】探偵の才能

職業柄、胡散臭い連中には慣れていたー。

その男、荒城国之の職業は、探偵だった。
荒城は調査依頼の一環で、都心部のある地域にここのところよく出向いていた。

再開発が進んだこの街は、行くたびに店構えが変わっている。
よくもまあこの短期間のうちに古い馴染みの店が潰れ、新しい店やサービスが生まれるものだ。荒城は雑踏を歩きながら、人々の栄衰について思いを馳せた。
メインストリートから一本外れた裏通りを歩

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書きあぐねている人のための小説入門

ブックオフで『書きあぐねている人のための小説入門』という文庫本を買った。

 読んでいたら、
「とりあえず書きあぐねている場合じゃないからさっさと紙に書け」と言われた。

次の日、僕はその文庫本をブックオフに売った。
大丈夫、元は取れた。きっと名著に違いない。

【1分小説】Brand new Account

湯沢茜は、時々、素の自分とVtuber「木南アカ」の境界線が分からなくなることがあった。

都内のマンションの一室。スタジオ、といってしまえば格好がつくが、それは自宅の寝室を防音仕様にした簡易な作りだった。

事務所の人からはもっと広くて、撮影に専念できるような物件に引っ越したら、なんて言われているけど、やっぱり今の場所が落ち着くし、裸一貫で金を稼いでいる感じが心地良くて、アカウントを作った5年

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アイロン掛けと給与計算

「アイロン掛けと給与計算は似ている」

給与計算がどんな仕事か聞かれたら
ワイシャツにアイロンを掛けるようなものと答えるようにしている

単調だけど 一定のリズムがあり
ひとつずつ物事をあるべきかたちに
もしくはあるべき場所に整えていく

いくつかの工程があり
決して一気にぱりっと綺麗にならないけれど
時間を掛けて 丁寧に折り目を正していく

ボタンのないエレベーターの中で
左右のポケット

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