宇宙には何らかの普遍的な意思体があって、今私のものとしている意志は迷妄であり、普遍的意志体の死後的な世界、もしくは見ている夢こそが、私とされるものではないか。そんな風に感じることもある。いずれにせよ私だという信念は、私の死によって霧散するが、それは目覚めや蘇生なのかもしれない。
いつ死が訪れるか分からない以上、地上には無念の墓標が乱立している。いや、瞬く間に訪れた召命に、自分の死を自覚できない者も多かっただろう。いかに悔しかろうが、あるがままの宇宙は全てを呑み込みうねるだけだ。自我が霧散して分別もできなくなれば、無念も散じるのがせめてもの救いだろうか。