亡くなる直前のこんな状態の中で必死に遺した「あいたい」っていう最後の言葉を見て、 会わせてあげようって思うのではなく「本当にあいたいと思ってるなら…」なんて疑ってかかって無視して会わせず送り出すような人がなぜ親代わりと名乗ったり、大切な娘なんて口に出来るのだろう?
あいたいと遺していった最後の願いすら無視して送り出せる冷酷さはともかくとしても、 亡くなる前日まで数ヶ月間、毎日朝から晩まで時間を共にしてきた恋人を葬儀に呼ばない、別れの機会すら与えない人として当然の礼儀すら欠けた人間にして送り出せる人達がなぜ親代わりなんて口に出来るのだろう?
10/21遠方から出てきて働いている、コミュ力があまり高くない学生スタッフの親代わりのような人が来店でご挨拶に。心配してたけど僕たちと深夜に出掛けたことや仕事が楽しいと聞いたので安心していると教えてくれた。帰られてからそのスタッフから他の仲間達へ感謝の言葉。ありがとうございます!
息子ちゃんを叱る時があるのですが、彼はまだしゃべれないためか、こちらの意思が伝わらずヤキモキ。 少し冷静になろうと場を離れると、娘が 「弟ちゃんはこれが嫌だったんだと思うから、こう伝えてみたら良いよ😃」アドバイスをくれます。 彼をよく見てるね!見習います。