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色々あった50ウン年。 今が一番楽しい! クズ時代から、ハッピーLIFEまでを書いてい…

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色々あった50ウン年。 今が一番楽しい! クズ時代から、ハッピーLIFEまでを書いていこうと思います。

最近の記事

母が求める理想の娘。演じるのはいつまでですか?

物心ついた時から、小児喘息で入退院を繰り返していた。 両親が喧嘩をしていると、「私が喘息だからだ」と自分を責めていた。 だから、両親の前では、優等生でいなくてはいけなかった。 母親の理想の娘を一生懸命演じた。 明るくておしゃべりで天真爛漫。クラスの人気者。人見知りせず誰からも好かれる娘。 本当の私は、1人でいるのがスキで人の意見に笑顔で頷くタイプではない。できれば話もしたくない。母親は知らないだろう… よく母親から「可愛くない」と言われる。甘え方だけは、演じることが出来

    • 今思えば、乳児院で働くって凄いんですね。

      乳児院で働いたおかげで、保育園に転職しても、物足りないくらいだった。 乳児院を退職し、保育園看護師として保育園に転職した。 乳児院は、体調を崩して辞めた。 好きな仕事だったが、身体が悲鳴を上げた。夜勤も辛くなっていた。 50歳も目の前だった。 乳児院時代は、1人で大体4人の子どもを受け持ち、遊び、散歩、ご飯、お風呂を日勤の時はこなしていた。 1歳から2歳の子どもを、よくもまあ、1人で見ていたなぁ。と今は思う が、乳児院ではみんな当たり前にこなしていた。 当番によっては、そ

      • 看護師が乳児院で働くと、パニクります。

        前々から気になっていた乳児院。 赤ちゃんが好きだから、私に向いてるかも…なんて、軽い気持ちで転職した。 甘かった! 「看護師だから出来ません」は却下!保育園と違い、時間までの保育ではない。24時間365日、保育ではなく養育。親代わりとなり愛情も躾も必要になる。子育て経験のない私は、務まるのだろうか… まずは、仕事を覚えなくては(当たり前だが)でも、24時間分の仕事を覚えなくてはいけない。 ちなみに、クラスは3クラス。 早番、日勤、遅番、準夜、深夜…覚えることがケタ違い(涙

        • 離婚で失ったものと得たもの

          寿退社をしていた私。 まさかのスピード離婚で仕事を失ってしまう。 結婚式を人並みにしたお陰で、 プライドの高い母親は、親戚一同に離婚の事実を告げる事ができず、うそをつき続けた。 結果、実家に住む事も出来なくなり、慌てて引っ越しするはめに。 結婚式、新婚旅行、新生活のお買い物等など…貯金も尽き始めてる(涙) 仕事を始める気力もない。 実家も頼れない… いったい私はどうしたらいいの… でも私、どん底に落ちた時が嫌いではない。 なぜなら、もうこれ以上落ちないから。上だけを

        母が求める理想の娘。演じるのはいつまでですか?

          離婚までのカウントダウン・・・

          33歳で結婚した。 5年もの間、お互いの成長を支え合い、同窓生としてのつながりもあって、自然な流れで結婚に至った。 プロポーズはなくても、結婚式の準備を進める中で幸せな時間を過ごしていた。 はずだった・・・ 結婚式直後に彼の浮気が発覚。 結婚して初めてのクリスマスに彼が仕事で外泊するという言い訳に疑念を感じた。 次の日、机の上に置かれたラブホテルの割引クーポンを見て、胸が痛んだ。 その日付を見て、まさかの事実を受け入れざるを得なかった。 この出来事を機に、彼の浮気相

          離婚までのカウントダウン・・・

          保育園との出会いがくれた宝物は今の私

          看護師になって、病院以外ではじめて働いたのが保育園。 保育園に看護師がいる事を知らなかった私は、 保健室の先生しか想像出来なかった。 実際は、 0歳児クラスの担任をしながら、 ケガや病気の園児の対応をしたり、 検診の準備や介助をしたり、 保健指導をしたり、保健だよりを書いたりと、やることはたくさんあった。 保健室などないし、保育補助として 保育士と一緒に子どもたちと遊んだ。 病院勤務の時と違い、健康な園児たちの保育は楽しかった。 保育園では、 保育士の中に看護師は一人

          保育園との出会いがくれた宝物は今の私

          カサナルワカレ

          准看護師として、働き始め心機一転と思い初の転職をしてみた。 この頃の私は、とにかく興味がある事に挑戦したかった。 ある程度仕事ができるようになると、また転職。転職を繰り返しながら、あることに気づく。 准看護師の需要が減っている? そうだ、正看を取ろう! 正看護師になるため、看護学校を受験し合格し、3年間働きながら学校に通い、国家試験合格。 看護師として最初に働いたのは、産婦人科だった。 生命の誕生に関われる仕事。 やりがいしかなかった。 はずだった。 いつものように、分娩

          カサナルワカレ

          好きなことを仕事に!

          小さい頃、 小児喘息で入退院を繰り返していた私。 入院中、看護学生が担当してくれる事があり、お風呂に入れない私の髪を、ベッド上で洗ってくれて、編み込みをしてくれた。 あの時、『優しい看護師さんになる』と心に決めた。 でも、小児喘息はひどくなるばかり、呼吸停止も2回経験した。 小学校も病院から養護学校に通い、 まともに勉強もしなかった。 中学生になり、ようやく発作もでなくなり公立の中学校に通うことが出来た。勉強は、まだまだ落ちこぼれ。 でも、 看護師になる夢は捨てなかった

          好きなことを仕事に!

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          FLORAL VILLAGE

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          由布院は魅力的

          由布院は魅力的

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          由布院で癒やされるはずが…

          由布院で、食べ歩きをするはずが ガッツリ食べてしまった(笑) いっぱい歩いてお腹もすくだろうと思いきや、食べる予定だったお店についても食欲はわかず… 横目でチラチラ見ながら素通りし、お土産を買って、ベンチを見つけては休憩して終了。 癒やされるはずが、人の多さにゲッソリしバスに揺られ空港へ。 さらば、大分県!

          由布院で癒やされるはずが…

          昨日、バスに乗ると優先席だけ空いていた。他に立っている人はいないから座ると、オバァ様方から『若いのに…ねぇ』と白い目で見られた。 『だったら、貴方がたが、優先席座ってよ〜』と心でつぶやきなから席を立つ惨めな私。

          昨日、バスに乗ると優先席だけ空いていた。他に立っている人はいないから座ると、オバァ様方から『若いのに…ねぇ』と白い目で見られた。 『だったら、貴方がたが、優先席座ってよ〜』と心でつぶやきなから席を立つ惨めな私。

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          臼杵に癒やされる

          臼杵に癒やされる

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          両親の里帰りに同行

          80歳になる両親の、大分県里帰りに同行した。 人任せで、切符さえ自分で買わない母親と、その母親に振り回されてる父親。 そんな両親のやり取りにイライラしている私(娘50歳代)。 私が、両親と別行動して癒やされた九州観光写真を紹介します。

          両親の里帰りに同行