sakurasaku427

色々あった50数年。思いつくままに、生きてきた証をnoteで発信したいと思います。

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色々あった50数年。思いつくままに、生きてきた証をnoteで発信したいと思います。

記事一覧

占い、信じますか?私は信じます(笑)

前世を見てもらったことがある。 私が子ども好きなのは、どうやら前世に遡るらしい。 外国人で、子沢山の女性。 多分戦時中。子どもを1人病気で亡くして憔悴する彼女に周…

sakurasaku427
1日前
4

保育園で働いて夢を失った保育士へ。
子どもが好きで保育士になったのに、保育園で働く事が辛くて保育士を辞めるのって、モッタイナイ。子どもが好きならベビーシッターに成ればいいのに…私は2度と保育園では働きたくないけど、これからも子どもとは関わっていたい。だって子どもが大好きだから。

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1日前
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小児喘息で2回死にかけた時の話

私は死にかけた経験がある。 小学校に上る前に、2回…。小児喘息で入退院を繰り返していた幼少期に。 1回目は夜中だったと思う。寝ていたら突然息が出来なくなった。よく…

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3日前
4

バブルの思い出に浸ってみた。

バブル時代の話。 私が看護師を目指していた頃、寮生活をしていた。高校を卒業した未成年の私は、正直浮かれていた。看護助手として病院で働きながら学校に通う日々。 唯一…

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5日前
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人生イチ多忙な3年間!最初で最後の同棲生活

私がまだ、 20代の看護学生だった時の話。 准看護師として働きながら学校に通い、彼氏と同棲生活もし、夜勤のない夜はラウンジでバイトもし、休みの日には、彼の仕事であ…

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6日前
4

苦情オンナからは、逃げるが勝ち!

2年前のお話。 隣に新築のマンションが建った。広さはさほど変わらないのに、家賃が安い。Wi-Fi無料。と言うことで早速引っ越し。 快適な新築LIFEを満喫していられたのは…

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8日前
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夢の途中!?まだまだ走るアラフィフ

物心ついた頃から、小児喘息で入退院を繰り返していた。ある日、実習に来ていた看護学生が私の担当になり、何日も洗っていない汚れた髪をベッド上で洗ってくれた。そのうえ…

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2週間前
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母が求める理想の娘。演じるのはいつまでですか?

物心ついた時から、小児喘息で入退院を繰り返していた。 両親が喧嘩をしていると、「私が喘息だからだ」と自分を責めていた。 だから、両親の前では、優等生でいなくてはい…

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3週間前
5

今思えば、乳児院で働くって凄いんですね。

乳児院で働いたおかげで、保育園に転職しても、物足りないくらいだった。 乳児院を退職し、保育園看護師として保育園に転職した。 乳児院は、体調を崩して辞めた。 好きな…

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4週間前
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看護師が乳児院で働くと、パニクります。

前々から気になっていた乳児院。 赤ちゃんが好きだから、私に向いてるかも…なんて、軽い気持ちで転職した。 甘かった! 「看護師だから出来ません」は却下!保育園と違…

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1か月前
8

離婚で失ったものと得たもの

寿退社をしていた私。 まさかのスピード離婚で仕事を失ってしまう。 結婚式を人並みにしたお陰で、 プライドの高い母親は、親戚一同に離婚の事実を告げる事ができず、うそ…

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1か月前
5

離婚までのカウントダウン・・・

33歳で結婚した。 5年もの間、お互いの成長を支え合い、同窓生としてのつながりもあって、自然な流れで結婚に至った。 プロポーズはなくても、結婚式の準備を進める中で幸…

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1か月前
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保育園との出会いがくれた宝物は今の私

看護師になって、病院以外ではじめて働いたのが保育園。 保育園に看護師がいる事を知らなかった私は、 保健室の先生しか想像出来なかった。 実際は、 0歳児クラスの担任…

sakurasaku427
1か月前
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カサナルワカレ

准看護師として、働き始め心機一転と思い初の転職をしてみた。 この頃の私は、とにかく興味がある事に挑戦したかった。 ある程度仕事ができるようになると、また転職。転職…

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1か月前
8

好きなことを仕事に!

小さい頃、 小児喘息で入退院を繰り返していた私。 入院中、看護学生が担当してくれる事があり、お風呂に入れない私の髪を、ベッド上で洗ってくれて、編み込みをしてくれ…

sakurasaku427
1か月前
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FLORAL VILLAGE

sakurasaku427
1か月前
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占い、信じますか?私は信じます(笑)

前世を見てもらったことがある。 私が子ども好きなのは、どうやら前世に遡るらしい。 外国人で、子沢山の女性。 多分戦時中。子どもを1人病気で亡くして憔悴する彼女に周りの大人たちが、他にも子どもは沢山いるじゃないか!と慰めたそうだ。 彼女は亡くなった子をいち個人としてみていたが、周りの大人たちは、たくさんいるうちの1人と思っていた。 彼女はやりきれない思いで、こんなに哀しい思いをするなら、生まれ変わったら子どもはいらない。でも、子どもとは関わりたい…そんな思いだったそう。 話

保育園で働いて夢を失った保育士へ。 子どもが好きで保育士になったのに、保育園で働く事が辛くて保育士を辞めるのって、モッタイナイ。子どもが好きならベビーシッターに成ればいいのに…私は2度と保育園では働きたくないけど、これからも子どもとは関わっていたい。だって子どもが大好きだから。

小児喘息で2回死にかけた時の話

私は死にかけた経験がある。 小学校に上る前に、2回…。小児喘息で入退院を繰り返していた幼少期に。 1回目は夜中だったと思う。寝ていたら突然息が出来なくなった。よく映画などで海に沈んで死んでいくシーンがあるが、あんな感じ。苦しくてもがいて、意識が遠のく時フッと楽になる。 子どもながらに『死ぬんだな』と思った。真っ暗闇をひたすら歩いた。名前を呼ぶ声が聞こえる。目を覚ますと病院の天井が見えた。『死ねなかったのか』 悲しいが鮮明に覚えている。最初に思った感想だ。正直、小児喘息の発作

バブルの思い出に浸ってみた。

バブル時代の話。 私が看護師を目指していた頃、寮生活をしていた。高校を卒業した未成年の私は、正直浮かれていた。看護助手として病院で働きながら学校に通う日々。 唯一の楽しみは夜な夜な寮を抜け出しディスコに行く事。 そう、お立ち台とかジュリアナ東京の時代。バブルは終わりかけだったらしいが、まだまだ私は、バブルの恩恵を受けていた。 ディスコも楽しいのだが、ディスコ帰りのナンパもひとつの楽しみだった。店の前にぎっしり並ぶ車、くるま、クルマ…。 ナンパされて車の品定め。 『イイなぁ

人生イチ多忙な3年間!最初で最後の同棲生活

私がまだ、 20代の看護学生だった時の話。 准看護師として働きながら学校に通い、彼氏と同棲生活もし、夜勤のない夜はラウンジでバイトもし、休みの日には、彼の仕事であるねるとんパーティーのお手伝いもしていた。 何故こんなに働いているのかと言うと… 貢いでいたからだ。 彼のことが好きすぎて…と言いたい所だが、ただ単に私が貢ぎたかったから。深い意味はない。 私の家に彼が住み着き、同棲生活は始まった。 その頃働きながら通える看護学校に合格し、午後の時間だけ学校に通った。午前、

苦情オンナからは、逃げるが勝ち!

2年前のお話。 隣に新築のマンションが建った。広さはさほど変わらないのに、家賃が安い。Wi-Fi無料。と言うことで早速引っ越し。 快適な新築LIFEを満喫していられたのは、半年ほどだろうか… ポストに管理会社からチラシが頻回に入り始める。「夜中に走る音がする」「夜中に話し声がする」など。 最初は、どこかの階で騒がしい人がいるのかな。と思っていたが、その騒がしい人が私らしい。 私の部屋番号を指定され始めた。 早寝早起きの私が、夜中に騒ぐはずもなく、とんだとばっちりを受けて

夢の途中!?まだまだ走るアラフィフ

物心ついた頃から、小児喘息で入退院を繰り返していた。ある日、実習に来ていた看護学生が私の担当になり、何日も洗っていない汚れた髪をベッド上で洗ってくれた。そのうえ、肩まで伸びた髪を編み込んでくれたのだ。そのとき、私は心から感動し、「私も優しい看護師になりたい!」と強く思った。この感動は今でも忘れられない。 小児喘息のため、小学校は養護学校に通っていた。正直に言うと、まともに勉強しないまま小学校5年生になった。公立の小学校に転校したとき、授業についていけず、看護師になるどころか

母が求める理想の娘。演じるのはいつまでですか?

物心ついた時から、小児喘息で入退院を繰り返していた。 両親が喧嘩をしていると、「私が喘息だからだ」と自分を責めていた。 だから、両親の前では、優等生でいなくてはいけなかった。 母親の理想の娘を一生懸命演じた。 明るくておしゃべりで天真爛漫。クラスの人気者。人見知りせず誰からも好かれる娘。 本当の私は、1人でいるのがスキで人の意見に笑顔で頷くタイプではない。できれば話もしたくない。母親は知らないだろう… よく母親から「可愛くない」と言われる。甘え方だけは、演じることが出来

今思えば、乳児院で働くって凄いんですね。

乳児院で働いたおかげで、保育園に転職しても、物足りないくらいだった。 乳児院を退職し、保育園看護師として保育園に転職した。 乳児院は、体調を崩して辞めた。 好きな仕事だったが、身体が悲鳴を上げた。夜勤も辛くなっていた。 50歳も目の前だった。 乳児院時代は、1人で大体4人の子どもを受け持ち、遊び、散歩、ご飯、お風呂を日勤の時はこなしていた。 1歳から2歳の子どもを、よくもまあ、1人で見ていたなぁ。と今は思う が、乳児院ではみんな当たり前にこなしていた。 当番によっては、そ

看護師が乳児院で働くと、パニクります。

前々から気になっていた乳児院。 赤ちゃんが好きだから、私に向いてるかも…なんて、軽い気持ちで転職した。 甘かった! 「看護師だから出来ません」は却下!保育園と違い、時間までの保育ではない。24時間365日、保育ではなく養育。親代わりとなり愛情も躾も必要になる。子育て経験のない私は、務まるのだろうか… まずは、仕事を覚えなくては(当たり前だが)でも、24時間分の仕事を覚えなくてはいけない。 ちなみに、クラスは3クラス。 早番、日勤、遅番、準夜、深夜…覚えることがケタ違い(涙

離婚で失ったものと得たもの

寿退社をしていた私。 まさかのスピード離婚で仕事を失ってしまう。 結婚式を人並みにしたお陰で、 プライドの高い母親は、親戚一同に離婚の事実を告げる事ができず、うそをつき続けた。 結果、実家に住む事も出来なくなり、慌てて引っ越しするはめに。 結婚式、新婚旅行、新生活のお買い物等など…貯金も尽き始めてる(涙) 仕事を始める気力もない。 実家も頼れない… いったい私はどうしたらいいの… でも私、どん底に落ちた時が嫌いではない。 なぜなら、もうこれ以上落ちないから。上だけを

離婚までのカウントダウン・・・

33歳で結婚した。 5年もの間、お互いの成長を支え合い、同窓生としてのつながりもあって、自然な流れで結婚に至った。 プロポーズはなくても、結婚式の準備を進める中で幸せな時間を過ごしていた。 はずだった・・・ 結婚式直後に彼の浮気が発覚。 結婚して初めてのクリスマスに彼が仕事で外泊するという言い訳に疑念を感じた。 次の日、机の上に置かれたラブホテルの割引クーポンを見て、胸が痛んだ。 その日付を見て、まさかの事実を受け入れざるを得なかった。 この出来事を機に、彼の浮気相

保育園との出会いがくれた宝物は今の私

看護師になって、病院以外ではじめて働いたのが保育園。 保育園に看護師がいる事を知らなかった私は、 保健室の先生しか想像出来なかった。 実際は、 0歳児クラスの担任をしながら、 ケガや病気の園児の対応をしたり、 検診の準備や介助をしたり、 保健指導をしたり、保健だよりを書いたりと、やることはたくさんあった。 保健室などないし、保育補助として 保育士と一緒に子どもたちと遊んだ。 病院勤務の時と違い、健康な園児たちの保育は楽しかった。 保育園では、 保育士の中に看護師は一人

カサナルワカレ

准看護師として、働き始め心機一転と思い初の転職をしてみた。 この頃の私は、とにかく興味がある事に挑戦したかった。 ある程度仕事ができるようになると、また転職。転職を繰り返しながら、あることに気づく。 准看護師の需要が減っている? そうだ、正看を取ろう! 正看護師になるため、看護学校を受験し合格し、3年間働きながら学校に通い、国家試験合格。 看護師として最初に働いたのは、産婦人科だった。 生命の誕生に関われる仕事。 やりがいしかなかった。 はずだった。 いつものように、分娩

好きなことを仕事に!

小さい頃、 小児喘息で入退院を繰り返していた私。 入院中、看護学生が担当してくれる事があり、お風呂に入れない私の髪を、ベッド上で洗ってくれて、編み込みをしてくれた。 あの時、『優しい看護師さんになる』と心に決めた。 でも、小児喘息はひどくなるばかり、呼吸停止も2回経験した。 小学校も病院から養護学校に通い、 まともに勉強もしなかった。 中学生になり、ようやく発作もでなくなり公立の中学校に通うことが出来た。勉強は、まだまだ落ちこぼれ。 でも、 看護師になる夢は捨てなかった

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