震災後、踊っているのに踊れなくなった、という話を書きました
踊り手なのに、「だからこそ踊る」も「それでも踊る」も心からはできていなくて、そのことに小さく傷つきながらも、じゃあ今、自分は何だったら本心で動けるのか・・・と考えた時に出た答えは、踊りとかそういうことは一度置いておいて、普通にボランティアに行くこと、でした
なんというか、なんだかよくわからない感覚なのですが・・・津波後の街の様子を見て
主宰している子どもたちとのダンスの場「星のたね」のほかに、児童福祉(主に知的障害・発達障害の子どもたち)の現場でもダンスをやらせて頂いています
まだ私がそういう仕事を始めて間もないころのこと・・・
ある児童福祉の現場で出会ったMちゃんは軽度の知的障害と、とても複雑な家庭事情のある子だった
Mちゃんはとても聡明で、とても優しい子だった・・・と、今ならわかるのだけれど・・・なんと表現すべきかとて
私の大切な踊り仲間・・・いや、先輩・・・いや、やっぱり仲間・・・が、私の主宰している場についてかいてくれていました!(彼女にはいつも助けられております。さりげなく、ちょうどよく・・・それがとても有難い)
この場について、私自身うまく言葉になかなかできなくて、でもこんな風に見ててくれているのだなあ、見守ってくれているのだな、子どもたちに対してもこんな眼差しを向けてくれているのだな、と思うととても嬉
数年前に亡くなった師は、踊り「続けてください」ではなく、踊り「つなげてください」という言葉をいつも投げかけてくれていた
この言葉は私の中のなにかととても結びついて、なんらかの時に指標のように現れてくるのだけれど、先日もこの言葉を口に出すことになる、というような出来事があった
話の流れ中で、この言葉が導き出され、それを口に出すことによってもう一度自分がその言葉を確かめるような、そんな感じだった