それでも踊る
再び踊ることができるようになった出来事について書きました
そしてこの出来事は結果的に、私に新しい仕事、そして新たな課題も与えてくれました
福島の子どもたちとのキャンプから戻ってきて、少し経った頃、仕事をさせて頂いていた知的障害のある子どもたちの放課後等デイサービスの職員さんからダンスプログラムをやってもらえないか、と話を頂きました
それが障害のある方や子どもたちとのダンス、表現活動のファシリテーターとしても仕事するようになった初めての場でした
様々な障害のある方々とのダンスや表現の場自体はそれよりずっと前から舞台創りに参加したり、いくつかの場でアシスタントとして関わってきてはいました
でも、たまたまなのかなんなのか、私の周りにいたそういう活動をしている代表の方々がみんな、ものすごい必然性をもってそれらの活動をしているような方々ばかりで、この人はこういう活動をせざろえないのだろうな・・・と、一緒に活動していてそういう思いをひしひしと感じてきていたので、自分にはそこまでの必然性がないな・・・こういう活動自体には縁があって、関わる人間ではあるけれど、あくまでもアシスタント等で関わっていくのだろうな、自分がメインファシリテーターとしてやったり、立ち上げたりすることはないだろうな・・・と思っていました
でも、福島から帰ってきたときにふと
あ、今ならやれるかもしれない
今、やるときなのかもしれない
やりたい
というような予感がありました
そうしたらそうやってダンスプログラムの話がきたのですよね
不思議なものですね、でもそういうものなのかな
しかも・・・その施設でダンスプログラムをはじめたら、とても気に入ってくれて部活動を早退してまでダンスの日に来てくれていた男の子がいたのだけれど、その子が実は以前は福島県の大熊町に住んでいて、震災後に避難してきていた子だったり・・・(とあとから知った)
なんだろうね、そうやってなるようになっていたのかなあ
今はまたこういう活動をとおしての課題が変化してきてはいるけれど、やはりこの頃は自分が今ここでこうやってこの子たちと踊っていることが福島のあの子たちとも繋がっている!一緒に踊っている!と思ってやっていたところもあったように思う
自分のやっていることを勝手に肯定しているだけだったかもしれないけれど、それが支えになっていたところはあったと思う
でも彼と福島の子どもたちを繋げてみることは確かにエネルギーにもなるけれど、危うさもあることだとも思う
そこのところは彼は見事で、その施設を卒業する時に本当にさらりと卒業していった
そういうところは彼らの力だよなあ・・・
私の方はよくもわるくも彼に対して思い入れが強かったけれど、そういう思い入れをさらっと断ち切ってくれたというか・・・
思い入れがわるいわけじゃないし、思い入れが必要なこともある
大切な思い入れもある
実際、はじめた頃には私には強い必然性が必要だった
でも、ある程度経験を重ねて、その時の私に必要だったのは、彼に対する思い入れではなく、次に進むための新たな課題だったのだろう
課題だけを残してさらりと去っていった彼に本当に感謝したい(それでも彼と踊った日々はなくならないし、彼がダンスを好きでいてくれて本当に嬉しく思う。それは変わらない。)
そして、例えこういう活動の中での課題や向き合い方が変化していっても、私が今、生きているうえで、福島のあの子たちとの出会いはやはりとてもとても大きい
それも変わらない
あの子たちに出会っていなかったら私は今こんなふうには生きていないだろうし、そもそもあの子たちに出会えただけでもあの時、日々は輝いた
あの感じ・・・
「あの感じ」がなにか教えてくれていることがきっとあると思う
今、あの子たちはどこでどんなふうに生きているだろう
あの子たちのあのあの子たちらしさを輝かせて生きていってくれているといいなと願うしかない
そして、だから、踊ろうと思う
それがなんになるかなんてわからないけれど
「それでも踊る」
やっと思えるようになった
そうなりたい、と思っているときはそうなれなかったのにね・・・
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