語彙の増やし方を考える。一番楽なのは、長文読解。単語帳よりは吸収しやすい、流れで。そもそも日本語も英語も使われる用語はトピック毎にパターン化されるから、題意から出てくる単語を検索できるくらいはやり込みたい。面白い事に自分にとって興味深い題なら、吸収力も倍加すると思う。
おはようございます😃 ヨビノリたくみさんの本、今読んでいるヨビノリたくみさんの本シリーズは、4冊ありました。「確率・統計」も買いました。 数式を含め学ぼうとすると挫折してしまうかも… でも、「難しい数式はまったくわかりませんが、」シリーズは、本当にバッチリ分かります👍
ゾワっと鳥肌が立つ時っていつだろう? 振り返ると、私は本物に出会った時でした。 変化について考え続けていたら ふと、微分積分が気になりました。 世界は「微分」で記述され 「積分」で読み解く 感動で久しぶりに鳥肌が立ちました。 →https://youtu.be/4p1rwfXbCoY
noteフェス2本視聴。「インターネット時代の新教育」と岸本奈美さん。 1本目は教育ネタだから聞き始めけど、発信すること・つながることの面白さの話に自分が励まされる。岸本さんはコメントの書き方と「プルチックの感情の輪」が超お役立ち。 結論。「noteフェス、おすすめ!」
サンドウィッチマンが面白いのは、伊達さんと富澤さんの間の取り方がお互い絶妙で、ツッコミとボケが良いタイミングで出るからだと思うね。そして筋書きも無駄がなく、テンポよく進むのもいいな。面白い漫才やコントを沢山観たい。
明日の晩御飯どうするかググりながらうとうとしてたら、こんな時間に。というか、夜型でもないくせにこうやって時間を消耗するのは余り良くないと自覚。明日はパーソナルジム行ってこの鈍った身体を鍛え直さねば。久しぶりに資格試験の解説聞きに学校行くし。勉強、続けてますよ~。
読書をやり玉に挙げる事もあるが、基本的にはそれは選択肢の一つに過ぎない。というのも物の考え方、というのは記憶に遺るものが必要なモノなのであって、取るに足らないモノは流してしまって構わないという。最近では日本の伝統や文化を統合する大元が何なのかを究明する国学のようなのが求められる。
読書家のある意味尊大さを帯びた読書量アピは望む処ではない。読書量というよりはその書を通じてどんな思考が増えたか?どんな行動基準が出来たか?が問題である。活字を追うだけで、”読んだ”と吠えるのは本来の教養ではない。それよか、色んな人の感じ方・考え方を類推出来た方が円滑なコミュになる
自分の好きな時間の過ごし方で楽しめる人生は奥が深いね。珈琲を飲みつつ、読書するのが日課なのだが、最近再び活字アレルギーが復活してきた。そういうときは無理せず目を瞑り、考えを止めるのが良い。昨今話題の学習障害もこれと似たような症状なのかもしれない。子供達の重荷たる学習。腐さないよう
論理的に考えれば解けるとか、クソみたいなプライド持ってる一部のゴミ文系が吠えてるのを見て思わず笑う。本当の論理とは数学で、ゴミみたいな文系が法学部とか政経入って、論理的とはみたいなマルチめいた発言したら、積分も出来ねえくせに、と言ったらええねん。
書店の退廃の原因が、出版中抜きであるのは近年漸く言われ出した事で、ネット販売が盛んになったからは副次的な影響だとされる。ネットは中が見れない事が多いから、本の検索には向かない。書店の本に囲まれた、何となく教養の泉に触れたような知の体感は感動と驚きをもたらす。探究心への憧れかも。
論理的思考という高解像度のワードに惑わされるな。事の本質はどういう骨格で、どのような土台で成り立っているかだ。理屈を突き詰めて、体系的に一項目ずつ押さえていくべし。