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Can You?

昔から

「○○するな」

と言われると逆に

○○してしまう

話があるが、皆さんもついそうしてしまった経験があるのではないか。

浦島太郎は開けるなと言われた玉手箱を開けてしまったし(ただ開けずにあのまま生きるのもどうなのかなとも思うが)、見るなと言われていたのに障子を開けてみたら助けただったということもあったし(鶴だとバレてもそれはそれでOKとはいかなかったのか)、野球で高めを打つなと言われると頭の中に高めのイメージができあがって振ってしまうこともある。

それなら

「見上げるな」

と言われたらついつい見上げちゃうのかと思ったら、最近はそうでもないらしい。これは社会が変容しているということの証拠の一つなのかもしれない。

ということで、今回の映画は「Don’t Look UP」、Netflix映画である。

地球に彗星衝突という、まさに地球規模の危機に気がついた天文学者2人はそれを訴えるが、大統領もTV番組キャスターもまともに取り合わない、果たして地球の運命はどうなるのかというストーリー。

物語の中でその学者も言っていたし、私も観ながらこう言いたくなった…

「人の話を聞け!」


とにかく出てくる人たちが他人の話を聞かない。自分の私利私欲や興味があることにだけ勤しんでいる。それが人間の性といったらそれまでだが、謙虚さに欠けるその姿勢で果たしていいのだろうか。

この映画の面白いところというかゾッとするところは、映画の中で"今そこにある危機"である「彗星衝突」に目を向けない様は、私たちが生きている現実社会でもそこかしこで起きているということだ。

例えば環境問題はこれまで長らく言われてきて、近年だとグレタ・トゥーンベリがその問題解決を訴えているし、斎藤幸平人新生の「資本論」の中でも待ったなしと語られている。

国内に目を向ければ、人口減少はずっと前からの議題のはずなのに、止められる気配は全くない。というかこの国は止める気があるのだろうが。

人類は映画のようにこのまま滅亡へ向かうのか…そうならないヒントをラストの晩餐シーンから考えた。

彼らはもう既に自分たちの周りには欲しいものがあって、そこまで不自由していないことに気づくのだ。これはとても大事なことだが、それに気づける人ばかりではない。

世界には余裕がある人たちとそうでない人たちがいるということだ。

つまり、

We can look up, but we don‘t look up.

(見上げることができるけど見上げない)

We can look up, so we look up.

(見上げることができるから見上げる)

はセットである。

それに対して

We can’t look up.

(見上げられない)

見上げたくても

そもそも見上げられない人


もいるのだ。

この格差に対しても目を向けなければ諸々の解決は難しいだろう。

ということで、"We can look up"の人たちはいくらか余裕があるのだから、とりあえず

人の話を聞いてこの危機について考えてみてはどうだろうか。

彗星は空を見上げればもう見えている。

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