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医療逼迫を伝えられないテレビ
6局あれば6局が同じ切り口、内容で番組が進んでいくことにわだかまりが絶えない。真意やリアルな話はコメンテーターの立場や力頼り・・・。
がっかりします。
以前の記事に、標準予防策~感染症の種別に応じて防護を強め、対策を工夫しなければならないこと、対応する度に着脱が伴い動作が増え、作業効率が下がってしまうことなどを記事に書かせてもらいました。https://note.com/hakataokatt
医療崩壊の報道から看護師について考えてほしい
前提として、これは私一個人の意見です。
私の住む福岡県でもコロナ感染拡大がみられてきた。医療崩壊、とはどういう状態なんだろうか。感染管理、感染看護を一般市民の方はご存じないと思う。病院=クリーンなイメージだが、実は色んな感染症がウヨウヨたくさんある環境下で医療は行われている。これは医療者の問題というより、偶発的なことであったり、患者の持ち込みで、感染症とひとまとめでは解決出来ない色んなパターンが
看護師として生きてきて③
前回の続き。
社会人デビューした私、たまに先輩に怒られることはあるけれど毎日が楽しく、遊びまくっていました。
そんな私に、1つの疑問がわきます。
初めて就職した病院は大阪のランドマーク的な大きな総合病院でした。患者さんは、病院施設、治療技術、医療レベル、担当医師、を意識して選んで入院されることがほとんどだと思います。なかなか知られていないですが、看護方式の違いです。
〈プライマリーナーシン
看護師として生きてきて②~ちょっと話が反れます~
毎日バタバタと、手続きやなんやで忙しくしております。(創業の進捗経過はまた後日)
私が何故看護師になったのか、看護師歴について話そうと思います。
小学校から共働きだった家はでは私が夕食の準備をすることが多々ありました。私が作ったご飯を家族が喜ぶので、嬉しくなってやっていたと思います。小学校の卒業文集では「料理教室の先生になりたい」中学校の進路相談では家政科を志望していました。勉強をやってこなか
看護師として生きてきて①
先ほどの記事からの連投です。
『看護師という仕事を理解してほしい』
長いこと看護師をしている間に、震災やSARSに遭遇しました。
SARSが流行ったときには、運ばれてきた患者さんの対応をある程度終えて、SARSかもしれない、SARS疑いと診断された時には既に自分も感染した、自分も死ぬのかもしれない、と怖くなりました。
震災の時には業務中で、揺れながら、処置や対応に終われた光景を、今でも鮮明
コロナと看護師と職場
7月。
東京では再び100人越えの感染数のニュース。
私の住んでる福岡では、
少しずつ落ち着きを見せて、街やお店も賑わいを取り戻しつつあって、過剰な感じはもう感じない。
ニューノーマル。
新しい生活様式。
というより、半年前の、当たり前に戻りつつある街の風景。
4月、5月は
看護師のコロナ差別のニュースや
家族への感染予防のために自宅に帰れない実情
医療の逼迫、集中治療病床、機
想像以上、想いが溢れて
去年12月、私は日本政策金融公庫に居た。
数年前から、頭に思い付いたメニューや提供方法のヒントが浮かんだ時はノートに書き留めた。
昨年からは本業と平行して飲食店でわずかな時間だけど、働きはじめた。
空き時間は、自分のお店について書き出す作業をやっていた。
想像、空想でやってて良いんだろうか。
一度、自分のこのバカげた夢の話を、誰かに真面目に聞いてもらおう。そう思い立って、創業計画書(案)
1年後に咲けるだろうか
深夜2時。
夜中はだいたい、ちょっとおかしくなる。
思考が鋭いような鈍いような。
夢とは、現実にはない希望や望み、何だそう。
現実には“未だ無い“
と言えばいいのか。
更に追い討ちをかけて、コロちゃんが災いをもたらしてきた。
そんな時に、
わたし、お店を創ろうとしてます。