可哀想なスカートなんて
「床にスカートついてんで。あーあ、可哀想や」
製図の先生が、私の足元を見てポロッと呟く。
それって、服飾の世界では当たり前の感覚なの?
分からない。何が可哀想なのか。
だって、この足首まで隠れるふわふわスカートは
引きずるくらいが1番美しいと言うのに。
ほんの少しの風で舞うような位に繊細な布は、
寂しい私を丸ごと包み込んでくれる魔法なの。
裾を引きずりながら歩いたその日の夜は、
刺繍糸や毛糸を使って、チクチクと補修する。
今日も守ってくれてありがとう。お疲れ様。
イギリスでは「ダーイング」なんて言うらしい。
そもそも、服が床につくこととスカートを粗末に
扱うことは、似て非なる話だ。
「アフリカの可哀想子供達のために完食しろ」
なんて正論ぶっている様で、本当はただ自己論を
押し付けたいだけの先生みたいな。
私はモノを一見“粗末に”扱っている様に見えて、
本当は心から向き合い真剣に愛している人間を、
山ほど知っている。
文学と研究を心の底から愛する彼女の本は、
いつも表紙が無くなる程にボロボロで。
息を呑むほど技巧を凝らした画家のパレットは、
元の色が分からない程にカラフルで。
全国大会常連だった頃の私達が読む楽譜は、
一度燃やしたのかと言うほど真っ黒だったっけ。
誰かにとっての汚いは誰かにとっての綺麗で。
誰かにとっての可哀想は誰かにとっての勲章だ。
本当に大切なのは、モノや道具と正面から
立ち向かい、共に歩む覚悟があるかどうか。
だから私はこれからも、大好きな服を引きずり、
補修し、おばあちゃんになるまで大切にするよ。
見掛け倒しの“正論”には惑わされないんだから!
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