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ペルソナがひも解く、通牒ゲームは信頼を勝ち取れるか

私たちは、一体何と戦っているのか?
独裁者ゲーム最後の通牒ゲームの内容がとても面白かったのですが、あれこれってペルソナがどう効果を及ぼしているのか非常に興味が湧いたので自分なりにまとめてみました。


用語説明

○独裁者ゲーム・最後の通牒ゲーム
経済学や心理学でよく使われる実験ゲームの一つです。このゲームでは、2人の参加者がいて、一定額のお金を分け合う方法について交渉します。ゲームは以下のステップで進行します。

  1. 提案者(Proposer): (仮A アリス)
    ある金額(例えば、¥1,000)を分ける方法を提案します。提案者は、この金額を自分と相手(応答者)の間でどのように分配するか決定します。例えば、提案者は自分に¥700、応答者に¥300を提案することができます。

  2. 応答者(Responder): (仮B ボブ)
    提案者の提案を受け入れるか拒否するかを選択します。応答者が提案を受け入れると、お金は提案通りに分配されます。しかし、応答者が提案を拒否した場合、両方のプレイヤーは何も得られません。

○ペルソナ(仮面) カール グスタフ ユング
(Personaは)、個人が社会的な環境で他者に対して提示する仮面や役割を指します。個人が社会的な期待や役割に沿って振る舞うことで、自己を保護し、他者との関係を構築するための手段として機能します。しかし、時にはペルソナが個人の内面との乖離をもたらし、自己との不一致や内面の矛盾を引き起こすこともあります。個人の内面と外界との接点であり、社会的な相互作用において重要な役割を果たすと考えました。またペルソナは個人が社会的なコンテクストにおいて適応し、生き抜くための必要な側面でもあります。
家族の前での自分、職場での自分、一人の時の自分では、それぞれ異なった対応をします。仮面をつけてるように自分を演じ分けることを指します。

通牒ゲームがもたらす公平性と平等性

経済学面でいうと、提案者であるアリスは、¥1でも応答者のボブは受け入れるべきです。ボブが拒否をすることで二人とも貰える価値は¥0になるからです。ですが実際の実験ではボブが不公平と感じる提案を拒否することが観察されます。これは、人々が単に経済的利益を最大化するだけでなく、公正さや他者の行動に対する報復も重視することを示しています。
理論上は、ボブが¥1でも¥0でも成立するため「0か1」が最適解ともいえる。
しかし、実際の結果は、社会の規範からこの交渉が成立したのは、4~5割の配分だったという。(合理性の権化ホモエコノミクス)
そして人は、ボブが不公平な配分が生じたときに、アリスへの報復として報酬を受取ることへの拒否反応を示し、アリスが受取る報酬を阻止しよとボブは、Noを突きつけ交渉不成立させるという行動が見られる。

これは、人の脳が関連付けられており、アリスが不公平性を生じさせる結果を提示した場合、ボブは、アリスに罰(ないしは不幸な出来事が起こる)が与えられることに対し幸福感(ドーパミン)を増幅(人の不幸は蜜の味)させる作用があることが明らかとなっている。
尚、ボブの報酬が少なくても喜んで受入れたのは、6歳以下の子どもだけであった。

通牒ゲームの民族の違いについて

東京やロス等の発展した都市部では、このホモエコノミクスの観点から、2~3割の提示では、拒否が見られた。

【以下の実験では互いアリスとボブの顔が見えない関係で行われた】
ある未開地に住む民族に同様の実験を行ったところ、提示額の3割でも成立した。少額でも貰えるだけで良いとされる。この民族は焼き畑農業が主流で、個人で食料の調達(ソロ活動)をしなければならないためで“ない”よりは“ある”を合理的に判断したものと考えられる。

もう一つの未開地では、6~7割を提示するアリスが多くいたが、ボブは拒否を示した。この民族は狩猟(集団活動)が主流で、一つのものを分け合う生活スタイルで分け与えられた場合、お返しも必要になり生存するために相互に協力しあう文化であるため、多くを与えられた場合に“お返し”という行動に拒否反応が示された結果となっている。

通牒ゲームから見える「目」

理論上アリスは、独占したいが実際はそうならないのは、なぜか。
現実は、平均2~3割額を提示しているが
    半数5割額を提示している。
人はなぜこのような行動をするのかはもちろん社会規範が絡んでいる。

日本では、収入が多ければ多いほど納める税率は高くなる。低収入者からすれば税率は高収入者が支払うことは一見公平には見えるが、ギャンブル等で得たあぶく銭ではなく、株や仕事等のリスクを冒し努力等(一部運も実力のうちも実験あり)により得られた報酬がそれぞれに細分化されるため不平等ではある。なぜ、税を多く払うことが当たり前かのように振舞われているかというと、身分の不公正を感じると少数派マイノリティが生じ、社会からつま弾きされる恐れがあるからである。

つまり社会から外れるような行動が見られた場合、集団で生活できなければ生きていけなくなるため、社会規範という目がアリスの提示者の行動に向けられているため、理論値に影響を与えるものと考えられる。

上記に書いた通り、不公平を感じたときに人は偏桃体が反応している。
これは人だけではなくサルの貨幣実験でも証明されており、脊椎動物に備わっている仕組みになっており特に前頭葉が発達した人には、別に記載した通り、恐怖を感じることにこと不公平感から防衛反応が示されたことになる。シャーデンフロイデの法則によると多額のお金を所持しているものが多くの税金を支払うこと、つまり罰則があることにより、所持していない者は所持している者に対し報酬系回路のドーパミンが強く反応し快楽を得ている。
人の不幸はメシウマ案件

しかし、独裁者に視点を置き独裁者の観点のみにし、この社会規範の目を逸らせる実験もある。
例えば、家族構成等のセンシティブな質問に対し被験者に提示するが正確に
答えない。そこで、
サイコロの目が奇数なら、真実を話す
サイコロの目が偶数なら、嘘でも真実でもどちらでもいい
とすると、被験者に回答に対する心理的負担の軽減を図ることで意図を逸らし、実験者の目も見えない状態で独裁者視点の提示額を確認をした結果、
¥が低額ないし、¥0でもあることが確認された。

しかし、同じ条件でも、回答する項目に「目」のような模様があると、この最適理論は、崩壊することも確認され3割額程多く渡すという結果になった。これは「∵」このような人の顔にも見えるよな記号でも(シュメラク)効果は見られことがわかっている。
また、あるカフェで代金は気持ちで払うというシステムでレジがなく、無人販売所のようなもので、代金は箱に入れるというもの。一週間おきに壁に目のポスター花柄ポスターを入れ替え、被験者はこれは実験だということは知らされていない。その結果は、やはり目のポスターの方がカフェ代の同額以上ないしその代金付近が入れられているの対し、花柄は支払い額が減った。

こうした行動は、周囲のから向けられる自分の行動に対する評判であり、自分の行動が社会規範から逸脱すれば生きずらいのは当然である。

お天道様は、見ているんですよ!

宣教師リヒャルトヴィルヘルム「易経」ペルソナ

ヴィルヘルムは、ヨーロッパ育ちでキリスト教に重んじていました。
世は第一次世界大戦前で大航海時代となります。宣教師であるヴィルヘルムは、各地に赴きキリスト教の布教に努めます。この頃は、大航海と称しヨーロッパ以外の国を植民地化が激化していきます。植民地とするために宣教師達が先に各地にて布教し、その国の内部から信徒を増やし貿易と金を巻き上げ国内内部闘争をしかけ、その後ヨーロッパ人がその国に攻め入り植民地化していきます。

ちなみに日本では、戦国時代で豊臣秀吉が国外侵攻する時代で鉄砲の伝来で、欧人による鉄砲貿易がされましたすぐさま日本人の鉄砲技術の開発がすさまじく貿易が破綻します。キリストの不平等な貿易に秀吉が良く見ずキリスト弾圧に試みます。しかしそれを黙ってみていられなかった宣教師たちは秀吉に宣戦布告しますが、ポルトガルは大部分のお金を使ってしまい尚且つこの日本長い戦国時代に培われた戦の歴史から植民地化するための力は残されておらず、日本の蛮族に対抗する手段はないと言わしめられ日本は植民地にされなかった、いやすることを諦めたと言われています。

ヴィルヘルムは、中国へ布教に赴きますがそこで「易経」コイン占いに興味を持ち、ユングに伝えたとされています。布教活動のために中国へ訪れたのですが、中国の言語や文字を学ぶ過程において、ヨガや道教の思想に触れ考えが変わっていきました。それまではキリストの絶対的神の真実を信じ協会に訪れた病者に手を触れるだけで治すという奇跡に魅了される信者が後を絶たず協会の病院化していく。それが神の恵みが欲しいという信者のエゴイスト化、また奇跡を売りにした客寄せパンダに疑問を持つようになりなっていきます。
中国の戦地が激化していきますが戦争の鎮静化を図りドイツへ戻ることになりますが、和平交渉に成功しますが、ヨーロッパ側からの宣教師としての役割を通されるが、キリスト教徒の特権が当たり前の認識はヴィルヘルムにはズレが生じ中国人はキリスト教徒であることあることが救いなのではなく、中国人の力によってのみ救われるという考えがあり自由の呪縛にかかります。自由の道を選び宣教師をクビになりました。

ユングは、この彼の行動に対し、ヨーロッパ文化と中国文化との葛藤に対し心身の健康に重大な影響を及ぼすのではないかと危惧される中、ヴィルヘルムは息を引き取ります。

ペルソナは、自己の外的側面。例えば、周囲に適応するあまり硬い仮面を被ってしまう場合、あるいは逆に仮面を被らないことにより自身や周囲を苦しめる場合などがある。

ヴィルヘルムは、宣教師としての仮面をヨーロッパから押し付けれらるもののその後自由を求め仮面を取ることにより宣教師としての活動費用の打ち切りとなります。
また、社会や宣教師としての立場の遂行のために自己の内面とのバランスが崩れることにより精神の安定化が図れず、外面と内面とのズレが生じ内面との整合性が図れなくなります。自分が自分でいられなく非常に不安定な状態となります。

通牒ゲームとペルソナ

最後の通牒ゲームでの行動は、単なる経済的合理性を超えたものであり、人間が持つ深い不公平への反感や社会的正義への願望を反映しています。これらの行動は、人々がどのように社会的に受け入れられる行動を選択し、その過程で内面的な価値観や信念を表現するかという点です。不公平や不平等に対する反応は、個人が社会的な期待と内面的な正義感との間でどのようにバランスを取ろうとしているかを示しているかもしれません。通牒ゲームとユングのペルソナ理論は、外部の社会的状況と内面の心理的プロセスの相互作用を理解するための有用なフレームワークを提供します。社会的な文脈における個人の行動や選択は、単に外部的な因子によって決定されるのではなく、内面の心理的なダイナミクスに深く根ざしていることが示唆されています。

価値観のズレが及ぼすもの 社会的報酬と自己価値の関係

  • 報酬の格差:
    社会や職場での成功や報酬が個人の努力や才能と一致しない場合、それはフラストレーションや自己価値の問題を引き起こす可能性があります。特に、自己認識が高まると、この種の不公平さに対する感受性が高まり、ペルソナを維持することが精神的苦痛につながることがあります。

  • ペルソナの維持:
    社会的役割や期待に合わせたペルソナを維持しようとする努力が、本来の自己から遠ざかることにつながる場合があります。この過程で、個人は自分自身の真実から乖離し、それによって内面的な葛藤や不満が増大する可能性があります。

  • 内面的葛藤:
    社会からの報酬や承認を得るために自己を偽ることで生じる内面的葛藤は、ストレスや不安、うつ状態を引き起こす可能性があります。

ペルソナから見る通牒ゲームの公的視点

1. ペルソナ
通牒ゲームにおいて、受け手は提案された分配を受け入れるかどうかを決定します。この決定は、ペルソナと本来の自己との間の葛藤を反映する可能性があります。

  • ペルソナの維持 vs. 本来の自己の表現:
    提案された分配がペルソナに合ったものである場合、受け手はペルソナを維持することを選ぶかもしれません。しかし、提案が受け手の本来の価値観や正義感と一致しない場合、受け手はペルソナを解放し、本来の自己を表現することを選ぶ可能性があります。

  • 内面的な葛藤と解放感:
    受け手が提案を受け入れるかどうかの決定には、内面的な葛藤が関与することがあります。しかし、本来の自己を表現することで解放感や充足感を得ることができる可能性もあります。

2. 心理的安全性の目
心理的安全性は、参加者が自由に意見を述べ、リスクや不安なしに行動することができる状態を指します。通牒ゲームにおける心理的安全性の目は次のようになります。

  • オープンなコミュニケーションの促進:
    心理的安全性が高い環境では、参加者が自由に意見を述べることができます。通牒ゲームにおいても、提案者や受け手が自分の考えや感情を率直に表現し、オープンな対話が行われることが重要です。

  • リスクの軽減:
    心理的安全性が高い環境では、参加者がリスクを恐れずに行動することができます。提案者や受け手がリスクを恐れずに自分の意見や選択を述べることができれば、より健全な意思決定が可能になります。

  • 信頼と尊重の構築:
    心理的安全性が高い環境では、参加者間の信頼関係や尊重が構築されます。提案者や受け手が相互に信頼し合い、尊重し合える場合、より建設的な対話が可能になります。

通牒ゲームを通じて、ペルソナはアリスにもボブにも葛藤が生じます。互いの信頼性も育むことも大事な視点ではあるものの、第三者の心理的安全性の目の視点でお互いの認識のズレを埋めることは大事なことではないでしょうか。


ここまで非常に長いものになりましたが、読んでくれてありがとうござます。良ければ、いいね や コメントもくれると大変喜びますので、共感・批判でもなんでもくれると嬉しいです。







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