記事一覧
誤解というコミュニケーション
「〔中沢〕・・犬と人間との関係は、わずかなコミュニケーションとほとんど大部分のディスコミュニケーションでできています。おたがい誤解だらけです。・・・犬と散歩していると、世界ってこんなふうにできているんだなって、しばしば感動を覚えます。・・つまり、違う意識の構造を持った者同士が、誤解を伴ったディスコミュニケーションをすることによって世界は成り立っている。そこには、無数の誤解やずれがあるけど、そのディ
もっとみる答えがあってはいけない
「・・・生きることの意味。これらの問いは、答えではなくて、問うことそれじたいのうちに問いの意味のほとんどがある。これらの問いとは一生、ああでもないこうでもないと格闘するしかない。」(鷲田清一『わかりやすいはわかりにくい?』ちくま新書2010年,p.18)
「よく知られているように未来を探ることは、ユダヤ人には禁じられていた。トーラーと祈禱書は、それとは逆の、回想することをかれらに教えた。」(鹿島
ベンヤミン 死後の生 希望ということ
アーレントは「歴史の概念について」の筆写稿のひとつを生前のベンヤミンから託されていて、ベンヤミンの死ののちに、ニューヨークへ向かう船の出航を待つあいだ、リスボンの港でまわりの難民たちにそれを読み聞かせていたといいます。…この一節をたずさえて海を渡ってゆくアーレントの姿も、二〇世紀の思想史を考えるうえで、私たちが逸することのできないものです。(細見和之『フランクフルト学派』、89頁)
グラウンディング(グラウディング)について
「思い切って何かに自分の行為を委ねてしまおうという無謀ともいえる身体の振る舞いを、『投機的な振る舞い(entrusting behavior)』と呼ぶことにしよう。一方、そうした投機的な行為を支え、その意味や価値を与える役割を『グラウンデイング(grounding)』と呼ぶことにしたい。‥『私たちは地面の上を歩くと同時に、地面が私たちを歩かせている』―ちょっと意外だけれども、このように『私』を主語
もっとみる自我・・・自己とその像との分裂
この分裂は人間の欲求の鍵をも握っている。その分離を再びもとの一体のものにまとめ上げたいという熱望こそが、人生そのものである。・・・この分裂に由来する欲求こそが、世界に意味を与え、私たちに意味を求めさせるものだ。・・・意味はそこにあるもの自体によって生じるのではなく、外面的には既にあるものの間に発生する分裂、内面的には他の何かとの関係によって生じるのである。私たちのもとの一体に戻ろうとする本能的な欲
もっとみる世界を認識する最初の規則
ベイトソンの考えを簡潔に言えば、音声言語では何かがないことを、つまり「〜がない」という否定を表現できるようになったことが身振り手振りとは決定的に違う点だ、ということである。(ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論』,pp24-25)
ウィルデン(Anthony Wilden)は・・「〜ない」という単語はもともとは、単にAまたはBを選ぶ行為の規則そのものだということを示した。しかし、このAまたはBを
ゲーテのデモーニッシュdämonischなもの
「この<デモーニッシュなもの>の概念をもってゲーテは、その自伝作品の最期の章を書き出している。
「この伝記的な報告を進めるなかで、子供が、少年が、青年が、それぞれに異なった道をたどって、超感性的なものに近づこうとした様をつぶさに見てきた。初めは心の向くままに、自然の宗教に目をやり、次には愛情をもって既成の宗教につながり、さらに自分自身のうちに集中することによって己の力を試し、そして最後に、普遍的
ラカン「三人の囚人」の寓話
1 三人の囚人A・B・Cがいた。所長がやって来てこう言った。「ここに5枚の円板がある。3枚は白〇〇〇で2枚は黒●●だ。これをお前達の背中に貼り付ける。他人の背中を見ることは許されるが、話をしてはならない。そうして、自分の背中の円盤の色が分かった者だけが、その理由を論理的に正しく構成できた者だけが解放される。」そして所長は3人の囚人の背中に、白い円盤を貼った。(A〇・B〇・C〇)
2 3人は同時に所