答えがあってはいけない

「・・・生きることの意味。これらの問いは、答えではなくて、問うことそれじたいのうちに問いの意味のほとんどがある。これらの問いとは一生、ああでもないこうでもないと格闘するしかない。」(鷲田清一『わかりやすいはわかりにくい?』ちくま新書2010年,p.18)

「よく知られているように未来を探ることは、ユダヤ人には禁じられていた。トーラーと祈禱書は、それとは逆の、回想することをかれらに教えた。」(鹿島徹『[新訳・評注]歴史の概念について』) 19世紀における社会主義についての様々な思索、20世紀におけるその華々しい実践と挫折。ベンヤミンが始まる前に、或いは終わる前に総括してしまった歴史の意味は相当に重いものだと、(今にして思えば)言える。 人間には何でも説明できる万能の全知がどうしても必要なのだ。だからこそユダヤ人はありもしない未来を思い描くこと、語ることを禁じたのだ。

「・・経済成長」に取って代わる「何か意義のある価値観」を模索することは、個人にとっては容易ではない。・・・一朝一夕に人は変われるものではないし、己が身を置く社会をつぶさに観察してみたところで世の中は昨日となんら代わりばえしてなどみえてきはしない。・・・そこに生きる個人にとって、実感など持ちえようはずもない。社会は「変わる」もので「変える」ものではない。超微速で、しかし圧倒的に強力なトルクで、時代はいつしかガラリと変転していくものである。」(水野和夫『国貧論』太田出版2016年,pp.112-113)

「それによってかれらは、占い師に予言を求める人びとがとりこになっている未来の呪力から解放された。」(『歴史の概念について』) 未来に理想イメージを措定することの無効をいち早く主張しえたのは吉本隆明だったのだろう。しかしながら、1世紀以上かけて実践し挫折した社会主義の呪縛から解放されたはずなのに、何故か資本主義を積極的に肯定したまま亡くなってしまった。その理由の一端は、一億もの人口が曲がりなりにも食べていけるようになったという、日本資本主義の特異的な経済成長と無関係であるまい。

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