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【凡人が自伝を書いたら 26.大学4年生】

大学4年。

収穫の時期。

え?

あ、就活の時期。(くだらん)

「凱旋」

僕は春休みの2ヶ月間、東京でアルバイトをしながら、就活をしていた。

地方の学生が東京で就活をするには、とにかく金がかかる。新幹線は片道2万、ホテル一泊5000円はする。

「内定が先か、金が尽きるのが先か。」

これが地方の就活生の頭の痛い所である。

ただ、僕には彼がいた。

宇野君だ。(久しぶりの登場)

宇野君が通う「日本大学」のキャンパスが、千葉県にあった。

「やっぱり持つべきものは宇野君だな。金が無いならバイトをすればいい。俺のアルバイト先は全国チェーンだから、どこでも働けるじゃないか。」

これだった。

僕はエリアマネジャーに話を通し、春休み分のシフトを僕抜きで作成し、特に誰にも相談せず、ふらっと上京した。(ほぼ失踪)

しかも宇野君に居候のお願いをしたのは、東京行きの新幹線の中というお粗末具合である。(宇野君本当にありがとう)

仕事先はエリアマネジャーに話を通してもらった。おかげで、お金の心配も無く、新鮮な環境で伸び伸びと就活できた。

また、「べつにダメなら今のバイト先で社員になればいい。」と思っていたので、気持ちの面でも楽だった。

結果、2社から内々定をいただいた。そんなに高望みもしていなかったので、当然と言えば、当然だったのかもしれない。

3月後半になって、いろんな人から頻繁に、帰還を催促する電話がかかってきたので、「しかたねえな。」ということで「凱旋」した。(凱旋ゆうな!)

「放浪の勇者」

約2ヶ月、ほぼ連絡を絶っていたので、割とみんなから歓迎された。「死んだんじゃないかって心配してましたよ〜!」なんてことも言われた。

アルバイト先には2、3人「新人」が入っていた。誰かが僕がいない間に色々と噂をしていたのだろう。新人たちはすでに僕のことを知っていた。「実はもっと最強な奴がいる。今は放浪の旅に出てるけどね。」的な感じに言われていた。

サークルに顔を出せば、大騒ぎである。それこそ、胴上げされるんじゃないかくらいの勢いだった。

「よ!元気してたか?」

この時期、この言葉を何十回言ったことか。

なんか普通に帰ってきただけなのに、めちゃめちゃ歓迎されたので、調子に乗って「放浪の旅も悪くないな。」なんて思っていた。(愚か)

「身の程をわきまえよ」

僕は天狗になって、偉そうになった。

わけではない。

これは、この頃、自分に対して思っていたことである。アルバイトでも、サークルでも、僕はこの1年でいなくなる。僕が持っているものを後輩に渡すべきだ。そんなことを思っていた。(またもやの老婆心)

サークル参加の回数を減らしたり、アルバイトの出勤も抑え気味にした。別にそれでも少なくはなかったが、今までが多すぎた。

自分でやる。自分が成長する。でなく、後輩の成長だけを考えて、仕事なりサークルなりに取り組んだ。サークルの幹部が困っているときの相談相手になり、バイトでは、教え方を教えるみたいな感じだった。

それらはこれまでとは違う、また新たな視点の、新たな学びだった。

「可愛い子供たち」

今年もたくさんの1年生が入会した。もはや基本スペック(高校の成績)は明らかに部活よりこちらのサークルの方が高かった。しかも今年は女子が多い。(これ大事)男女比はほぼ5:5だった。

とはいえ、もはや、めちゃくちゃ子供に見えて、可愛いとは思っても、それは兄貴というか、親というか、そんな目線だった。

サークルにおいては完全に「レジェンド認定」されていたので、1年の中には「ファン」みたいな後輩もできていた。犬みたいについて回る子もいた。本屋で僕を見つけ、Twitterで共有するような輩もいた。

「今日本屋さん行ってたらしいですね。」

いきなり後輩が聞いてくる。

「え、なんで知ってんの?」

「みんな知ってますよ笑。Twitterで。」

これはさすがに厳重注意である。(ダメ絶対)

べつに「エロ本コーナー」にいるところを見られたくないわけではない。(怪しい)

やっぱり、なんだか気持ち悪いものだ。

「監督」

夏のサークルの全国大会。今年で4回目の千葉県は白子町。

いつもの潮風と潮の香り。暑いことは、もちろん暑い。

ただ、気持ちはいつもと少し違った。

そう、今年は「監督」だった。

僕は正直、3年の夏で終わりにしていたので、今年は参加する気は無かった。試合に出る気も全く無かった。他の4年生はみんな、就活真っ最中なので、空いているのは僕だけだった。

そんな気持ちを後輩に伝えると、

「じゃあ、試合には出なくていいですから、とりあえずきてください。あ、監督やってくださいよ、監督!」

これだった。お願いされたと言うより、なんだか決まっちゃった感があったので、そこは了解した。(押しに弱い疑惑)

まあ、可愛い後輩の頼みだから、悪い気はしないものだ。(愚か)

僕はベンチにどしんと座り、試合開始を見守った。

ここで「ひとつの疑問」が心に浮かぶ。

「あれ、そういえば監督ってなんだ?何すんだっけ?」

これだった。(今さら)

とりあえず、「お前らなら行ける!」的な、取って付けたようなセリフを吐いていた。

べつにこれだけで役割としては十分だったのだが、やはり試合を見ていると熱中してくる。しかも今回は完全に見ているだけだ。分析にも力が入るものだ。(む、)

「なんだか、いつもよりワンテンポ遅くなっているなぁ。」

「振り方がいつもと違うぞ。」

「いつもはポジションが1歩中に入ってるぞ。」

「相手、あそこ弱いぞ。」

文で書くと「ヤジ感満載」だが、これがなかなかに的確だったらしく、その時々で問題が解決していった。

何気ないアドバイスが、思わぬ効力を発揮したので、

「あれ、もしかして俺こっち系の才能あるんじゃね?」と見事に調子に乗っていた。(愚か)

今考えれば、アルバイトで教育する際に、「観察」するクセがついていただけの話だった。

いつもより多めの「黄色い声援」(ここ大事)を受けながら、みんなテンション上げ気味で、のびのびと試合をしていた。

過ぎ去った青春が、少し蘇ってくるような気持ちがした。

「さて、わたくしも社会に出るとしますか。」

4年の大学生活も終わりに近づいてくる。

無事に単位も取り終わり、論文も提出した。

サークルもバイト先も、僕がいつ居なくなっても、なんの問題も無いくらいに、なんだかチームとして固まっていた。少し寂しいような気持ちもしたが、やっぱりこれで良かったんだろう。そんな気持ちもあった。

あとは終わりの時を待つのみだ。(余生感)

僕はなんだかんだで、アルバイト先で就職した。内定を断るときは申し訳ないような気持ちもしたが、こればっかりは仕方がない。それにたくさん優秀な学生も採用していることだろう。

僕はひとまず、この仕事をもっとやってみたい。

これだった。

卒業式。いったいどれだけの写真を撮らされただろう。どれだけ酒を飲んだだろう。それに本当にたくさんの贈り物をくれた。

祝ってくれる。別れを悲しんでくれる。寂しがってくれる。感謝の言葉をかけてくれる。

そんな姿を見て、

ああ、僕の4年間もあながち捨てたもんじゃなかったんだなぁ。

そんなことを思い感傷に浸っていた。

途中疎遠になっていた「岸川さん」とも和解というか、酒を飲みながら、「あん時は悪かったなぁ。」的な話をできるまでになった。

終わりよければ全て良し。

まあ、そういうことにしておこう。

さあ、わたくしも社会人になりますか。

こんなふうに意気込んでいた。

こんなところで、僕の学生生活は終わりを告げた。

つづく
























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