(連載116) ついにアートディーラーが見つかった:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:2021年
前回はいいところで、終わりましたね?
〜と、アンタ、自分で書いといてそういうかい?笑
お読みになってない方は、是非こちらを!
つまりですね、私みたいに、キャリアが長すぎるアーティストに、今さらアートディーラーというものが、つくわけがない、って、話でした。
世の中、そういうものなんですよ!
みんな、若い、これからのアーティストが好きなんです。
(以下、愚痴、満開!笑)
60代のぉ〜、アタクシのようなぁ〜、アジア人の女性のぉ〜、
しかも何がやりたいのかわからないぃ〜、
今の流れからもズレているぅ〜、
大した功績もまったくないぃ〜〜。
(出るわ、出るわ!どこまで自虐よ!笑)
そんなアーティストを応援しようなんていう人が、
いるわけがありません!
万が一、いたとしても、よほどの暇な人か、変わった人、、、。
そう思っていた矢先。。。。
その変な人が現れたのです。(前回はここまで。でした)
(これ以降は、この変な人という言葉は、普通じゃない人という事に言い換えます。なぜなら、今回、話に出てくる御本人がこの記事を、翻訳機能で英語にして読むかもしれない。
自分は変というのをあくまで褒め言葉として、使ってますが、この辺りのニュアンスをAI はわからないと思うので、、、。苦笑)
では、お話を続けます。
普通じゃない人
が、現れた。
これは、もう、奇跡に違いなかった。
はい。
また中断させていただきますが、皆様!!!
ここで、奇跡といえば、前回にご紹介した、義理父のウォラス・バーマンの作品が、あの、チャーリー・パーカーの住んでいた家に飾られていたという、魂の出会いの話をしましたが、、、、以下に詳しく!
そうなんです!!
発表いたします!!
その普通じゃない人とは。
あのチャーリー・パーカーのところに住んでいた
ギャラリーのオーナー!
デビッド・トータという人!
この彼が、今度は私に、奇跡を持ってきたのだった。
出会いはこんなかんじでした。コロナの少し前の頃。
彼が、義理父ウォラス・バーマンの展覧会をする事になって、打ち合わせで、ニューヨークからロサンゼルスにきて、夫のトッシュとディナーする事になったのです。
その前に、デビッドは彼のギャラリーで扱っているでアーティストのカタログを我々に送ってきていて。そのどれもが、カラーの素敵な豪華本で、全部自分で作ったらしく、私は「この人は、ギャラリーのオーナーなのに、本を作るのも好きな人なんだなあ。」というのが彼に会う前の印象であった。
それで、私は、自分の「汚れの首輪の本」をデビッドにあげようかな?と思い、「自分の作品を見てもらいたい」とかそんな下心は、全くなしに、透明のショッピングバッグ(それしかなかった)に入れて持っていった。
この本については、以前、ここに書きましたので、興味のある方は、是非!
で、初めて会った彼は、その時、40歳だった。
父親がイタリア人で、母親はレバノン人。
イタリア生まれで、学校はパリで。
卒業後、金融関係の仕事について、ニューヨークへ。
おじさんがロンドンで70年代、ギャラリーをやっていたらしく、アートには小さい頃から関心があり、5年前に仕事をやめ、マンハッタンで小さいギャラリーをはじめた。。。。。。と。
もうこれだけでも、なんだか、スゴい人だなあ〜と思ったが、
ともかくウォラス・バーマン回りはものすごい人だらけなので、、、。笑
で、実際に、いろいろと話を聞いてると、
自分の好き嫌いや、やり方が非常にクリアな人。。。。
つまり、キャラが強め。笑
すぐわかったのは、コマーシャル志向なギャラリーを否定していて、彼のギャラリーのある場所も、チェルシーのようなギャラリーが集まった場所ではなく、ローワーイーストサイドと呼ばれる、ダウンタウンで、古着屋とかタトゥ・ショップとか、バーとかがあるようなところ。
そして、また、彼は基本的にアートフェアが、嫌いだ、とも言っていた。
ギャラリーというのは、まず、フェアに出てアーティストの作品を売るだけでなく、ネットワークを張ったり、コネクションを作るのは当たり前なので、これも、かなりちょっと普通ではない証拠でもあります。
確かに、あんなカタログを、採算ぬきで、自分の独断でバシバシ作ってるのも、珍しいといえば、珍しい。
普通、個展をやるたびに、布のカラー豪華版のカタログなんか、作らないですからね。絶対に普通じゃない!
ふむ。ふむ。
私は、彼の話をききながら、いろいろと思いをめぐらせていて、
もちろんウォラス・バーマンの話で盛り上がっていて、基本、私は、ほとんど、話をきいてるだけで、食べてるか。飲んでるか。って立場です。妻だし。こういう時だけ、妻という立場を利用して、飲み食いに集中。笑
持って行った自分の本は、帰り際にでも渡そうと思っていて、隣の席に伏せて、あまり目立たないように置いていた。
そしたら、突然、いきなり話の途中で、それを、指差して
透明のショッピングバッグだったので、表紙が丸見えだったのだ。
それが、あまりにも唐突だったので、食事に集中していた私は一瞬、食べ物が喉につまりそうになったが、
デビッドは差し出した私の本を受け取った。
実は、デビッドには、私もアーティストだとは言ってなかったので、ちょっとびっくりしたようだったが、思いのほか興味津々で、さっそく中をパラパラとめくって、
もうこの、意外な展開にトッシュも私も目が白黒して。
で、早速、デビッドは次の日、家にやってきた。
こういうギャラリーの人が、アーティストの作品を見に来るのを、「スタジオ・ビジット」と言うのだが、自分はこういう事も初めてであった。
スタジオ=仕事場なのだが、私の場合、絵をかくのも、縫い物も音楽を作るのも全部、自分の部屋なので、スタジオ・ビジットというのは、絵を飾っている、ただの家のリビングであった。笑
彼は、最初、キョロキョロ見渡して、ウロウロしていたが
私のこの「ビートルズの汚れの首輪」の絵を見て、
そしたら、爆笑しながら、
真っ赤なステッカーを部屋から持ってきて、ギャラリーがするように、絵の下にペタッとつけた。笑
そしたら、彼は、大笑いした。そして、
「実は、それまで、何度も何度もトライしたが、ことごとく断られたと」と言おうとした瞬間に、、、、、
トッシュが会話に割ってはいって、
そうだ!そうだ! さすが夫、トッシュの対応であった!
この際、そんな過去の惨めな事を暴露しても意味がない、ただの愚痴になってしまうのだ。(先ほどのような。苦笑)
さらっと流して、ともかく、今は買ってくれるだけで、有難いのであった!
彼とそんなユーモアのキャッチボールができるところも、気にいって、
トッシュも私も彼のことが好きになり、そんな人が私の作品を買ってくれることも嬉しかった。
ただ、この時点で、作品を買ってもらったからといって、彼が私のアートディーラーになってくれるとは限らないのだ。
可能性が一歩近づいたとは言え、トッシュからは、「絶対に、期待しない方がいい」と、釘をさされていたので、自分からは、特に何も行動は起こしませんでした。
その後は、ウォラス・バーマンの展覧会で、ニューヨークに行ったり、私の映画のドキュメンタリーをオンラインで、見せたりして、だいぶ親しくなった後、しばらくしてから、彼の方から、
じわ〜〜〜ん!!!
私はもう感激して、泣きそうになった。
まるで、長い片思いの後に、相思相愛になった女子高校生のような気持ちになった。
しかし。
私はもう、高校生ではないのだ、、、。
この感激と同時に、欲も出てくる、悲しきサガの60代、、、。
私はこう言った。
そしたら、
その後もランウェイの話になると、何度もこれを言うので、
この人、本当は、私から「ランウェイのモデルを是非やってもらえない?」と、きいて欲しいんだろうなあ〜。と思って、
そんな可愛いところもあるデビッドがますます好きになった。
こうして彼が、
自分にとっては生まれてはじめてのアートディーラーになった。
私がアーティストというものになってから、
40年もの年月が経過していた、、、。
つづく。
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