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(連載114)ビート・ジェネレイション:魂が出会う場所:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:2021年

いきなりですが、
人生というのは、たまに、びっくりするような事が起きるものですね。

私も1988年に、夫、トッシュと結婚してロサンゼルスに住むようにり、
まあ〜、いろいろと体験させてもらいました。

その中でも、ベスト5に、確実にはいっているのは、おそらく、こちらですかね〜。笑

これは、夫には悪いが、、、。
自分の中では、「バーマン家の笑える話」の永遠コレクションになってます。
夫の苗字がバーマンなので、そういうタイトルにしましたが。
ともかく、大怪我にならなくてよかったってハッピーエンド話。


しかし、今回のお話も、バーマン家のベスト5にはいる話ですが、
こちらは、笑い話ではありません。

時空を超えた精霊のお話です。
精霊と言っても、「何かが見えた」とかそういう話ではありません。

死んだ後の人間の痕跡というか、いわゆる目に見えない何か、というのを
抽象的に精霊?とか、魂?と、言ってみただけで、
いろいろな宗教の死生観とか、ニューエイジ、スピリチュアル系の話ではありません。
私はどちらかというとロジカル人間なので、無宗教です。
哲学としての仏教には興味がありますが、入門書を何冊か読んだぐらいです。
スピリチュアル、占いなどはまったく信じませんが、かと言って、人はそれぞれなので、信じている人もリスペクトしています。
宇宙からのパワーなどもあると思うし、宇宙人もいると思うし、
また、科学自体もある意味、宗教のようなものだとも思っています。

そんなゆるゆるな、このアタクシでありますが。

ニューヨークでこんな事があったんです。

まずは、私が結婚した夫トッシュの父親の話から、はじめたいと思います。
なぜかというと、彼の個展があったので、ニューヨークに行ったからです。


彼は、もう70年代後半に亡くなりましたが、名前は「ウァラス・バーマン」といって、アメリカのヒッピー運動にも影響を与えた、ビート・ジェネレイションのアーティストでした。


ビートは、日本ではあまりポピュラーではないみたいなので、一応、こちらを。

ビート・ジェネレーション: Beat Generation)は、第二次世界大戦後アメリカ合衆国文学界で異彩を放ったグループ、あるいはその活動の総称。1940年代終盤から1960年代半ばにかけて、この文学運動の思想や行動様式に影響を受けたライフスタイルを実践する者、、、、、

ウィキペディア

ビート・カルチャーの主な思想は、標準的な物語の価値の拒否、スピリチュアル世界の探究、西洋と東洋の宗教の融合、経済的物質主義の拒否、
(中略)、、、1960年代に、より大きなカウンターカルチャー運動であるヒッピー文化に取り込まれていった。

ウィキペディアより

つまり、それまでの既成概念、資本主義の社会構造が作ったレールの上をなぞっていくような生き方ではなく、新しい価値観を模索して行動を起こした、当時の若者の事。

よく、ビートニックと言われますが、マスコミが勝手に付けた名前で、本人たちは嫌がってたらしいので、私はなるべく使わないようにしてます。

これは、もともとは文学から始まったものですが、若者の間でだんだん広がり、自由な生き方、自分な表現、文学だけでなく、旅をすること、表現すること=アートや音楽にまで、その考えが浸透してゆきました。


で、その中で音楽ですが、この頃はまだブラックの人たちが差別されていた時代でしたが、ビート・ジェネレイションが聞いていたの、特にジャズでした。

そして、我らの義理父、ウァラス・バーマンも例外ではなく、当時、ロサンゼルスのジャズクラブに入り浸っていて、その中でも、とくにチャーリー・パーカーの大ファンだったそうです。

Getty image

そして、当時、ハリウッドに「テンポ」というジャズのレコード屋があり、オーナーがロス・ラッセルという人で、ダイアル (Dial )レコードというレーベルをやっておりました。
ウァラスは、そこにも出入りしていて、オーナーと知り合いになり、
なんと!!
チャーリー・パーカーの最初のアルバムのアートワークをやることになったのでした。

ウァラスが描いたものです。


それを皮切りに彼はだんだんと、アーティストとして、それなりの人たちから知られるようになり、いわゆる「クール」な人たちからは絶賛されるような存在になってゆきました。

この辺は、以前にも、かいつまんで、ちょっとお話しましたので、興味のある方はこちらも読んでみてください。

ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズとも友達になり、キース・リチャードが家に来たりもしたらしい。

日本でも雑誌で特集が組まれたこともありました。

夫のトッシュがこの頃の話をまとめて本にしたので、これについては、またいつか改めて書きたいとも思いますが。

 タイトルもまんま、トッシュです。笑


ビート詩人のアレンギンズバーグとトッシュ


さて。。。。。

時は変わり、2021年です。つまりほんの2年前になります。

ニューヨークのローワー・イーストサイドの小さなギャラリーで、ウァラス・バーマンの展覧会がありましたので、我々もロサンゼルスから、見に行きました。

規模は小さかったけれども、美術評論家などそれなりの人が集まり、賑わいました。

オープニングも無事終わり、その後の何日かはニューヨークで、ぶらぶら。
コロナというのも、あり、レストランががやたら、道路にはみ出していて、
それぞれが、それなりに工夫していて、それはそれで面白かったです。

美術館やギャラリーではない、こういう生活の中のクリエイティビティ、求心力をもった日常に、思わず引き込まれました。

そして、ある日、イースト・ビレッジで友達とあうことになり、カフェでお茶をすることになった。
日曜の午後でも、近くの公園ではパンク・バンドがガンガンとギターをかき鳴らしていた。
自然と音楽の話になり、チャーリー・パーカーのレコードカバーをウァラスがやったんだよねーっと、一連の話を思い出してたところ、その友達が、

「そういや、チャーリー・パーカーが住んでた家がこの辺にあるから、ちょっと見に行ってみようか?」
となった。

で、騒音のパンク・バンドの真前を横切って、何ブロックか歩いたら、そのアパートはすぐ見つかった。
ちゃんと「チャーリー・パーカーが住んでた家」と書いて、外に貼ってあったからだ。

トッシュと私は興奮して、おおおおお〜〜。
写真をとらねば。。。。

と、観光客と化して、パチパチ撮影しておりました。

チャーリーパーカーの名前のはいったプレートが2枚も貼ってあった!


ワイワイとアパートの前で三人で盛り上がっていたら、
偶然にも、今回の展覧会のギャラリーのオーナーのデビッドが
犬を連れて歩いてくるのが、見えたんです。

そういえば、デビッドはこのあたりに住んでるらしかったのだ。

「あれ〜〜??偶然!!こんなところで、何してるのー?」

「あ〜、いや、チャーリー・パーカーが住んでた家があるっていうので、来てみたんですよ。てへへ〜。それで、記念撮影してました〜〜〜〜。」

と言うと、

「あ、そうなの? まあ、中にはいりなよ。」

と言うんですよ。

はぁ〜〜〜???

どういう事っ?


わかりやすい冗談?。。。。

そしたら、デビッドは鍵をポケットから取り出して、実際にドアを開けたのだった。

私とトッシュと友達は、

ぽっか〜〜〜ん!!



デビッドは、

まあ、どうぞ、どうぞ〜〜。


そうです! 彼はそこに住んでいたのだった!!

もう我々は腰が抜けるぐらいびっくりした。
この事は、まったく知らなかったのだ!!

そして、「さ、さ、さ、サンキュー」といいながら、家の中に入れてもらった。

そして。

さらに驚いたのは、リビングルームのど真ん中に

ウァラス・バーマンの作品が

どーーーんと飾ってあったのだ。



もう愕然としました!
ここに、この場所での、 

チャーリー!!

Photo: William Gottlieb

ミーツ 

ウァラス!!

聞くと、デビッドもそこに住むようになったのは偶然で、特にチャーリー・パーカーのファンとかでもなかったのです。
まして、ウァラスがものすごくコアなチャーリー・ファンだった事は知ってはいたものの、そんなに深く考えてもなかったみたいで、
このリビングの真ん中に彼の作品が置いてあったのも、全てが偶然でした。

この家のこの部屋のこの場所で、

二つの精霊が再会した!!

そう思ったらもう、身震いがしました!!

人間の存在とは不思議なものですね。
目に見えるものとしての存在はなくなっても、なにかエネルギーは渦巻いているのでしょう。

チャーリー・パーカーとウァラス・バーマン

時空を超えて、再び出会ったのだ、、、。



なんとも言えない恍惚を味わっているうちに、
あっという間に時間が過ぎていった。

そして、私は、アパートを出る前に、ちょっとトイレを。。。と。


出てきたら友達が、
「ね〜、チャーリー・パーカーも使った同じトイレで、用を足すなんて、
スゴくな〜い?」

と、また違う見解から、つっこんできたので、

え? あ、、ま、まあ、、、、考えたら、それもすごいなあ〜と、思った。

終わり。

L*


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