GrimoirBook

感覚統合のデッサン

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最近の記事

吉川浩満『哲学の門前』について

こんな言い方をすると奇妙なことだが、もし吉川浩満という人が昔ながらの哲学科にすすみ研究者であったのなら彼は、今日のような哲学者にはならなかっただろう。カントをただひたすら繰り返し読み解釈を突き詰めるような学者になっていたと思う。その彼のひたむきさは本書を読む者なら容易に想像がつくはずである。 遠くて近いところに長年いた私が本書を読むとそこにはまるでいくつかの私の分身がいるような気持ちになる。もちろん私は、彼ほど真摯でもなく優しくも聡明でもないけれど、少なくとも彼の社交性と多

    • 山本貴光『マルジナリアでつかまえて』シリーズについて

      山本貴光氏のマルジナリア(本の余白への書き込み)シリーズを見ていると本と読者との新たな関係を提案しているように思えてくる。近年ますます情報編集力とユーモアを織り交ぜた山本の文体は研ぎ澄まされ、その巧みな読みやすさで一つの提案は意識されないまま、知らずに読者はその古くて新しい書物との関係に誘われているのである。 印刷された文字と私達の脳の間に「手書き文字」がおかれる。マルジナリア(余白への書き込み)とは印刷物と脳を仲介し、しなやかにつなげるパーソナルな変換器なのだ。 いわば

      • 『ドゥルーズABC全注釈』Z-Zig-zag ジグザグ

        #61 暗き先駆性 異なるものを異なるものへと結びつける。そのとき我々は、まるでそれが誰かによってなされたかのように考えてしまうのではないだろうか。潜在性の中の、差異を差異と結びつけること。別のセリーとセリーを結びつけること。カップリングや共鳴という関係もある。こうした別のものを互いに関係づけるときに我々は特権的な場所を想像してはいないだろうか。 ドゥルーズは、この特権的な場所という考えを分子化、分散化する。その考え方が〈暗い先駆性〉であり、これをより様態化させた言葉

        • 『ドゥルーズABC全注釈』H-Histoire de la Philosophie 哲学史(後編)三日目

          #20c ドゥルーズの哲学史(現代の哲学) ジル・ドゥルーズの哲学の特徴を描くときに、もっとも多くの色彩を提供してくれるのは、実はホワイヘッドであると考えてもよいようにおもわれる。以下のセンテンスは田中裕氏の驚くべき研究成果の多くからアイデアを得たことを明記しておく。ホワイトヘッドとの横断線を引くまえに、いくつか確認しておきたい。 ハイデガーの〈大地〉、あるいは〈襞〉という概念は、ドゥルーズの世界像の捉えかたに大きな輪郭を与えた。芸術作品は〈世界〉をつくりだし、そ

        吉川浩満『哲学の門前』について

        マガジン

        • 小さな書評帳
          2本
        • 『ドゥルーズABC全注釈』
          28本
        • 『晢劇あいうえお全注釈』
          1本

        記事

          『ドゥルーズABC全注釈』H-Histoire de la Philosophie 哲学史(後編)二日目

          #20b ドゥルーズの哲学史(近代) ドゥルーズは〈経験論者〉の最良の部分を自身の哲学史の大きな土壌にしてきた。哲学史で一般的に経験論はイギリスという風土的な場所に根ざして、イギリス経験論といわれるが、ドゥルーズの哲学史にとってもっとも重要になる経験論の哲学者は、その著作もあるヒュームということになるだろう。英米文学の優位性がのべられるように、イギリスは彼の哲学の隠されたキーワードにもなっている。ヒュームのデッサンにおいて彼がいかなる概念を創造したかといえば、心的生を

          『ドゥルーズABC全注釈』H-Histoire de la Philosophie 哲学史(後編)二日目

          『ドゥルーズABC全注釈』H-Histoire de la Philosophie 哲学史(後編)1日目

          #20a ドゥルーズの哲学史(古代・中世)   ドゥルーズは生命の実相と哲学の間にいた。哲学で生命を語ろうとしたわけではないし、生命の実相で、哲学を変えようとしたわけでもない。生命があり、そして哲学があった。生命は、自然や物理的条件から抗いようのない受動的存在だ。でもそのぶんだけ個体であろうとして、能動的に働きかけることのできる存在だとも言えよう。ドゥルーズの哲学は唯物的で経験的なもの、所与のものを必須の条件にしなくてはならない。しかしそのぶんだけ概念創造という独立し個体化す

          『ドゥルーズABC全注釈』H-Histoire de la Philosophie 哲学史(後編)1日目

          『ドゥルーズABC全注釈』H-Histoire de la Philosophie 哲学史(前編)

          #18 概念と色彩 哲学史に関してビデオ『ABC』では、ドゥルーズは二点について述べている。一つは哲学が概念を取り扱うのは絵画で色彩を取り扱うのと同じだという発想であり、もう一つは「思考が〈なること〉」すなわち哲学の生成変化が哲学史の中に現れるという考え方である。 まず色彩と概念の関係については興味深い記述が『哲学とは何か』で語られているので見てみよう。セザンヌは遠近法をもちいずに、奥行きを単調な色彩の配置だけで表現したといわれているが、ここではそうした事実を想起さ

          『ドゥルーズABC全注釈』H-Histoire de la Philosophie 哲学史(前編)

          『ドゥルーズABC全注釈』M-Maladie 病

          #33 大いなる健康 ジル・ドゥルーズは喘息の苦しみに長年つきあってきた人である。病との付き合い方を知っていた。病とともに生きてきた。とすれば彼の病気の考え方は、健康と病のバランスにあるのではないだろうか?完全な健康がないように、完全な病などない。生命とはつねに、健康であろうとすることでありつねに病であることなのだ。そのバランスが崩れたとき、痛みや苦しみがすべてを覆うようになる。ドゥルーズにとって病気であることは、いつも健康とのバランスで生の力を呼び覚ますことに他ならない。

          『ドゥルーズABC全注釈』M-Maladie 病

          『ドゥルーズABC全注釈』I-Idee アイデア

          #21 哲学のアイデア ビデオのインタビューの中でドゥルーズは「哲学のアイデアには3つの次元があります」と語っている。『哲学とは何か』の第七章で展開される議論を、簡素に圧縮したかたちで、芸術家たちのアイデアとリンクしながら、哲学者ならではのアイデアというものを明解に述べているところである。ここに概念のトリアーデが登場する。財津氏は邦訳231頁以降で、三つの概念の関係を明確にするために、そのトリアーデに〈被知覚態percept −変様態affect −概念concept〉とい

          『ドゥルーズABC全注釈』I-Idee アイデア

          『ドゥルーズABC全注釈』W-Wittgenstein ウィトゲンシュタイン

          #60 ウィトゲンシュタインとの距離 願わくばWについて質問するならホワイトヘッドにしてくれたらどれほど面白かろうと残念に思えるけれども、映像をみても、ドゥルーズはかなり疲れている様子で、一気に端折ってしまったような感触はいなめない。Xについてなら<対象=X>という概念についても質問してみたいところだった。いづれにせよドゥルーズのウィトゲンシュタインに対する嫌悪感は理解しがたいもので、インタビューの疲労が言わせたものであると思いたいほどだ。 たしかに『論理哲学論考』にあっ

          『ドゥルーズABC全注釈』W-Wittgenstein ウィトゲンシュタイン

          『ドゥルーズABC全注釈』E-Enfance 子供

          #12 生成変化/子供になること インタビューでドゥルーズはなぜ、「一人の子供」に対応させて、「すべての子供」とか「大勢の子供」とは言わず、「世界の子供」と呼ぶのかそこから考え始めたい。それは子供がドゥルーズの考える「世界」からやってくるからなのだろう。「世界」とは、子供が組み立てを自由におこなったその空間そのものをさしていて、ここで起きた出来事すべてを子供は結晶化させて、やってくるのだ。この出来事が個人的な物語で終わってしまうのならそれは世界の子供にはなれない。世界からや

          『ドゥルーズABC全注釈』E-Enfance 子供

          『ドゥルーズABC全注釈』A-Animal 動物

          #1 概念生態学 ドゥルーズは飼い慣らされた犬がとりわけ嫌いだとビデオのインタビューの中で語っている。アガンべンが思い出すドゥルーズの講義の様子では、「どんな存在だって自己享楽し観想するというのに、人間と犬にはそれができない」と冗談まじりに言っていたそうだ。どうやら犬そのものが嫌いというのではなく、人間の写鏡でもある「飼い慣らされた存在」に嫌悪しているようである。 ドゥルーズの作品の中にたびたび登場する動物の常連といえば節足動物のダニや蜘蛛たちだ。『ABC』のインタビュー

          『ドゥルーズABC全注釈』A-Animal 動物

          『ドゥルーズABC全注釈』G-Gauche 左派

          #15 政治的なもの ドゥルーズはおよそアクチュアルな政治的集団に関わりをもつことを敬遠してきた。友人達の多くは共産党員となったが彼はそうしなかった。それは政治に無関心であったというのではない。哲学は歴史の上でしばしば政治集団の動機づけやスローガンに寄与してきた。そのような権力装置であった哲学を避けるがゆえにこそ、敏感に政治の効果に線をひくのだ。そのかわりに彼は「哲学者でなければ、法解釈をしていただろう」とインタビューで言ってみせる。R・D・レインがそう呼ぶように、現実に

          『ドゥルーズABC全注釈』G-Gauche 左派

          『ドゥルーズABC全注釈』T-Tennis テニス

          #52 スポーツの創造すること 長いインタビューの閑話休題といった感じのこの章は、テニスが何をつくりだすかについて語られている。ドゥルーズもテニスにまつわる思い出やフレンチボクシングの経験についてなど、いつもより軽快な調子で語られており、スポーツも芸術や科学や哲学のように創造的に<フォーム=スタイル>を生み出すということが語られていく。 パルネが聞き役となり、このインタビューでテニスについて語られた内容と共鳴している記事が見受けられるので接続してみたい。一九八五年十

          『ドゥルーズABC全注釈』T-Tennis テニス

          『ドゥルーズABC全注釈』F-Fidelite 誠実さ

          #13 友人たち 友愛のインタビューでは、ドゥルーズの友人達の息遣いや気配を感じることが出来る。哲学にとっての友愛とは、共犯者になったり、同朋になったり、変化させあうものだ。友愛のかたちが、そのまま哲学のかたちなる。たとえばガタリには、百科全書的な知のマトリックスが対応して、百科全書的な友愛がそこには生み出される。ドゥルーズはインタビューでその関係を『ブヴァールとペキュシュ』にたとえていた。平凡な二人が、途方もない遺産を相続して別天地を授かり、あらゆる書物を読み耽り、思いつ

          『ドゥルーズABC全注釈』F-Fidelite 誠実さ

          『ドゥルーズABC全注釈』B-Boisson 飲むこと

          #4 飲む/生成変化 食欲とは違う感覚で、何かを飲むということは、小さな苦痛に似ている。自分の体内に異物を無理にでもとりいれ、自分の情動と体力が変化をきたすのを受け入れるからだ。その効果が快楽であろうと嘔吐であろうと、口から入り込んでくる異物はことごとく人の情動にかかわることになるのである。ハーブ、煙草や酒、それにドラッグなど、口から飲み込むものはひとつの欲望であることにちがいはなく、小さな苦痛は、それら欲望を誘い出すためのサインとなるのである。だからこそ、苦い顔しながら

          『ドゥルーズABC全注釈』B-Boisson 飲むこと