『ドゥルーズABC全注釈』F-Fidelite 誠実さ

#13 友人たち

友愛のインタビューでは、ドゥルーズの友人達の息遣いや気配を感じることが出来る。哲学にとっての友愛とは、共犯者になったり、同朋になったり、変化させあうものだ。友愛のかたちが、そのまま哲学のかたちなる。たとえばガタリには、百科全書的な知のマトリックスが対応して、百科全書的な友愛がそこには生み出される。ドゥルーズはインタビューでその関係を『ブヴァールとペキュシュ』にたとえていた。平凡な二人が、途方もない遺産を相続して別天地を授かり、あらゆる書物を読み耽り、思いつくままに討論を続けるのだが、やがて全てに挫折して書物の分類と書き写しに始終するという物語でフェリックスとジルの共同作業を少々シニカルになぞるのである。ドゥルーズが語る「二人で百科事典をつくる」ということ以上に、この作品の友愛のモデルとして興味深いのは別の土地で共同生活するという点だ。これは哲学の新しい大地を二人が共有する内在平面として創建し、新たなる知の領土において概念を運動させていることに符合していると言えるだろう。お互いに敬意をはらって「君」と呼び掛け合い、二人でチェスボードの駒をすすめるように概念をやりとりした。

フーコーには狂気と天才の地図が対応してくる。そこには地誌学的な知の関係がつくりだされている。敬意の地層、ニーチェのような鉱脈を同じくした地層、世界の虐げられた人に語らせる政治的な地層、そして大きな地殻変動のように亀裂がはしり、突如フーコーの天才と狂気が噴出してくるマグマ。知の大陸は隔てられたり出会ったり、ひとつらなりの地層の上で、ドゥルーズとフーコーは独自な関係を保ちつづけた。「狂気の場所こそが、その人の魅惑のみなもとなのです」とインタビューでのべられているから、おそらくフーコーの魅力も狂気の場所からのシグナルなのだ。ではいかなる狂気をドゥルーズは感じたというのだろう。狂気とは病的なものではない。『パイドロス』によれば恋するものの狂気が真実へ至るための手掛かりであったように、ここで語られる狂気は友愛においての本質的なものとの出会いを描いているのだ。フーコーにはドゥルーズが「隊長殿」とふざけて呼ばずにはいられない厳格さと勇敢な攻撃性があり、同時にその制服で身をつつむようなフェティシュな同性への性愛があり、その隊長という言葉を笑わずにはいられない少女のようなあどけなさがあった。そればかりではない、彼は図書館に住む古文書学者でもあり、虐げられた人々や制度に埋もれた人々ともに糾弾する運動家でもあるのだ。このフーコーの複数性こそが、ドゥルーズのいうフーコーの魅力なのかもしれない。友人の中にたくさんの分裂をみる。自己が破壊されるまでのたくさんの他者が出現するとき、この場所はもはや狂気の場所としか呼びようがない。しかもこの友人の分裂を前にしてドゥルーズも分裂せざるをえないのだ。このように一人の人物が無数の人物になるとき、魅力のシグナルは発せられる。自分自身がもっとも破壊される場所、そこは他者へと結びつく場所にほかならない。

まことに友人とはまるで一冊の書物のようだ。それは誰も知らないところでかわされる無言の約束を伴うものだ。ふとジャン=ピエール・ファイユJean-Pierre Fayeのような友人には、そんな言外のつながりがあったのではないかと思えてくる。彼はリオタールやフーコーと同期であり、文化全体にわたり評論をし、詩や戯曲も創作する作家でもある。『千のプラトー』ではファイユの全体主義やナチズム分析を言語の政治学として大きく評価している(邦訳百六十五頁、および二百六十五頁などを参照)。ミッテラン政権下、文化大臣の補佐も務め、デリダと国際哲学コレージュを創建し、その資料Le Rapport bleuをまとめている。

ドゥルーズが彼との関係をたとえる『メルシエとカミエ』は、聖ルツ公園で相性がいいのか悪いのかわからないような二人が奇妙に出会うところから始まる。ジャン=ピエールとジルとの出会いもそのようなものだったのだろう。雨の中をどこへ向かうとも知れず、ただここではない何処かへむかって運河に沿って旅をしていくのである。二人で自転車を押しながら強まる雨の中をさまよう姿は、同時代人として互いに別々の立場でありながらも親交が続いた二人の関係と重なるだろう。

この友が、ドゥルーズの死に際しておくった言葉を抜粋してみよう。これはリベラシオンに発表されたもので石田靖夫氏による邦訳が一九九六年1月緊急特集=ジル・ドゥルーズ/Jean-Pierre Faye『息苦しいのだ。また電話するよ』にある。一九四三年アンリ四世校の高等師範学校準備クラスでジルは、「フッサールにおけるコギト」について発表する。その声を友人はたしかに憶えていた。そこに流れる別の主題を友人はもう発見していたのだ。ある日、ヒュームの実体批判を説明しにわざわざやってくる若きドゥルーズの姿を友人はありありと思い出す。そしてパリ陥落のソルボンヌの廊下で、ジャン・ヴァールの哲学学院で、皮肉と静かな情熱をたたえた姿を友人はずっと見ていた。ラカンが掲載しなかった論文がもとでガタリとの出会いの偶然が訪れたことも、肺の病気でしゃがれ声ながらもフーコーと共に監獄情報グループで演説していたことも、友人はつぶさに記憶をたどる。そしてついにハイデガーの罠に、「形而上学に対する乗り越え」という罠に、ドゥルーズとともに、抜け出していく冒険を友人は語るのである。友人は『罠−ハイデガーの哲学とナチズム』を後年書くことになり、ドゥルーズはその罠を、自分の様々な作品の至る場所にまんまと改良して組み入れてしまう。最後の声、「息苦しいのだ。また電話するよ」と耳元に響くまで、彼はドゥルーズともに、メルシエとカミエのように二人で自転車をおしつづけていたのかもしれない。すぐそばで、明確に取り出せるなにかを目的化するのでなく気がつかないままに、道を阻もうとする雨の中でひたすら歩き続け、互いが主題であり伴奏であるような密かな組み立てを、その最後の言葉まで続けていたかもしれないのだ。まさしくこうした知の在り方もあるだろう。友愛はいつも未知の哲学をうみだす。

#14 哲学と友愛

ドゥルーズの著作のクロニクルの中で、友愛という概念が特化されてとりだされることは、あまりなかった。友人が無言の約束を交わす一冊の書物であるなら、あらためて友愛を概念化するまでもなかったのだろう。それゆえ友愛はつねに、テクストの裏側でいつも問題をなげかけていたのではないだろうか。哲学とはなにかと問いをなげかける、そのすぐそばで。

概念としての友愛について書かれていたのはおおむね二つある。まず一つは『プルーストとシーニョ』で友愛の欺瞞と哲学の欺瞞の相関性が語られている箇所だ。ドゥルーズはプルーストの思想には友愛の入る隙間がないといっている。なぜ友愛はゼロなのだろう。それは西洋的な哲学の意味から自由な思考法であるということである。『プルーストとシーニュ』ではプルーストの独特な哲学への批判を詳細に論じた箇所があるので、これを接続してみよう。「結論 /思考のイマージュ(邦訳百九十六)」から。友愛と哲学はおなじものであり、ここには真実の探求を疎外するものがあるというのだ。友愛は友人になにかを期待して望んでしまう。哲学者が「積極的意志」において真実にむかうとき、おなじようにあらかじめ取り決められた期待のなかで、真実は湾曲させられてしまうとプルーストは考えている。だからそこから得られるものは、友愛においてはいつも嘘であり、哲学の真実においては恣意的で抽象的な結末になるというのである。

一方、それとは対極的なものがプルーストの真実の探求の方法となる。それがドゥルーズの取り上げる「嫉妬」という概念なのだ。愛されることなく愛するという原理の中で「嫉妬」はある強制力をもって、愛する人のことを考えずにはいられなくさせる。それゆえこの強制力のあるまなざしは愛する人の諸々の真実を逆に突きつけてくるのだ。「真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬するものである」(邦訳百九十九頁)。

哲学もまた、作り上げられた方法や哲学者どうしの共通のコミュニケーションの規定から離れて、思考させるものとの出会いが重要なものとなると続いて語られる。この強制力のあるシーニュによって、無限に説明や展開、解釈や翻訳という、「思考する行為の発生としての」創造が始まるというのである。つまり「嫉妬」とは、なにかの訪れをひたすら待ち続ける待機のまなざしなのだ。あらゆることは向かうのではなく突然あちらからやってくる。それによって創造は開始されるのだ。「真実とはおのれを示すのではなく、おのずから現れるのである」(邦訳百九十六頁)。

今ひとつは晩年の『哲学とは何か』におけるギリシア的哲学の始原としてこの概念は語られることになった。いささか言葉遊びのように「誠実さ」から「友愛」へとテーマが変更されたこのインタビューはその部分を読むことで、意味あることにみえてくるから不思議だ。友愛に忠実であるということが、自由な思考空間をつくりだすことになるというセンテンスである。

『哲学とは何か』で展開される、その美しい部分を読んでみよう。邦訳六十四頁から。ギリシアにおいて超越的なものを作り出すのは宗教的人物であった。かれら賢者は祭司として人間社会とは無縁のカオスへ、垂直な存在をうちたてた。神々から唯一の神をひきあげて、その神に戦いを挑むことさえできない遠い高みへとおき、人間同士をゲームの駒のようにする理念の戦争を追い求めた。これにたいしてギリシア初期の哲学者たちは、カオスにむかって自分達独自の内在平面を広げる人たちだった。このカオスは人間にとって無縁ではない。彼らがどのように、このカオスとの関係をもったのかをドゥルーズは、「篩(ふるい)」という奇妙な言葉をつかって説明する。すべてのものが無軌道なまでに投げ出された世界ではなく、カオスからふりおちて享受することのできるものを明確に区別し、どのようにでも組み立てられるよう自由に運動させておく。そのような思考を可能にする内在平面がそこにはあったのだ。【デリダが筆記者(scribe)と、篩(ふるい crible) からスクリッブル (scribble)」という造語を作り出したことにも響きあっている。『スクリッブル――権力/書くこと』(月曜社)の翻訳者である大橋完太郎氏の正鵠を射る解説で「篩(ふるい)」という概念をさらに批判的に歴史の中で見ることができるだろう。】

友人たちがそれぞれの思考の創意によって世界の組み立てをなして、自分達の概念で競技し合うことを「篩(ふるい)」によって創建されるこの内在平面は可能にする。哲学が始まる場所がギリシアであるのは、このように肉体的なものと同列に、競技しあえるものとして水平的な友愛をギリシア人たちが忠実にもっていたからなのだ。ドゥルーズとガタリはこのように書きそえる。「友だちだけが、内在平面を、偶像をよせつけない土地として広げることができる」(邦訳:六十五頁)

ドゥルーズの哲学の土地は、十分に偶像を追い出しただろうか。彼は「友人の狂気に惹かれる」という。それは友人の中にいる何人もの他者をみつけることであった。おそらくは本人さえも気が付くことが出来ずに、突如として出現するからこそ、狂気と他者は同義になっていく。一つの顔、一つの体を前にしながら、無数の顔と無数の体をその中に見出してしまう。そこにはたしかに超越的な偶像は必要ない。我々は、一人の人間に、無数の人間をみるとき、その人間に開放的な魅力を感じているのだ。偶像なしにわれわれは無限を感じているのだ。また始めることができる、また別の君に会うことができる。一人でありながら複数であること。二人でありながらオリュンピア祭を開催すること。なんという友愛が、そこには捧げられるというのか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?