『ドゥルーズABC全注釈』M-Maladie 病


#33 大いなる健康

ジル・ドゥルーズは喘息の苦しみに長年つきあってきた人である。病との付き合い方を知っていた。病とともに生きてきた。とすれば彼の病気の考え方は、健康と病のバランスにあるのではないだろうか?完全な健康がないように、完全な病などない。生命とはつねに、健康であろうとすることでありつねに病であることなのだ。そのバランスが崩れたとき、痛みや苦しみがすべてを覆うようになる。ドゥルーズにとって病気であることは、いつも健康とのバランスで生の力を呼び覚ますことに他ならない。『ニーチェと悪循環』というドゥルーズへの献辞が与えられているクロソフスキーの偉大な書物はニーチェと病の関係について、めざましい視点をあたえた。病人によるもっとも美しき発明、と見出しがつけられた三七一頁のニーチェの断章から。

「わたしがここで提示する一連の心理学的状態は、充実した活発な生をあらわす記号なのだが、今日人々は一致してそれらの記号を病的なものとみなしている。しかしその間に我々は、健康であるものと病気であるものの対比を語る習慣をなくしてしまった。それはたんに程度の違いに過ぎないのだ−だからわたしはこう断言したい。今日ひとが『健康』と名づけるものは、適当な条件下では健康でありうるものの、より低い次元をあらわしている−そして我々は比較すればみな病気なのだと」

この遺稿もおそらくニーチェの最後の十年間に属するものだろう。クロソフスキーがこの断章を抜書きするのとほぼ同じ動機でジル・ドゥルーズが、病と健康のバランスについて語っている書物がある。我々は病と健康を履き違えている。ニーチェの思考の中にだけでなく、自身の肉体においても、ニーチェは実験を続行しているのだ。

一九六五年に『ニーチェ』の中で彼の病気が精神病ではなく進行性麻痺による痴呆症であることを報告する。それは肉体にもたらされるあからさまな痛打なのだ。しかし著作刊行を中断したり執筆を断念したりしながらも、多くの手紙の中で、ニーチェの創造的な哲学は持続させられた。まさしく病人によるもっとも美しき発明なのだ。

「ニーチェが視覚を移し変える技法を持っていた限り、つまり健康から病へと、またその逆向きにと移動させるすべを心得ていた限り、彼がどれほど病んでいようと、彼はある「大いなる健康」を享受していたのであり、その「健康」のおかげで著作は可能であった」(二七頁)

#34 病の効能 

ニーチェは無数の病を〈書くエネルギー〉としてきたような人である。ドゥルーズもまたインタビューで、病によって容易になるものがあると語っている。思えば生命のリズムに満たされて、そのまま飲み込まれているときは、その生命の流れがどんなものであるかを区別することはできない。そこにはすでに病もあり、老いも歩んでいるというのに我々は気がつかないのだ。これは生きる位相によって生命を捉えるというのとはまた違う。病も老いも位相にではなく、自らの生命のリズムの中にあるからである。

病によって容易に行えるようになることは、生命のリズムを見つめることである。実際に我々が病である時は、健康になりたいと望みこそすれ、健康のことより病のことばかり考えている。こうやって痛みをとりたいとか病院や医者はどうしようとか、病の中での仕事をどうしようとか、薬は飲まなくてはとか…。翻って健康を考えるにしても、これが治ったら今は病気でできないなにか、運動や食事をおもいのままにしようなどというふうに病気をもとにして健康のほうを考えるのだ。不思議なことに健康と病はいつもセットになり、生命のリズムを構成している。

もっといえば、いま健康と言う言葉を無自覚に使っているが、いったいいつから我々は健康を実感したといえるのだろうか。病気を知ることなしに、どうして健康を知ることができるだろう。生命が危ぶまれる大きな痛みをともなう病気を奨励しているのではない。ドゥルーズがいうように〈弱い〉かたちでよいのだ。感冒や怪我をふくめ、病から無縁な人は誰一人いない。強靭なアスリートほど、戦いの負傷で病を知っているのだ。だとすれば、健康のために病はあるのだといえる。

病は、垂直的に突然やって来るかのようだ。このとき、我々は生命のリズムから離脱させようとする力を感じるだろう。猛烈な破壊力があるものであれば、私の体に注がれている生命のリズムは、バラバラに分解されてしまうかもしれない。しかしそれが弱い離脱力であれば、この生命のリズムが自分を引き止めようとしている力を感じることができるのだ。私の体は生きたがっている。その時の驚きは、人がいかなる思惑をもっていようとも、自死を思う人にでさえ訪れる。身体と精神は健康な時には同調している。だから気がつかない。しかし病は身体と精神を強烈に切り離す。その瞬間、身体がなにか別の大きな力の領分にいつも所属して、私の精神を凌駕するような生命のリズムを、生まれたときから脈動させていたことに気がつくのだ。病によって人は容易にそれに気がつくのである。

『スピノザ/実践の哲学』の中では、病や死というものが、全体的なものではなく力の構成関係であることが述べられている。二三七頁の原注5でもこのような病や死の考え方には現代の医学の「自己免疫性疾患」の問題や死んだ身体を人工的に生き長らえさせようとする試みに通じるものがあると指摘している。末尾に少々長い引用になるがドゥルーズがスピノザから継いだ病に関する技法を紹介しておきたい。

「つまりスピノザは悪はなにものでもないとする古典的なテーゼに、ある特殊な意味を与えたのだった。というのは、どんな場合にも、そこには複合・合一をとげる構成関係が必ずある〈中略〉『人間の身体の各部分が相互にもつ一定の運動と静止の構成関係を保たせるもの、これはいい。反対に人間身体の各部分が別の運動と静止の関係を相互にもつようにさせるもの、これはわるい』その構成関係が私自身のそれとひとつに組み合わさるような(適合)すべてのものは〈いい〉といわれ、その構成関係が私自身のそれを分解してしまうような(不適合)すべてのものは〈わるい〉といわれることになろう。〈中略〉こうした私たちの構成関係はどれも、それそのものが一定の許容しうる変化の幅を持っており、幼年期から年をとって死ぬまでのあいだに相当に変化する。さらにまた、病気やその他の事情によってそうした構成関係が大きく変容し、はたしてそれがそのまま同じ個人であるのかどうか考えさせられてしまうようなことも起こりうる。その意味では、身体が屍と化すのを待たずに死者となる場合もあるということだ。最後にまた、そういった変容はその変容した私たち自身の部分が残りの部分に対して、それを裏切り崩壊させてしまうようないわば毒としてふるまうこともありうる(ある種の病気や、極端な場合には自殺の際にはそのようなことも起こる)」(五五頁−五六頁)

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